【松尾芭蕉の有名俳句 29選】知っておきたい!!俳句の特徴や人物像・代表作など徹底解説!

 

五・七・五の十七音に四季を織り込み、詠み手の心情や情景を詠みこむ俳句。

 

名句と聞くと、松尾芭蕉の作品を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?

 

今回は、俳聖と称された松尾芭蕉の人物像、俳句の特徴や代表作を徹底解説します。

 

松尾芭蕉の特徴や人物像

Basho by Morikawa Kyoriku (1656-1715).jpg

(松尾芭蕉 出典:Wikipedia)

 

芭蕉は江戸時代初めの元禄期に活躍した俳人です。当時は言葉遊びでしかなかった俳諧を、芸術の領域まで高め、俳聖とも称されました。

 

芭蕉が目指したのは、さび、しおり、細み、軽みなどを重んじ、静寂の中の自然の美や人生観を詠みこんだ俳句でした。幽玄・閑寂を尊ぶ句風は「蕉風」と呼ばれ、多くの共感や賞賛をよび日本各地に広まっていきます。

 

芭蕉は10代後半に仕えた主君の影響により俳諧を学び始め、江戸へ出て武士や商人に俳句を教える傍ら、俳諧師として生きることを決意します。

 

多くの門人を従え、俳諧の世界で成功を収めた芭蕉ですが、40歳を過ぎるころから全国を巡礼しながら俳句を詠むという生き方にたどり着きます。

 

各地を旅する芭蕉は俳句だけでなく、東北・北陸での旅路をまとめた日本紀行文学の最高傑作とも言われる『奥の細道』を残しています。最後は大阪に向かって旅立った道中で体調を崩し、51歳の生涯に幕を閉じました。

 

松尾芭蕉の有名俳句・代表作【29選】

(松尾芭蕉 出典:Wikipedia)

春の俳句【9選】

 

俳句仙人
「蛙が古池に飛び込む音が聞こえてきた」という単純な情景ですが、日常的な事物にしみじみとした味わいを見出す芭蕉ならではの名句です。当時は蛙といえば鳴く姿を詠むことが多かったのですが、水の跳ねる音に注目した点は新しい感覚でした。

 

俳句仙人
芭蕉が旅立とうとする時に詠んだ句です。門弟や友人など多くの人が見送りに駆けつけ、別れを惜しむ様子を過ぎ行く春の惜別にかけて歌い上げています。当時の旅は命がけの危険さがあり、東北は方角的に鬼門となることから、不安要素も多かったことでしょう。

 

俳句仙人
「万歳」とは、新年を祝いながら民家を回る民俗芸能のことです。実入りの良い都会を先に廻ることから、田舎は後回しにされていたようです。梅がほころび始める頃にようやく訪れた万歳師を見て、正月気分が舞い戻ってきたかのように感じられます。

 

俳句仙人
すみれは可憐な花ではありますが、慎ましく健気に咲く姿に励まされ、険しい旅の疲れも癒されたことでしょう。山道の木々の切れ間に差し込む光の温かさや春の風情が感じられる一句です。

 

俳句仙人
「草臥れて」は当時の口語表現であった「くたびれて」を現代語訳しています。晩春の夕暮れ時、疲れた身体でふと空を見上げると、淡い紫の藤の花が重く咲き垂れていました。けだるげな藤の風情にそこはかとない旅愁と春愁を誘う句です。

 

俳句仙人
月の光を一身に浴びて輝く桜の花を描いた、日本人の情感に訴える美しい句です。いつまでも眺めていたいと思いながら、その光景は永遠に続くものではありません。やがて月は傾き、幻想的な美しさは儚く消えてしまう、そんな思いも詠みこまれています。

 

俳句仙人
激しく流れ落ちる滝の音がいつまでも耳に響くような、聴覚に焦点を当てた斬新な一句です。自然に散っていく山吹の姿に、旅に生きる自分の人生を重ね合わせ儚さを感じています。

 

俳句仙人
「鐘」とは、江戸の生活に欠かせない「時を告げる鐘の音」のことです。上野と浅草は、当時芭蕉が住んでいた「芭蕉庵」からは等距離にあったようで、どちらからも鐘の音が聞こえてきたことでしょう。句作に没頭するある春の日、ふと聞こえてきた鐘の音で一気に現実の世界に引き戻される芭蕉の姿が詠み取れます。

 

俳句仙人
梅の香りに誘われるように、ひょっこりと顔を出した朝日を「のつと」という俗語を用いて表現しています。これは芭蕉が目指した「軽み(身近な題材の中に美しさを見出し、平明な言葉で表現すること)」の実践句でもありました。清涼感溢れる山路の風景から、春の訪れを喜ぶ様子が伝わってきます。

 

夏の俳句【10選】

 

俳句仙人
芭蕉がこの句を詠んだ山形県の立石寺とは、大きな岩が重なったような山に建てられた寺院です。その静けさの中で聞こえてくる蝉の声は、周りの岩にしみ透っていき、なお静寂を引き立たせるようだと表現しています。静寂がもたらす無の世界で、己の心を見つめる芭蕉の姿が目に浮かんでくるようです。

 

俳句仙人
当初の句会では「五月雨を 集めて涼し 最上川」と詠んでおり、涼風を運びながら穏やかに流れる様子を表現していました。しかし実際の最上川は日本三大急流に数えられるほど流れが早く、長雨により増水した川はより危険さを増していたはずです。川下りで激流を体験した芭蕉は、思わず「集めてはやし」と句の内容を変更したといわれています。

 

俳句仙人
平安時代に奥州藤原氏が栄華を誇った場所として知られている、平泉(現在の岩手県)を訪れたときに詠んだ句です。夏草だけが生い茂る屋敷跡を目の当たりにし、「すべては短い夢のようだ」と無常観を表現しています。自然の雄大さと人の世の儚さを対比し、無残にも果てた者達への供養や鎮魂の意が込められた句です。

 

俳句仙人
芭蕉にとって憧れの人物である伝説的歌人・西行法師が立ち寄ったとされる有名な柳の木を前に詠んだ句です。柳に見とれ西行へ想いを馳せますが、ふと気付くと田畑には毎年変わることのない農民の働く姿がありました。西行への深い思慕の情を詠みつつ、それとは無関係に繰り広げられる人々の営みをおもしろがる視点を持ち合わせていました。

 

俳句仙人
厳しい暑さの中旅をしてきた一日の終わりに、その暑さを流れゆく最上川が海に注ぎこんでくれるようだと表現しています。最上川の雄大な自然を題材に、「涼しい」の語を使わずに夏の夕暮れ時の涼を表現した一句です。

 

俳句仙人
光堂とは、平泉中尊寺の金色堂のことです。数百年も前に建てられ、毎年五月雨が降ったであろうに、朽ちることなく今なおまばゆい輝きを放つ姿に感動して詠んだ句です。「夏草や」の句で詠んだように、奥州藤原氏の栄華を伝える多くが当時の姿をとどめていないのに対し、時代を超えて変わらないものもあったことへの感動込められています。

 

俳句仙人
日照東照宮を訪れた時に詠んだ句で、「日の光」には太陽の光と日光という地名の二つの現代語訳がかけられています。初夏の新緑の美しさとともに、降り注ぐ陽の光のように徳川の威光がすみずみまで届いていることを表現しています。

 

俳句仙人
かすかに浮かぶ佐渡の島影と日本海の荒波。その二つを結ぶように、淡く光る天の川が横たわっています。擬人法を用いて、壮観な景色を巧みに表現した句です。佐渡島は古くから流刑地として知られており、権力争いに敗れた天皇や貴族も流されていました。哀しい歴史を背景に、海や島、星といった大自然を眺める芭蕉の姿が感じられます。

 

俳句仙人
かがり火を焚いて賑やかに行われていた鵜飼も、夜がふけ鵜舟も去ってしまうと、何とも言いようのない寂しさだけが残されてしまいます。さらには最初はおもしろがっていた心も、鵜に次々と鮎を飲みこませる姿が憐れに感じ「悲しき」に変化していく様子表現しています。

 

俳句仙人
修行僧と同じように芭蕉も「夏篭り」を体験した時に詠んだ句です。実際の修行場であった滝の裏に入り、流れ落ちてくる水を通して垣間見た外の世界は、普段とは違った景色に見えたことでしょう。

 

秋の俳句【7選】

俳句仙人
澄み渡った秋の空に煌煌と輝く月の美しさを、夜どおしという現代語訳を持つ「夜もすがら」という語を用いて表現しています。自然が生み出す神秘的な光景を前に、芭蕉の目指した「侘び寂び」の世界観が見事に表現した名句です。

 

俳句仙人
菊を用いて長寿を願う「重陽の節句」に詠んだ句で、「菊の香」「奈良」「古き仏」の取り合わせによって、清澄で格調高い雰囲気が感じられます。この時期の奈良には数え切れないほどの菊の花が飾られていたことでしょう。菊の香りが漂うなか、ひっそりと佇む仏像を「仏たち」と人のように例え、尊敬だけでなく親しみを込めて表現しています。

 

俳句仙人
秋がいっそう深まり寂しさが漂う中、隣からかすかに聞こえてくる人の気配に思いを寄せる温かさに満ちた句です。この句は晩年の病床に臥せていた時に詠まれたもので、芭蕉の人懐かしいという内省的な心の叫びを強くさせています。

 

俳句仙人
人生をかけて高みを目指してきた俳諧の道を、秋の夕暮れ時の寂寥たる風景になぞらえて詠んだ句です。「行く人なし」からは、心同じように歩む俳人がいないという孤独感や、誰もいないところにたどり着いたという自負が感じられます。

 

俳句仙人
人の欠点を言うと、後から言わなければ良かったと寒々とした気持ちに襲われます。さらには、その発言により余計な争いや災難を、自ら招き入れることになりかねません。このことから、「口は災いの元」という教訓の句だといえます。

 

俳句仙人
初句の「むざんやな」は謡曲『実盛』の一説を踏まえており、かつて悲劇的な最後を遂げた武将・斎藤実盛を忍んで詠んだ句です。「往古の出来事や謡曲の世界を取り込み、栄枯盛哀の情を哀切に表現しています。

 

俳句仙人
この句は、芭蕉が長旅の疲れも癒えぬまま、再び旅に出る際の様子を詠んだものです。晩秋の季節から、離別の寂しさがよりいっそう身にしみるようです。別れを惜しむ門人たちや親しい人々に見送られ、旅を続ける芭蕉の強い信念が詠み取れます。

 

冬の俳句&無季俳句【3選】

俳句仙人
病気に苦しむ芭蕉の、夢の中でしか自由に駆け回ることができない切なさを、口語的な表現でストレートに詠んでいます。この句は芭蕉が最後に詠んだ俳句として知られ、病床に臥してなお「旅」と「俳句」への執念が感じられます。

 

俳句仙人
これは『奥の細道』の書き出し部分に記載されたもので、芭蕉庵を手放す際、確かに自分がここにいたのだという証を残すため、芭蕉が独吟した初表八句を柱に懸け残したといわれています。これが最後の旅になるかもしれない、そんな想いが感じ取れます。

 

俳句仙人
『奥の細道』の「平泉」の章にある一節で、その後に続く文章のはじまりだと解釈されています。この章は、奥州藤原氏が栄えた証である寺院や遺跡を訪れ、三代にわたる栄華を回想する内容がまとめられています。二堂には彼らの棺や三尊の仏像が安置されており、ようやく訪れることができた日にちょうど開帳していた喜びを感じ取れます。

 

さいごに

 

芭蕉が残したひとつひとつの句に込められた想いや背景を知ると、俳句への理解が深まるだけでなく、松尾芭蕉という人となりも伝わってくるような気がします。

 

芭蕉は生前「平生即ち辞世なり(常日頃から詠む俳句は辞世の句のつもりで詠んでいる)」ということを門人達に伝えていました。

 

一日一日を大切に、目の前のことに全力を注ぐ芭蕉の生き方は、現代を生きる私たちにも通じる信念だといえるでしょう。

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