【松尾芭蕉の有名俳句 50選】知っておきたい!!俳句の特徴や人物像・代表作など徹底解説!

 

五・七・五の十七音に四季を織り込み、詠み手の心情や情景を詠みこむ俳句。

 

名句と聞くと、「松尾芭蕉(まつおばしょう)」の作品を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?

 

 

今回は、俳聖と称された松尾芭蕉の人物像、俳句の特徴や代表作を徹底解説します。

 

俳句仙人

ぜひ参考にしてみてください。

 

松尾芭蕉の特徴や人物像

(松尾芭蕉 出典:Wikipedia)

 

松尾芭蕉(まつお ばしょう)は、江戸時代初めの元禄期に活躍した俳人です。当時は言葉遊びでしかなかった俳諧(はいかい)を、芸術の領域まで高め、俳聖とも称されました。

 

芭蕉が目指したのは、さび、しおり、細み、軽みなどを重んじ、静寂の中の自然の美や人生観を詠みこんだ俳句でした。幽玄・閑寂を尊ぶ句風は「蕉風(しょうふう)」と呼ばれ、多くの共感や賞賛をよび日本各地に広まっていきます。

 

芭蕉は10代後半に仕えた主君の影響により俳諧を学び始め、江戸へ出て武士や商人に俳句を教える傍ら、俳諧師として生きることを決意します。

 

多くの門人を従え、俳諧の世界で成功を収めた芭蕉ですが、40歳を過ぎるころから全国を巡礼しながら俳句を詠むという生き方にたどり着きます。

 

各地を旅する芭蕉は俳句だけでなく、東北・北陸での旅路をまとめた日本紀行文学の最高傑作とも言われる『奥の細道』を残しています。最後は大阪に向かって旅立った道中で体調を崩し、51歳の生涯に幕を閉じました。

 

 

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次に、松尾芭蕉の代表的な俳句を季節(春夏秋冬)別に紹介していきます。

 

松尾芭蕉の有名俳句・代表作【50選】

(松尾芭蕉 出典:Wikipedia)

春の俳句【10選】

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「蛙が古池に飛び込む音が聞こえてきた」という単純な情景ですが、日常的な事物にしみじみとした味わいを見出す芭蕉ならではの名句です。当時は蛙といえば鳴く姿を詠むことが多かったのですが、水の跳ねる音に注目した点は新しい感覚でした。

 

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芭蕉が旅立とうとする時に詠んだ句です。門弟や友人など多くの人が見送りに駆けつけ、別れを惜しむ様子を過ぎ行く春の惜別にかけて歌い上げています。当時の旅は命がけの危険さがあり、東北は方角的に鬼門となることから、不安要素も多かったことでしょう。

 

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「万歳」とは、新年を祝いながら民家を回る民俗芸能のことです。実入りの良い都会を先に廻ることから、田舎は後回しにされていたようです。梅がほころび始める頃にようやく訪れた万歳師を見て、正月気分が舞い戻ってきたかのように感じられます。

 

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すみれは可憐な花ではありますが、慎ましく健気に咲く姿に励まされ、険しい旅の疲れも癒されたことでしょう。山道の木々の切れ間に差し込む光の温かさや春の風情が感じられる一句です。

 

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「草臥れて」は当時の口語表現であった「くたびれて」を現代語訳しています。晩春の夕暮れ時、疲れた身体でふと空を見上げると、淡い紫の藤の花が重く咲き垂れていました。けだるげな藤の風情にそこはかとない旅愁と春愁を誘う句です。

 

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月の光を一身に浴びて輝く桜の花を描いた、日本人の情感に訴える美しい句です。いつまでも眺めていたいと思いながら、その光景は永遠に続くものではありません。やがて月は傾き、幻想的な美しさは儚く消えてしまう、そんな思いも詠みこまれています。

 

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激しく流れ落ちる滝の音がいつまでも耳に響くような、聴覚に焦点を当てた斬新な一句です。自然に散っていく山吹の姿に、旅に生きる自分の人生を重ね合わせ儚さを感じています。

 

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「鐘」とは、江戸の生活に欠かせない「時を告げる鐘の音」のことです。上野と浅草は、当時芭蕉が住んでいた「芭蕉庵」からは等距離にあったようで、どちらからも鐘の音が聞こえてきたことでしょう。句作に没頭するある春の日、ふと聞こえてきた鐘の音で一気に現実の世界に引き戻される芭蕉の姿が詠み取れます。

 

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梅の香りに誘われるように、ひょっこりと顔を出した朝日を「のつと」という俗語を用いて表現しています。これは芭蕉が目指した「軽み(身近な題材の中に美しさを見出し、平明な言葉で表現すること)」の実践句でもありました。清涼感溢れる山路の風景から、春の訪れを喜ぶ様子が伝わってきます。

 

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この句は作者が『おくのほそ道』の旅に出る前に、住んでいた芭蕉庵を引き払う際に詠まれています。次に住む家族のためにこの俳句を書いて柱に掛けておくところから『おくのほそ道』の旅がスタートする始まりの一句です。

 

夏の俳句【17選】

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芭蕉がこの句を詠んだ山形県の立石寺とは、大きな岩が重なったような山に建てられた寺院です。その静けさの中で聞こえてくる蝉の声は、周りの岩にしみ透っていき、なお静寂を引き立たせるようだと表現しています。静寂がもたらす無の世界で、己の心を見つめる芭蕉の姿が目に浮かんでくるようです。

 

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当初の句会では「五月雨を 集めて涼し 最上川」と詠んでおり、涼風を運びながら穏やかに流れる様子を表現していました。しかし実際の最上川は日本三大急流に数えられるほど流れが早く、長雨により増水した川はより危険さを増していたはずです。川下りで激流を体験した芭蕉は、思わず「集めてはやし」と句の内容を変更したといわれています。

 

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平安時代に奥州藤原氏が栄華を誇った場所として知られている、平泉(現在の岩手県)を訪れたときに詠んだ句です。夏草だけが生い茂る屋敷跡を目の当たりにし、「すべては短い夢のようだ」と無常観を表現しています。自然の雄大さと人の世の儚さを対比し、無残にも果てた者達への供養や鎮魂の意が込められた句です。

 

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芭蕉にとって憧れの人物である伝説的歌人・西行法師が立ち寄ったとされる有名な柳の木を前に詠んだ句です。柳に見とれ西行へ想いを馳せますが、ふと気付くと田畑には毎年変わることのない農民の働く姿がありました。西行への深い思慕の情を詠みつつ、それとは無関係に繰り広げられる人々の営みをおもしろがる視点を持ち合わせていました。

 

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厳しい暑さの中旅をしてきた一日の終わりに、その暑さを流れゆく最上川が海に注ぎこんでくれるようだと表現しています。最上川の雄大な自然を題材に、「涼しい」の語を使わずに夏の夕暮れ時の涼を表現した一句です。

 

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光堂とは、平泉中尊寺の金色堂のことです。数百年も前に建てられ、毎年五月雨が降ったであろうに、朽ちることなく今なおまばゆい輝きを放つ姿に感動して詠んだ句です。「夏草や」の句で詠んだように、奥州藤原氏の栄華を伝える多くが当時の姿をとどめていないのに対し、時代を超えて変わらないものもあったことへの感動込められています。

 

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日照東照宮を訪れた時に詠んだ句で、「日の光」には太陽の光と日光という地名の二つの現代語訳がかけられています。初夏の新緑の美しさとともに、降り注ぐ陽の光のように徳川の威光がすみずみまで届いていることを表現しています。

 

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かがり火を焚いて賑やかに行われていた鵜飼も、夜がふけ鵜舟も去ってしまうと、何とも言いようのない寂しさだけが残されてしまいます。さらには最初はおもしろがっていた心も、鵜に次々と鮎を飲みこませる姿が憐れに感じ「悲しき」に変化していく様子表現しています。

 

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修行僧と同じように芭蕉も「夏篭り」を体験した時に詠んだ句です。実際の修行場であった滝の裏に入り、流れ落ちてくる水を通して垣間見た外の世界は、普段とは違った景色に見えたことでしょう。

 

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この句は、芭蕉が自身の禅の師匠が住んでいたという庵を訪ねた時に詠まれた句です。すぐに壊れてしまうだろう庵が未だに残っていたことに感動してこの句を柱に掛けたと言われています。

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月山は山形県にある出羽三山のひとつです。湧き上がっては崩れていく雲の姿を見ながら登頂している時間経過が「いくつ崩れて」という表現から伺えます。

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「西施」とは古代中国の美女の1人で、胸の病のためにまぶたを伏せて俯いている様子で有名です。雨に降られたねぶの花の様子を西施に例えて、象潟の風景の美しさを称えています。

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山形県にある湯殿山は、古来より「湯殿詣で」で有名な場所です。修験道の修行の内容を一切語ってはならないという戒めは現在でも受け継がれていて、写真撮影などが禁止されているエリアになっています。

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この句で「御目」と表現されているのは、奈良県の唐招提寺にある鑑真和上の像の目です。『笈の小文』という紀行文の旅で奈良県に訪れた作者は、みずみずしい若葉とその露に濡れた像を見て感動しています。

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ひっそりと軒下に咲いている栗の花を見かけた時に詠んだ一句です。栗の花は白く房のように垂れ下がる花で普段から意識されないもののため、「世の人」は気が付かないのだという自負も伺えます。

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この句は栃木県那須塩原市にある「殺生石」という名所の近くを旅していたときに詠まれた俳句です。馬を引いていた馬子に一句求められ、気軽に応じている親しみやすさを感じます。

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この句は『おくのほそ道』の旅の途中で、山越えの難所の近くで悪天候に合い、宿を借りた時に詠まれた一句です。この「宿」は現存しており、俳句の印象と比べてかなり大型で裕福な民家であったことから、旅先での悪天候の不安が表れているようです。

 

秋の俳句【16選】

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澄み渡った秋の空に煌煌と輝く月の美しさを、夜どおしという現代語訳を持つ「夜もすがら」という語を用いて表現しています。自然が生み出す神秘的な光景を前に、芭蕉の目指した「侘び寂び」の世界観が見事に表現した名句です。

 

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菊を用いて長寿を願う「重陽の節句」に詠んだ句で、「菊の香」「奈良」「古き仏」の取り合わせによって、清澄で格調高い雰囲気が感じられます。この時期の奈良には数え切れないほどの菊の花が飾られていたことでしょう。菊の香りが漂うなか、ひっそりと佇む仏像を「仏たち」と人のように例え、尊敬だけでなく親しみを込めて表現しています。

 

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秋がいっそう深まり寂しさが漂う中、隣からかすかに聞こえてくる人の気配に思いを寄せる温かさに満ちた句です。この句は晩年の病床に臥せていた時に詠まれたもので、芭蕉の人懐かしいという内省的な心の叫びを強くさせています。

 

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人生をかけて高みを目指してきた俳諧の道を、秋の夕暮れ時の寂寥たる風景になぞらえて詠んだ句です。「行く人なし」からは、心同じように歩む俳人がいないという孤独感や、誰もいないところにたどり着いたという自負が感じられます。

 

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人の欠点を言うと、後から言わなければ良かったと寒々とした気持ちに襲われます。さらには、その発言により余計な争いや災難を、自ら招き入れることになりかねません。このことから、「口は災いの元」という教訓の句だといえます。

 

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初句の「むざんやな」は謡曲『実盛』の一説を踏まえており、かつて悲劇的な最後を遂げた武将・斎藤実盛を忍んで詠んだ句です。「往古の出来事や謡曲の世界を取り込み、栄枯盛哀の情を哀切に表現しています。

 

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この句は、芭蕉が長旅の疲れも癒えぬまま、再び旅に出る際の様子を詠んだものです。晩秋の季節から、離別の寂しさがよりいっそう身にしみるようです。別れを惜しむ門人たちや親しい人々に見送られ、旅を続ける芭蕉の強い信念が詠み取れます。

 

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かすかに浮かぶ佐渡の島影と日本海の荒波。その二つを結ぶように、淡く光る天の川が横たわっています。擬人法を用いて、壮観な景色を巧みに表現した句です。佐渡島は古くから流刑地として知られており、権力争いに敗れた天皇や貴族も流されていました。哀しい歴史を背景に、海や島、星といった大自然を眺める芭蕉の姿が感じられます。

 

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この句は現在の新潟県糸魚川市で宿を取ったときに、隣室に遊女たちが泊まっていたことがきっかけで詠まれています。遊女の華やかさと「萩」と「月」という秋を代表する自然の対比が、より両者の美しさを際立たせている句です。

 

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ここで詠まれている「石山」とは、石川県那谷寺の境内のことです。古代中国の陰陽五行説では四季に色を当てはめますが、秋は白ということで岩の白さとともに風も白いと詠まれた句です。

 

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菊の花は不老長寿のシンボルとされていて、99日の重陽の節句では菊酒など菊を用いた儀礼が多く残っています。この句は重陽の節句の翌日に詠まれたもので、温泉の効能を菊になぞらえて褒めたたえている一句です。

 

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立秋を過ぎたあとの暑さを嘆く和歌や俳句は多くあります。気温が高く日光が照りつける中で、ふと吹いた風から秋の気配を感じています。

 

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元となった「月見てや 常盤の里へ かへるらん 義朝殿に にたる秋風」という歌があります。芭蕉が義朝の妻である常盤御前の塚の前で詠んだ句で、戦に敗れた上に妻もその後亡くなった義朝の悲しみを強く感じている一句です。

 

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「文月」とは7月の異称のため、文月六日は七夕の前日にあたります。七夕飾りを作ったり、儀礼のための食事を作ったりと常日頃の夜とは少し違った高揚感が見て取れる句です。

 

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この句は『おくのほそ道』の旅の途中で同行者である曽良が体調を崩し、1人で旅をすることになった時に詠まれています。1人きりの旅になったことの悲しみを笠に付いた露に託している一句です。

 

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「有磯海」とは現在の富山湾西部の海のことで、万葉集の時代から歌枕として有名でした。『おくのほそ道』の記述から富山湾を一望できる場所で詠んだとされていて、句碑が立てられている場所から少し進むと絶景が拝めます。

 

冬の俳句&無季俳句【7選】

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病気に苦しむ芭蕉の、夢の中でしか自由に駆け回ることができない切なさを、口語的な表現でストレートに詠んでいます。この句は芭蕉が最後に詠んだ俳句として知られ、病床に臥してなお「旅」と「俳句」への執念が感じられます。

 

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これは『奥の細道』の書き出し部分に記載されたもので、芭蕉庵を手放す際、確かに自分がここにいたのだという証を残すため、芭蕉が独吟した初表八句を柱に懸け残したといわれています。これが最後の旅になるかもしれない、そんな想いが感じ取れます。

 

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『奥の細道』の「平泉」の章にある一節で、その後に続く文章のはじまりだと解釈されています。この章は、奥州藤原氏が栄えた証である寺院や遺跡を訪れ、三代にわたる栄華を回想する内容がまとめられています。二堂には彼らの棺や三尊の仏像が安置されており、ようやく訪れることができた日にちょうど開帳していた喜びを感じ取れます。

 

【NO.4】

『 あら何ともなや 昨日は過ぎて 河豚(ふぐと)汁 』

季語:河豚汁(冬)

現代語訳:ああ何ともなかったようだ。河豚汁を食べた昨日は過ぎ去って今日を迎えることができた。

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現代では免許制度で比較的安全が保証されている河豚ですが、江戸時代では死亡例が多くある食べ物でした。それでも江戸時代の人々は河豚を好んでいたらしく、芭蕉のように緊張しながらも堪能していた様子を詠んだ様子が残されています。

 

【NO.5】

『 いざさらば 雪見にころぶ 所まで 』

季語:雪見(冬)

現代語訳:さあお暇しましょう。雪を見に転ぶところまで行ってみましょう。

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何度か推敲が重ねられた句で、「いざ行かむ」という初句のものがあります。雪見の宴への期待感が「いざ」という気合いの入った表現や、「ころぶ所まで」という積極的な様子から伺える句です。

 

【NO.6】

『 人々を しぐれよ宿は 寒くと 』

季語:しぐれ/時雨(冬)

現代語訳:句会の座敷が寒くなっても構わない。集まった人々とともに時雨の風情と詫びを楽しもうではないか。

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故郷の伊賀で行われた句会の際に詠まれた一句で、侘び寂びの精神を遺憾なく発揮しています。しとしとと降る時雨と底冷えのする空気こそが句会に相応しいのだという芭蕉一門の気概が見えるようです。

 

【NO.7】

『 海くれて 鴨のこえほのかに 白し 』

季語:鴨(冬)

現代語訳:海に夕暮れが来て、ほのかに白い影から鴨の声がする。

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「白し」とされているものについて、鴨自体を表すという説と、鳴き声を「白い」と表現した説があります。この句を詠んだときの芭蕉は緊張する句会が連続していて、ふと気が抜けたときの心情が零れたのが「白し」という三音だけの結句とも考えられます。

 

さいごに

(松尾芭蕉 出典:Wikipedia)

 

今回は、松尾芭蕉の代表的な俳句を50句紹介しました。

 

芭蕉が残したひとつひとつの句に込められた想いや背景を知ると、俳句への理解が深まるだけでなく、松尾芭蕉という人となりも伝わってくるような気がします。

 

芭蕉は生前「平生即ち辞世なり(常日頃から詠む俳句は辞世の句のつもりで詠んでいる)」ということを門人達に伝えていました。

 

一日一日を大切に、目の前のことに全力を注ぐ芭蕉の生き方は、現代を生きる私たちにも通じる信念だといえるでしょう。

 

俳句仙人

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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