【与謝蕪村の有名俳句 35選】春夏秋冬!!俳句の特徴や人物像・代表作など徹底解説!

 

四季折々の美しさや読み手の心情を表現する「俳句」の世界。

 

五・七・五の十七音という限られた文字数で、情緒や風景を伝えるという広がりを持った表現が魅力です。

 

名句を残した俳人といえば、「江戸の三大俳人」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

 

今回はその内の一人・与謝蕪村の有名俳句(代表作)をご紹介します。

 

 

俳句仙人

ぜひ参考にしてみてください。

 

与謝蕪村の人物像と作風

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(与謝蕪村 出典:Wikipedia)

 

与謝蕪村(16441694年)は江戸時代中期に活躍した俳人で、松尾芭蕉・小林一茶とともに「江戸の三大俳人」に数えられた人物です。

 

摂津国(現在の大阪府都島区)に生まれた蕪村は、芭蕉に大きな影響を受け、江戸にでて俳諧を学び始めます。

 

のちに芭蕉の旅をなぞるため、北関東から東北までを中心に長い放浪生活を送っていることからも、憧れの強さがうかがいしれます。

 

蕪村は芭蕉没後、独創性を失い衰退していく俳諧を憂い、格調高いものに復興させようと「蕉風回帰」を唱えました。こうした取り組みと、写実的で抒情豊かな句風で当時の俳諧を牽引したことから、「中興の祖」とも称されています。

 

また、独学でありながら画の才能を発揮した蕪村は、俳人としてではなく画家で生計を立てていました。俳諧と画を融合させた「俳画」の創始者となり、後に文人画(文人・知識人の描く絵画)を究めていきます。

 

 

画家としての一面は句作にも大きく影響しており、優れた色彩感覚と写実的な手法によって「絵のように俳句を詠む」ことを得意としました。

 

俳句仙人

蕪村の句を詠むと、その情景が読み手にも一枚の絵のように浮かんでくることでしょう。

 

与謝蕪村の有名俳句・代表作【35選】

俳句仙人

ここからは、与謝蕪村の有名俳句を季節(春夏秋冬)別に紹介していきます。

春の俳句【8選】

 

俳句仙人
「のたり」を繰り返すことで、ゆるやかにのんびりとした印象を与えています。優しく波打つ海には、うららかな日差しが差し込み、きらきらと照り輝いています。そんな穏やかな海の様子と春の陽気が作者をゆったりと過ごさせているのでしょう。「終日」と詠むことで、春の情景をいつまでも眺めている幸福感が伝わってきます。

 

俳句仙人
菜の花の黄色、月が昇る空の紺、日が沈む夕焼けの赤と鮮やかな色彩に溢れ、雄大な光景を絵画的に描いた一句。「月は東に」と「日は西に」という言葉には対句法が用いられており、両者の対比によってスケールの壮大さや空間の広がりを生み出しています。また「昇る」「沈む」といった動詞を省略することで、ゆったりとした余情を生み、春の一日の終わりにふさわしい、穏やかな雰囲気を醸し出しています。

 

【NO.3】

『 春雨や ものがたりゆく 蓑と傘 』

季語:春雨(春)

現代語訳:春雨がしとしっと降りそそぐ中を、蓑を着た人と傘をさした人が何事か話しながら、ゆっくりと歩いていく。

俳句仙人
人物を「蓑(みの)」と「傘」に置換え象徴的に表現し、対比させたところに春雨の風情をよりいっそう際立たせています。情景だけはくっきりと浮かび上がりますが、歩いていく二人は詳しく描かれていません。性別や年齢、職業などどんな人物なのかは分からず、二人の話す呟きも、春雨のしとしとと降る音に混ざり合っていきます。読む人の想像をかきたて一句です。

 

【NO.4】

『 はるさめや 暮れなんとして けふも有り 』

季語:はるさめ(春)

現代語訳:春雨が降っているなぁ。日が暮れようとして今日もまた一日が終わる。

俳句仙人
「けふも」という表現から、春雨が何日か前から降り続いていることがわかります。今日も雨が降ったまま日が暮れていく、という日々の営みとどこか気だるげな春の陽気を詠んだ句です。

 

【NO.5】

『 行く春や 重たき琵琶の 抱き心 』

季語:行く春(春)

現代語訳:過ぎ去っていく春の日だ。琵琶を弾こうと膝に抱いても、重く感じる物憂げな心である。

俳句仙人
琵琶を弾こうと持ち上げてもどこか物憂げな気分になっている様子を詠んだ句です。春は気だるさや物憂げな様子を詠むことが多く、のどかな気候に作者もぼんやりとしています。

 

【NO.6】

『 雲を呑んで 花を吐くなる よしの山 』

季語:花(春)

現代語訳:雲が山を呑み込むように広がり、桜の花びらを吐き出しているように見える吉野山だ。

俳句仙人
雲に隠された吉野山の桜の様子を詠んだ句です。雲の切れ間から桜の花びらが散っていく様子だけが見えるのか、雲が花だけを吐き出しているように見えるという面白い表現になっています。

 

【NO.7】

『 うつつなき つまみ心の 胡蝶かな 』

季語:胡蝶(春)

現代語訳:止まっている胡蝶をつまみ上げるようにどこか夢のようなぼんやりとした心であることだ。

俳句仙人
この句は「胡蝶の夢」という夢と現実の境目を題材にした故事を下敷きにしています。「春眠暁を覚えず」とも言うとおり、春は夢とも関連付けられる季節で、ぼんやりとした気持ちを夢のような胡蝶の姿に託した一句です。

 

【NO.8】

『 しら梅に 明くる夜ばかりと なりにけり 』

季語:しら梅(春)

現代語訳:家の外に白梅が咲いている。白梅が白々と輝く夜明けを迎える季節になった。

俳句仙人
作者の辞世の句です。病床から家の外を眺め、夜明けと共に白梅が白く輝く様子を見ながら、自身の寿命も夜明けまでのあと少しの時間であると実感している一句です。

 

夏の俳句【9選】

 

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「うれしさよ」という語から、心地よい川の水の冷たさや、童心にかえったような高揚感が伝わる句です。この歌は蕪村の母親の生地であった丹後地方で詠まれたもので、かつて蕪村も少年時代を一時期過ごした地でもありました。このことから、亡き母を偲びつつ自身の幼い頃への情景を詠みこんでいると解釈されています。

 

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夏の夕立の激しさと、慌てて雨を避けようと草陰に隠れる健気な雀の群れを詠んだ句です。雀たちは、夕立のあまりの激しさに飛び立つこともできず、草葉をしっかりと掴んでやり過ごすことしかないのでしょう。「むら雀」と体言止めで句を結ぶことで余韻が生まれ、急な天候の変化の立ち向かう小さな生き物へのたくましさや作者の愛おしい視線が感じられます。

 

【NO.3】

『 愁ひつつ 岡に登れば 花いばら 』

季語:花いばら(夏)

現代語訳:心に憂いを抱きながら岡に登ると、そこには花いばらがひっそりと咲いていた。

俳句仙人
「花いばら」とは、白く可憐な花を咲かせる野ばらのことです。漠然としたもの悲しさと対比するように、花いばらの清らかな美への詠嘆を詠んでいます。蕪村は【花いばら 故郷の路に 似たるかな】という句も残していることから、花いばらは郷愁を感じさせる花だったようです。爽やかな初夏の景色の中に漂う哀愁を、みずみずしく表現しています。

 

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梅雨のため川は増水し、濁流となって流れるほとりには、心細げな小さな家が寄り添うように建っています。「家二軒」を配することで、自然の猛威になすすべなく息を潜める人々の姿が想像されます。動的な「大河」と静的な「家」との対比が強調されており、一幅の絵画のようにも感じられる句です。

 

【NO.5】

『 不二ひとつ うづみ残して 若葉かな 』

季語:若葉(夏)

現代語訳:富士山だけを残して、見渡す限り若葉が地上を埋め尽くしていることだなあ。

俳句仙人
薄黄緑の若葉があたり一面に広がる中、残雪を白く頂いた富士山だけが抜きん出ている様子を詠んでいます。初夏のきらきらとした雄大な光景を色彩豊かに表現し、蕪村の絵心を余すことなく発揮した一句。「もうすっかり夏が来たのだなあ」としみじみ眺め入る作者の姿が目に浮かびます。

 

【NO.6】

『 牡丹散りて うち重なりぬ ニ三片 』

季語:牡丹(夏)

現代語訳:美しく咲き誇っていた牡丹の花がはらりと散り始め、大きな花びらが二、三片、静かに重なり合っている。

俳句仙人
原産国の中国では、百花の王として尊ばれる牡丹の花。その堂々たる姿や、大ぶりな花びらを絵画的な趣きで表現しています。「うち重なりぬ」と詠嘆を込めて詠むことで、静かに散っていく様子や牡丹の重厚感が伝わってきます。

 

俳句仙人
「夜半」とは「夜が深くなってきた時間帯から明け方の直前まで」の時間帯を指すため、江戸時代としてはかなり遅い時間に作者の時間を訪ねてきています。遅い時間なので家で休むことを進めている作者の友情を感じる一句です。

 

俳句仙人
「平安城」とは平安京、京都の街並みのことで、現在でも碁盤の目の区画になっていることで知られています。ホトトギスは姿がよく見えない明け方に鳴くと言われており、見えない鳥の姿を鳴き声から「斜めに飛んでいる」と想像した作者の発想力が光る句になっています。

 

【NO.9】

『 ところてん 逆しまに銀河 三千尺 』

季語:ところてん(夏)

現代語訳:つるりとしたところてんは、まるで逆さまになった三千尺もの銀河のようだ。

俳句仙人
「三千尺」という表現は唐の詩人である李白の漢詩から取られています。滝が落ちる様子を三千尺と例えた李白に対し、作者は三千尺の銀河をところてんに例えるというユーモアあふれる表現にしているのが面白い句です。

 

秋の俳句9選】

 

俳句仙人
「野分」とは、草を吹き分けて通る強い秋風のことで、主に台風がもたらす風を指します。この句は実際の風景を詠んだものではなく、鳥羽上皇崩御を機に起きた「保元の乱」に想を得たとされています。野分が吹き荒れる中、疾走する武士達の緊張感が伝わってくるようです。このように史実や物語を題材とした句も蕪村の得意とするところでした。

 

俳句仙人
初句で「朝顔や」とあちこちに咲く朝顔の花の美しさを強調し、「一輪深き 淵の色」と続け、その一輪が美の代表格であるかのように詠んだ句。朝顔の深い藍色を「淵の色」にと形容とすることで、幽遠な色に仕上げています。自然のもつ底知れぬ色彩美への驚きが伝わってきますね。

 

俳句仙人
遠景の「山は暮れて」と、近景の「野は黄昏の」を対句的に描写し、どこか懐かしい秋の夕暮れを印象深く描いています。暮れ色が迫る中、かすかに残る黄昏の光を浴びて白く輝くすすきはなんとも幻想的で、かつ物寂しい風情を感じさせます。初句の字余りの響きが、かえってこの句にゆったりとした時間の流れを醸し出しているようです。

 

俳句仙人
実際に野菊の中から子狐が顔を見せていたのか、狐たちが遊んでいそうな花畑だと思っていたのか解釈が分かれる句です。大輪の菊ではなく小ぶりの野菊を使うことで、小さな狐たちが遊んでいる様子が想像しやすくなっています。

 

俳句仙人
地面に散らばる赤という絵画のような風景を詠んだ一句です。台風一過のため空は青空だったと考えると、空の青と地の赤という対比がよく映える俳句になっています。

 

俳句仙人
俳句の世界で「おどり」と表現されたときは盆踊りを指します。大勢の人で賑わっていた時間帯と月が照らす現在を比べて、もの寂しげな様子を詠んだ句です。

 

【NO.7】

『 月天心 貧しき町を 通りけり 』

季語:月(秋)

現代語訳:月が天高く昇り、貧しい町を通りかかった。

俳句仙人
「月天心」とは中国の宋の時代の漢詩である「清夜吟」の一節を踏まえています。「貧しき町」とは長屋など小さい家ばかりの場所のことを指していて、作者の見ていた風景をよく表しています。

 

【NO.8】

『 柳ちり 清水かれ 石ところどころ 』

季語:柳ちり(秋)

現代語訳:遊行柳の葉も散り、清水も枯れて石がところどころに見えている秋の風景だ。

俳句仙人
「遊行柳」とは松尾芭蕉も訪れた場所で、栃木県那須町にあります。西行法師ゆかりの名所として古くから知られていたために作者も訪れましたが、西行法師や松尾芭蕉と違って秋に訪れたため青々とした柳ではない風景を見ています。

 

【NO.9】

『 笛の音に 波もよりくる 須磨の秋 』

季語:秋(秋)

現代語訳:かの平敦盛の青葉の笛のような音に、波も寄ってくる須磨の秋だ。

俳句仙人
「須磨」と「笛の音」というキーワードから、平家物語の平敦盛のエピソードを下敷きにしているとわかる句です。また、「須磨の秋」は源氏物語にも見られるエピソードで、もの寂しく郷愁を誘う印象を強く持たせます。

 

冬の俳句【9選】

 

俳句仙人
冬木立の秘められた生命力に触れた時の驚きを、鋭い感覚で捉えた一句です。葉もすっかり落ちてしまい、枯れ木のようになった「冬木立」でも生のエネルギーを潜ませており、やがて来る春には芽を吹き若葉で覆われることでしょう。すがすがしい木の生きた香りまでもが伝わってくるようです。

 

俳句仙人
冬の凍えるような寒空に輝く月を、絵画的な趣きで詠んだ句です。天高くにある寒月から地上の門さえない慎ましやかな小さな寺への視線の動きが、句の世界に奥行きを与えています。月のかかる澄み切った空は高く広がるように見え、寺はいよいよひっそりと静まって感じられますね。

 

【NO.3】

『 宿かせと 刀投げ出す 吹雪かな 』

季語:吹雪(冬)

現代語訳:激しい吹雪の中、旅の侍が家に飛び込んできて「一夜の宿を貸してくれ」というより早く、腰の刀を投げ出した。

俳句仙人
屈強な武士といえど、歩けないほどの激しい吹雪はさぞかし心細かったのでしょう。その粗雑な所作が、雪にまみれた武士の安心感を強く印象づけています。さらには突然ころがり込んできた武士に、困惑した表情を浮かべる家人の姿もありありと想像されるなど、様々な想像力がかきたてられる味わいある一句です。

 

【NO.4】

『 ふぐ汁の 我活きて居る 寝覚めかな 』

季語:ふぐ汁(冬)

現代語訳:ふぐ汁を食べたが、私は生きていると実感する寝覚めであることだ。

俳句仙人
松尾芭蕉にも同じような句がありますが、江戸時代のふぐ料理には現在のような免許がなく、中毒死してしまうこともありました。好物を食べたあととはいえ緊張して夜を過ごし、無事に朝を迎えたことに安心しています。

 

【NO.5】

『 暮まだき 星の輝く 枯野かな 』

季語:枯野(冬)

現代語訳:日が暮れ切るまでにまだ時間があるが、空にはもう星が輝いている枯れ野の風景であることだ。

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「暮まだき」とは日没後に完全に夜になる前の時間帯のことです。まだほんのりと明るい空ですが、冬の明るい星々が輝き始めている絵画のような一句になっています。

 

【NO.6】

『 西吹けば 東にたまる 落葉かな 』

季語:落葉(冬)

現代語訳:西風が吹けば東の方向にたまっていく落ち葉であることだ。

俳句仙人
「西風がふけば落ち葉は東にたまる」という当たり前のことをそのまま詠んだ句です。ただし、この句の解釈として「風が吹いて当たり前のように飛ばされていく落ち葉に作者自身を重ねている」とするものがあります。

 

【NO.7】

『 御火焚や 霜うつくしき 京の町 』

季語:御火焚(冬)

現代語訳:御火焚きが行われているなあ。火に照らされて霜が美しく光っている京の町だ。

俳句仙人
「御火焚」とは京都を中心に神社で行われる祭礼の1つです。京都の街ならではの風景で、夜中に行われることも多く、火に照らされた霜がキラキラと光っていることに着目しています。

 

【NO.8】

『 葱買うて 枯木の中を 帰りけり 』

季語:葱(冬)

現代語訳:ネギを買って、枯れ木並木の中を帰っていった。

俳句仙人
まるで現在でも通じるような買い物帰りの様子を詠んだ一句です。ネギは庶民にとって欠かせない冬の野菜で、買って帰ったあとの人たちの生活の様子が色々と想像できる句になっています。

 

【NO.9】

『 寒菊や 日の照る村の 片ほとり 』

季語:寒菊(冬)

現代語訳:寒菊が咲いているなぁ。冬の日が照らしている村のとある片隅に。

俳句仙人
「寒菊や」で切ることで、冬という花の少ない時期にも咲いている寒菊を強調しています。冬の太陽の光を受けて、寒くても懸命に咲いている様子を称えた一句です。

 

さいごに

 

今回は与謝蕪村が残した名句の中から、春夏秋冬にあわせ代表作をご紹介してきました。

 

叙情性豊かで絵画的な俳句の世界をお楽しみいただけたのではないでしょうか。

 

蕪村の句風は写実的でありながら、目の前の風景をそのまま表現するというよりは、懐古的憧憬や理想化された空想世界を多く詠んでいます。

 

これこそが蕪村の最大の魅力であり、現代を生きる私たちの心に響くゆえんなのでしょう。

 

俳句仙人

最後まで読んでいただきありがとうございました。