【松島やああ松島や松島や】俳句の季語や意味・場所(何県)・作者を徹底解説!!

 

俳句は五・七・五の十七音から成る世界最短の定型詩で、日本が誇る伝統芸能の一つです。

 

限られた文字数の中で、人々の心情や情景を伝えるという広がりを持った表現が俳句の魅力といえます。

 

そんな数ある名句の中でも特に有名な「松島やああ松島や松島や」という句、一度はみなさんも耳にしたことがあるのではないでしょうか?

 

 

繰り返し詠まれる松島とはどのような場所なのか、またこの句を詠んだ作者についても気になりますよね。

 

今回は「松島やああ松島や松島や」の季語や意味・作者について徹底解説していきます。

 

「松島やああ松島や松島や」俳句の季語・意味・場所(何県)

季語

松島や ああ松島や 松島や

 

こちら句には俳句の基本ともいえる季語が含まれていません。このように季語や季節感を持たない俳句のことを「無季俳句」と呼びます。

 

実は季語の有無については、俳句が盛んであった江戸時代から議論されている問題でした。

 

松尾芭蕉の門人・向井去来は著書『去来抄』の中で、

 

「先師曰く、発句も四季のみならず、恋、旅、離別等、無季の句もありたきものなり。(芭蕉は、恋、旅、離別などを詠む場合は、無季の句があってもよいのではないかといった)」

 

と述べています。

 

事実、松尾芭蕉もいくつかの無季俳句を残しており、「歩行ならば杖つき坂を落馬かな」などがあります。

 

意味

こちらの句は現代語訳すると・・・

 

「松島という場所はなんと表現したらよいのだろうか・・・本当に松島は・・・」

 

という意味になります。

 

松島というあまりの絶景を前に、作者の言葉が出てこない様子が感じとれます。

 

場所は現在の何県?

この句に詠まれている松島とは、一体どんな場所だったのでしょうか。

 

松島は、宮城県の松島湾内外にある大小260余りの諸島の総称です。また、それら諸島と松島湾周囲を囲む松島丘陵も含めて呼ぶこともあります。

 

松島は京都の天橋立や広島の宮島とともに、「日本三景」の一つに数えられるほど、国内でも有数の名勝地です。陸地から臨む雄大な海には、いくつもの島が点在し、日本らしい風情豊かな景色が広がります。

 

松島は古くは平安時代に歌枕の地として知られていましたが、松尾芭蕉の『奥の細道』の中で紹介されてからは、全国的にその名が広まり文人墨客を中心に多くの人々が訪れました。

 

さらに松島は月の名所としても知られており、相対性理論を発表したアルベルト・アインシュタインも月見をするためにわざわざ松島をまで訪れ、名月を楽しんだといわれています。

 

松島の美しさはいつの時代も変わることなく人々を魅了しています。

 

「松島やああ松島や松島や」の作者は松尾芭蕉ではなく「田原坊」!

(名勝美人会 陸前 松島 出典:Wikipedia)

 

松尾芭蕉が松島を訪れた際、「あまりの美しさに言葉が浮かばずこう詠むしかなかった」という逸話が残されています。

 

しかし、実際は芭蕉の句ではありません。

 

芭蕉の松島への憧れは強く、『奥の細道』の冒頭でも「松島の月先心にかゝりて」と述べ旅を始めるほどでしたが、なぜかこの中では松島に関する俳句を残していませんでした。

 

どうやらその場で句が思い浮かばなかったのは事実のようで、句は詠んだものの風光明媚な松島に釣りあうものができなかったともいわれています。

 

では本当の作者とは一体誰なのでしょうか?

 

近年の研究により、芭蕉の時代よりも下った江戸時代後期に狂歌人の田原坊(たわらぼう)の作だとされています。

 

桜田周甫の記した『松島図誌』という現代でいうと旅行ガイドブックに、田原坊の「松嶋や さてまつしまや 松嶋や」という句が収められています。

 

当時は松島の宣伝用のキャッチコピーとしてつくられたものでしたが、「さて」を「ああ」に変えられ、芭蕉が詠んだ句として広まってしまったのが真相のようです。

 

同書には、「芭蕉が松島の絶景に圧倒され句を詠めなかった」というエピソードも掲載されたため、この句の作者が松尾芭蕉だと混同して今に伝えられたのかもしれません。

 

「松島やああ松島や松島や」の魅力とは?筆者の感想

(松島五大堂図 出典:Wikipedia)

 

こちらの句には、ほかの有名俳句と比較したとき季語はおろか切れ字や比喩法など、俳句らしい表現技法は使われていません。

 

ただ、そういった表現技法を用いていないからこそ、普段俳句に親しみが無い人でも広く受け入れられたのでしょう。

 

もしくは、松島の絶景は四季折々いつでも美しいということを伝えたかったのか、あえて季語を入れたくなかったのかもしれませんね。

 

きっと当時の世の人々は、言葉を失ってしまうほどの松島の素晴らしい眺めとは一体どんなものなのか、興味をかきたてられたはずです。

 

写真やWEBサイトなどない江戸時代において、これほどまでに松島の情景や魅力を伝えているという点では、個人的に素晴らしい俳句だと感じています。

 

 

おまけ

 

じつは、『奥の細道』の道中に芭蕉の旅に付き添っていた弟子の「河井曾良」が松島についての句を詠んでいます。

 

「松島や 鶴に身をかれ ほととぎす」

 

(意味:松島の絶景にふさわしく、鶴の毛衣を借りて優雅に鳴きわたれ。今鳴いているほととぎすよ。)

 

(松尾芭蕉"左" 曾良"右" 出典:Wikipedia)