日本に古くから伝わる文章の一つである俳句。
最近では、授業で習ったり趣味としてよむ人も多くなってきました。
今回はそんな数ある俳句の中でもよく耳にする「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな」という句をご紹介します。
鴨居。春の海終日のたりのたりかな という句がとても合う。雰囲気がのんびりしてた。 pic.twitter.com/JzuHldOMhQ
— Takafumi (@takahumiat) May 7, 2017
こちら句は精錬された言葉が並び、奥深い味わいがあるため、「この句について詳細を知りたい!」という方も大勢いらっしゃるかと思います。
そこで今回は、「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな」の季語や意味・表現技法・作者について徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
「春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな」の季語や意味・詠まれた背景
春の海 終日のたり のたりかな
(読み方:はるのうみ ひねもすのたり のたりかな)
この俳句を詠んだのは、与謝蕪村(よさぶそん)。
江戸時代に活躍した俳人で、彼の俳句は今もなお親しまれています。
季語と意味
季語は【春の海】。季節は【春】になります。
のこの句の意味を現代語訳すると・・・
「空はうららかに晴れ渡って、春の海には波がゆるやかにうねりを描いて、1日中のたりのたりと寄せては返している」
という意味になります。
ひねもすとは「終日」と書き、「1日中」という意味を表しています。また、「のたりのたり」とは、ゆるやかにのんびりと動く様子を表現した言葉です。
この句が詠まれた背景
この句は与謝蕪村の生まれ故郷である、丹後与謝(現在の京都府北部・丹後半島にある与謝野町のこと)の海の姿を詠んだ句だと言われています。
春の海は、寒さの厳しい冬の海とは違い、ゆったりと優しく波打っていて、いつまでも眺めていたくなるような気がしますね。
春のうららかな陽が差し込んで、波面がきらきらと光り輝いている…そんな情景を、まるで一枚の絵画の中に閉じ込めてしまったような俳句です。
「春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな」の表現技法
初句切れ
句切れとは、意味やリズムの切れ目のことです。
句切れは「や」「かな」「けり」などの切れ字や言い切りの表現が含まれる句で、どこになるかが決まります。
この句の場合、初句(五・七・五の最初の五)に、「春の海」の名詞で区切ることができるため、初句切れの句となります。
「写実的」に詠まれている
与謝蕪村は俳人としても優れていましたが、画家としてもその才能を発揮していました。
大和絵と呼ばれる日本独自の画法だけでなく、中国南宋・北宋画と呼ばれる画法に挑戦したり、屏風に描く本格的な絵からラフなスケッチまで、幅広い分野の絵を描いていたそうです。
(蕪村筆 俳画 自画賛 出典:Wikipedia)
そんな蕪村ですので、この俳句も非常に「写実的」に詠まれています。
句の中に自分の感情は必要最低限にしか入れず、ただ、春の海で波がゆったりと寄せては返す様子を詠んでいるだけですが、そのことによって読者はこの句に親しみを持ち、情景をありありと想像することができます。
末尾の切れ字「かな」の活用
この句の末尾には、「かな」という感嘆・詠嘆を表す『切れ字』が使われています。
『切れ字』とは、強く言い切る働きをする語のことで、現代の俳句では「かな」「や」「けり」の3種類の切れ字が使われています。
切れ字を使うことで、さらに読者に想像を広げさせ、句の世界の中へ引き込ませるという技法を用いているのです。
「のたりのたり」という表現
この句において、欠かせないのが「のたりのたり」という表現です。
先ほどご説明しましたが、「のたりのたり」とは、ゆるやかにのんびりと動く様子を表現した言葉です。
実は、「のたり」には同じ意味を持つ「のたら」という言葉があります。
もし、この句が「のたらのたら」という表現を選んでいたらどうでしょうか?べったりとして、冴えない俳句になっていたかもしれません。「のたり」と「のたら」。たった一文字の違いが、ここまで俳句の印象を違ったものにするのです。
暖かい陽気に包まれた春の海。そのゆったりとした波の音までが聞こえてきそうな一句です。
この句の作者「与謝蕪村」の生涯を簡単に紹介!
(与謝蕪村 出典:Wikipedia)
与謝蕪村は、江戸時代中期に活躍した俳人です。
幼い頃に両親を亡くし、20歳の時に江戸に下って夜半亭早野巴人(やはんていはやのじん)の元で俳諧を学びました。
27歳の時に師匠である巴人が亡くなると、敬愛していた松尾芭蕉の足跡をたどる旅に出ます。松尾芭蕉は、巴人の師匠だったと言われています。
蕪村は「写実的」「絵画的」な俳句を詠むことに努めました。
このことは、蕪村が画家としての顔を持っていたことに関係しています。俳人としての姿が有名ですが、実は蕪村の本業は画家だったともいわれています。
蕪村は自然の情景を詠むのがとても上手く、現在では松尾芭蕉、小林一茶と並んで『江戸の三俳人』と呼ばれています。
これは明治時代、正岡子規が与謝蕪村の俳句を高く評価し、多くの人に広めたことによるものだそうです。
幼い頃に両親を亡くした蕪村が、生まれ故郷の海を想って詠んだこの一句。おだやかな春の海に、蕪村は一体何を思ったのでしょうか。
与謝蕪村のそのほかの俳句
(与謝蕪村の生誕地・句碑 出典:Wikipedia)
- 夕立や草葉をつかむむら雀
- 鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな
- 花いばら故郷の路に似たるかな
- さみだれや大河を前に家二軒
- 菜の花や月は東に日は西に
- 笛の音に波もよりくる須磨の秋
- 涼しさや鐘をはなるゝかねの声
- 稲妻や波もてゆへる秋津しま
- 不二ひとつうづみのこして若葉かな
- 牡丹散りて打かさなりぬ二三片
- 月天心貧しき町を通りけり
- ところてん逆しまに銀河三千尺
- 易水にねぶか流るゝ寒かな
- 鰒汁の宿赤々と燈しけり
- 二村に質屋一軒冬こだち
- 御火焚や霜うつくしき京の町
- 寒月や門なき寺の天高し
- 古庭に茶筌花さく椿かな
- ちりて後おもかげにたつぼたん哉
- あま酒の地獄もちかし箱根山
- 夏河を越すうれしさよ手に草履
- ゆく春やおもたき琵琶の抱心
- 朝霧や村千軒の市の音
- 休み日や鶏なく村の夏木立
- 帰る雁田ごとの月の曇る夜に
- 斧入れて香におどろくや冬立木
- うつつなきつまみ心の胡蝶かな
- 秋の夜や古き書読む南良法師
- 雪月花つゐに三世の契かな
- 朝顔や一輪深き淵の色
- さくら散苗代水や星月夜
- 住吉に天満神のむめ咲ぬ