【梅一輪一輪ほどの暖かさ】俳句の季語や意味・感想・作者など徹底解説!!

 

日本に古くから伝わる文章の一つである俳句。

 

最近では、授業で習ったり趣味としてよむ人も多くなってきました。

 

そんな数ある俳句の中でもよく耳にする「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」という句。こちらの句はあの有名な松尾芭蕉の弟子が詠んだ句です。

 


しかし、この句には人によって解釈が違かったりするため、詳しく知りたいという方も多いと思います。

 

そこで今回は、この「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」という俳句の季語や意味・作者について詳しくご紹介していきます。ぜひ参考にしてみてください。

 

リス先生
それでは、さっそく見ていこう!

 

「梅一輪一輪ほどの暖かさ」の季語や意味

 

早速ですが皆さん、

 

梅一輪 一輪ほどの 暖かさ

 

という俳句聞いたことありますか?

 

この俳句は、松尾芭蕉の弟子である服部嵐雪がよんだ句です。服部嵐雪の作風は、柔和な温雅さが特徴的で、師匠である松尾芭蕉もその才能を高く評価しました。

 

季語

この俳句に使われている季語は「梅」。・・・と思われがちですが、じつはこの句の季語は別にあります。

 

「梅」と聞くとすぐに春の季語をイメージすると思いますが、実際はこの句は冬によまれています。

 

この句が読まれる前には詞書があり、そこには「寒梅」という冬の季語が用いられています。そのため、正確にはこの句の季語は「寒梅」となります。

 

古典文学作品の『玄峰集』などでは、この句は春の俳句として分類されていることが多いため、一般的にも春の句として理解されることが多いですが、正確にはそうではありません。誤解しないようにしましょう。

 

さらに、意味を理解すると冬によまれたということが具体的にわかります。

 

俳句の意味や解釈

この俳句の意味は、主に2つの解釈があります。

俳句の解釈

 

  • 「梅が一輪咲いている。それを見ると、一輪ほどのかすかな暖かさが感じられる。」
  • 「梅の花が一輪咲くごとに、少しずつ暖かくなっている。」

 

 

前者は「寒さの中、ほのかな暖かさにじんわりと心がふるえる様子」、後者は「聞こえ始めた春の足音に心躍らせる様子」を詠んでいます。

 

先ほど述べた通り、この句は冬によまれたものですので、有力な解釈は前者の方になります。

 

しかし、なぜ後者のような解釈が生まれたのか。それはこの句の詠み方にあります。

 

まず、前者の読み方「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」と【上、中、下】全部に間をつけます。

 

そして、後者「梅一輪一輪ほどの 暖かさ」と【上と中】を一緒に読んでしまうのだと思った人が多くいたのです。

 

そして、詞書が示されなければ、なおさら春の句なのかなと思い混乱を招くことになってしまったのです。

 

「梅一輪一輪ほどの暖かさ」の表現技法や感想

初句切れ

句切れとは、意味やリズムの切れ目のことです。

 

句切れは「や」「かな」「けり」などの切れ字や言い切りの表現が含まれる句で、どこになるかが決まります。

 

この句の場合、初句(五・七・五の最初の五)に、「梅一輪」の名詞で区切ることができるため、初句切れの句となります。

 

一輪のあとの「ほど」

この「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」という句には読み手にしっかりと伝わるように工夫がされています。

 

例えば中の句である「一輪ほどの」という文章。これは、一輪の後に「ほど」とつけています。

 

この「ほど」という表現の仕方は、主に

 

①それとほぼ同じ程度

例:「ケーキが3つほど残っている。」

 

②〜につれて

例:「進んでいくほど道は暗くなっていく」

 

③時や場所の隔たり

例:「一週間ほどの旅だ。」

 

④何かと比較する基準を表す

例:「今日の寒さは昨日ほどではない」

 

この4つです。この俳句で使っている「ほど」の意味は、①か②だということが考えられます。

 

俳句の意味と見比べると「梅が一輪咲いている。それを見ると、一輪ほどのかすかな暖かさが感じられる。」は①の意味が当てはまり、「梅の花が一輪咲くごとに、少しずつ暖かくなっている。」は②が当てはまります。

 

筆者は、この俳句を読んではじめは「梅が一輪咲いている。それを見ると、一輪ほどのかすかな暖かさが感じられる。」こちらの方の意味で解釈しました。

 

まだまだ冬の寒さが抜けない頃。たった梅の花ほどのわずかな暖かさを感じ、それに春の訪れをしみじみと感じている。

 

そんな作者の様子が浮かび、作者の優しさや人柄がにじみ出た俳句になったのかなぁと思いました。

 

「梅一輪一輪ほどの暖かさ」の作者・服部嵐雪について

(嵐雪 出典:Wikipedia

 

この句をよんだ作者ははじめに書いたとおり、松尾芭蕉の弟子である服部嵐雪です。

 

服部嵐雪は1654年生まれ、幼い頃の名前は服部久馬之助または久米之助と言われています。

 

具体的な生年月日はわかっていませんが、下級武士の家で長男として江戸湯島に生まれました。

 

一度は、下流武士として戦っていましたが、服部嵐雪は中々の不良少年でよく遊び回っていたそう。そして、21歳の頃、芭蕉に入門し弟子となります。

 

芭蕉も嵐雪の才能を高く評価しており、3月3日の桃の節句に「草庵に桃桜あり。門人に其角嵐雪あり」という俳句をよんでいます。

 

服部嵐雪の内向的で柔和な温雅さな人柄が句にも表れていますね。

 

その人柄のお陰で人には好かれたそうですが、師匠である松尾芭蕉とは共鳴せず、松尾芭蕉が亡くなる数年前から話さなかったと言われています。

 

服部嵐雪のそのほかの俳句

 

【遠のく】「梅一輪 いちりんほどの 暖かさ」

【時世の句】「一葉散る 咄ひとはちる 風の上」

【萩の露】「名月や 煙はひ行く 水の上」

【続虚栗】「濡縁や 薺こぼるる 土ながら」「木枯らしの 吹き行くうしろ すがた哉」

【虚栗】「我や来ぬ ひと夜よし原 天の川」

【杜撰集】「魂まつり ここがねがひの みやこなり」

【猿蓑】「出替りや 幼ごころに 物あはれ」