【小林一茶の有名俳句 16選】春夏秋冬!!俳句の特徴や人物像・代表作など徹底解説!

 

五七五のわずか17音で綴られた物語「俳句」。

 

小林一茶は「子ども」や「すずめ」、「かえる」などの小動物をテーマにした俳句が多いことで有名な俳人です。一茶の作品はどれも温かく、親しみ感じます。

 

今回は、小林一茶が詠んだ数多くの俳句の中から春・夏・秋・冬の代表的な作品をそれぞれご紹介していきます。

 

小林一茶の特徴や人物像

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(小林一茶 出典:Wikipedia)

 

小林一茶は1763年に信濃北部の農家に生まれました。

 

本名を小林弥太郎といい、松尾芭蕉、与謝蕪村と並び「江戸の三大俳人」として称されています。

 

一茶は、わずか3歳で生母を亡くします。その後再婚した父が迎えた継母とは折り合いが悪く、新しい家族にあまり馴染むことができませんでした。唯一の味方であった祖母を亡くすと、一茶は長男であったにもかかわらず、江戸へ奉公に出されます。

 

そして25歳のころ俳諧を学び始めたといわれています。

 

その後39歳のときに、病に倒れた父の看病で故郷に戻りますが、看病の甲斐なく父はまもなく亡くなってしまいます。父の死後、遺産相続問題で継母や異母兄弟との間で争いがおこり、和解まで、実に12年もの月日を要したといわれています。

 

一茶は52歳で初めて結婚します。生涯三度結婚して、子どもを5人授かるも、最後に生まれた娘を除き、全て幼いうちに亡くなっています。家庭運には恵まれていなかったようですね…。

 

人生における数々の苦労からか、一茶の句は日常の些細な出来事や身近な風景が描かれることが多く、温かく、親しみを覚える作風が特徴です。一茶の作品は、子どもや小動物に対する優しさが滲み出ている、情のあるものが多いです。

 

生涯に2万句もの俳句を詠んだといわれ、『おらが春』や『一茶発句集』という俳句文集を残しています。

 

小林一茶の有名俳句・代表作【16選】

(雪景色の一茶家の土蔵 出典:Wikipedia

 

春の俳句【6選】

俳句仙人
「おらが世や」で始まるこちらの句は、上五の「おらが世や」に切れ字「や」を用いています。切れ字には、強調や余韻を表す効果があり、ここでは、自分が生きているこの世(おらが世)に満足を感じ、「あぁ、なんと有難いことだろう」といった感動の気持ちを表現しています。

 

俳句仙人
「中くらい」には2通りの解釈があり、1つ目は度合いを示す「中位」、2つ目は「上位ではない」とか「あまり良くない」といった意味で使われます。こちらの句は、「私の春は、特段めでたいわけでもなく、中くらいだなぁ・・・」といった解釈の方がしっくりきます。そして「中くらいなり」と切れ字「なり」を用いて表現することで、今年もまた人並みの春であることを強調しています。

 

俳句仙人
雪とけて(=雪どけ)は、春の日差しで冬の間に降り積もった雪がとけていくことを意味します。「子ども」に「かな」という切れ字を付けて詠むことで、「村中、元気に遊ぶ子どもたちで溢れかえっているよ」と詠嘆の気持ちを込めています。長い長い冬が終わり、待ちに待った春の到来を喜ぶ元気な子どもたちの姿が上手く表現されています。

 

俳句仙人
こちらの句は、出だしの「春風や」の「や」が切れ字に該当し、最初の句で意味が完結しています(初句切れ)。「春風はなんと清々しく、心地よいのだ!」と、吹いてくる春風に感動のポイントを置いています。そして句の最後を「善光寺」で止める(体言止め)ことで、読み手に『善光寺まいり』の昔話を連想させる余韻を残しています。

 

俳句仙人
雀は3月から4月にかけて卵を産み、ヒナがかえります。そのため、「雀の子」は春の季語となります。こちらの句ではそんな小雀を小さな人にたとえ(擬人法)、「そこのけそこのけ」と呼びかけています。「そこのけそこのけ」と「お馬が通る」はそれぞれ字余りとなっていますが、違和感はなく、むしろ口ずさみやすいテンポに仕上がっています。

 

俳句仙人
「遊べや」の「や」は切れ字に該当し、詠嘆や呼びかけを表します。一茶が子雀に向かって呼びかけているのが分かります。また、北信濃では古くから「遊べや」は、子どもたちが「遊びましょうよ」と声をかけるときに使われる方言でもあり、一茶は小雀に対し、同じ子ども目線で「遊べや」と呼びかけたと解釈することもできます。

 

夏の俳句【3選】

俳句仙人
この句を詠んだ頃、一茶は表通りから裏に入った裏長屋のずっと奥の方のつきあたりに住んでいたといわれています。そのため、長い道のりを経て(曲がりくねって)自分のところへ辿り着いた涼風はもうちっとも涼しくもないのです。語尾に切れ字「けり」を用いることで、涼風が吹いてくる様子を強調しています。

 

俳句仙人
一茶の作風である「一茶調」が顕著にみられる一句です。「一茶風」とは、弱く小さい者へ視線を注ぐことを特徴とし、この句では汚いものとして認識されている蠅が命乞いをしていると表現し、蝿を叩こうとしている人間を制しています。蝿の足を人間の手にたとえることで、蠅が人間さながら命乞いをしているかのように見えてきます。

 

俳句仙人
「蛙」単体は春を表す季語ですが、「やせ蛙」はヒキガエルであったと考えられています。ヒキガエルは夏の季語です。こちらの句は、蛙に語りかけるように詠まれているのが特徴です。「小さくて弱そうなやせ蛙よ。負けるな!私がここで応援しているよ。」と、蛙に語りかけているようです。人ではないものに呼びかけるような口調で詠む「呼びかけ」は、一茶の句ではよく使われる技法です。

 

秋の俳句【3選】

俳句仙人
背中に背負われた小さな子が、十五夜の月を指し「とってちょうだい」とねだっている様子を描いた一句です。「泣く子かな」には詠嘆を表す切れ字「かな」が使われており、幼子が泣く様子に強い愛おしさ(詠嘆の気持ち)が込められています。幼くして亡くした我が子のことを思い、命の儚さや子を失った親の哀れさが滲み出ています。

 

【NO.2】

『 秋風や むしりたがりし 赤い花 』

季語:秋風

現代語訳: 死んだわが子の墓参りの途中、赤い花が秋風に揺られ道ばたに咲いている。子供がよくむしりたがったあの花だ。

俳句仙人
出だしの「秋風や」の「や」が切れ字に該当し、最初の句で意味が完結しています(初句切れ)。「あぁ、秋風が吹く時期になったのだなぁ」と、吹いてくる秋風に感動のポイントを置いています。そして句の最後を「赤い花」で止める(体言止め)ことで、死んだ「さと」が大好きだった秋に咲く赤い花に余韻を残しています。

 

【NO.3】

『 木曽山へ 流れ込みけり 天の川 』

季語:天の川

現代語訳:天空を流れる天の川は、まるで木曽山に流れ込んでいるかのように見える

俳句仙人
夜空を流れる天の川がまるで木曽山に流れ込んでいるかのように表現しています。中五「流れ込み」の後ろに切れ字「けり」を置くことで、天の川が流れ込む様子に感動していることが伝わってきます。また、こちらの句は「天の川」という名詞で終わっています(体言止め)。詳細な説明を省くことによって、雄大な天の川を読み手にイメージさせる効果があります。

 

冬の俳句【4選】

俳句仙人
「元日や」で始まるこちらの句は、上五の「元日や」に切れ字「や」を用いることで、今日が元日であることを強調しています。そして語尾を名詞「浅黄空」で止める(「体言止め」という技法)ことで、詳細な説明を省き、読み手に清々しく幸先のよい年明けの朝をイメージさせる効果があります。

 

俳句仙人
自分の力ではどうにもならない運命を「あなた」に任せることを「ともかくも」といった言葉で表現しています。「あなた」は阿弥陀如来様を指し、他人任せとういう意味ではありません。浄土真宗の門徒であった一茶は、自分の運命を阿弥陀如来様にすべてお任せし、人生何があっても後悔はないということを表明しています。

 

俳句仙人
空から雪が降ってくる様子を「ふうはりふわり」と表現するところが一茶らしい一句です。「ふうはりふわり」と空から雪が舞い落ちてくる様子が感動的であることを表現するために、切れ字「かな」を用い、降ってきた雪を「うまさうな雪」と言い切ることで、雪を甘い砂糖菓子にたとえています。何とも柔らかく、温かい句ですね。

 

俳句仙人
感心や感嘆の意味を表す「これがまあ(なんとまあ!)」で始まるこちらの句は、自分が死を迎えることとなる最後の家「つひの栖か」について詠んだ句です。そして「雪五尺」は、1尺=約30cmで計算すると約150cm。すなわち、小柄な女性の身長ほどの高さもの積雪だということになります。深い雪に埋もれた我が家を見て、先の見えない今を嘆くと同時に、明るく揶揄しているようにも思えます。

 

さいごに]

 

いかがでしたか?

 

生涯に2万句を残したといわれている小林一茶。

 

今回は、一茶の俳句の中でも特に誰もが知っているような「代表作」を厳選してご紹介してきました。

 

一茶の作品はとてもわかりやすく、温かく、そして親しみやすいものが多いことがお分かりいただけたのではないでしょうか。

 

同じ江戸時代に活躍した松尾芭蕉や与謝蕪村の句とはまた違った魅力に溢れていますよね。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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