【物言えば唇寒し秋の風】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!

 

江戸時代に活躍した歌人「松尾芭蕉」。

 

「松尾芭蕉」は俳句を現在の形に完成させた人物であり、俳聖の称号を持つ世界的に有名な俳人です。彼は数多くの俳句を残しています。

 

今回はその中の一つ『芭蕉庵小文庫』に掲載されている俳句『物言えば唇寒し秋の風』をご紹介します。

 

 

本記事では、「物言えば唇寒し秋の風」の季語や意味・表現技法などについて徹底解説していきます。

 

「物言えば唇寒し秋の風」の季語や意味・詠まれた背景

 

物言えば 唇寒し 秋の風

(読み;ものいえば くちびるさむし あきのかぜ)

 

この句を詠んだのは、江戸時代前期の俳諧師「松尾芭蕉」です。

 

季語

この句の季語は「秋の風」。句のなかに秋とあることからも分かるように、秋の季語となります。

 

秋という季節には、食欲の秋という言葉もあることから実り多い季節になります。

 

しかしその反面、秋とはこれから冬に向かう季節。実りと共に草木が朽ちていき、風も冷たくなりどこか哀愁を覚える時期でもあります。

 

また、「秋の風」とは風景だけでなく、心情的な使い方もできるのが特徴でもあります。

 

意味

この句を現代語訳すると・・・

 

『口を開くと 秋の冷たい風が唇に触れて 寒々しい気分になる』

 

という意味になります。

 

口を開いたときに人の欠点を批判したりした後は、必ず言わなければよかったと後悔してしまうものです。

 

また、その発言により余計な争い事や災難を自ら招いてしまいます。

 

つまり、この句は、「口は災いの元」のように戒めの句であるのです。

 

この句が詠まれた背景

この句は「松尾芭蕉」の晩年の句の一つと言われています。

 

彼の句は約1000句を越えるとされていますが、この句のように人生の教訓となり得る句は、実はほとんど存在していないと言われています。

 

では何故、このような句を読んだのでしょうか。

 

実は、この句を詠んだ理由は定かではありません。

 

「芭蕉」自身の経験から生まれたのでは、と推測されていますが、その真実は「芭蕉」本人にしか分からないのです。

 

「物言えば唇寒し秋の風」の表現技法

体言止め「秋の風」

体言止めとは、俳句の下五語を名詞または代名詞で締め括る表現技法のことです。

 

体言止めを用いることで、句が単刀直入な表現となり俳句の印象を強めることができます。

 

今回の句では「秋の風」が体言止めに該当します。

 

秋の冷たく寒々しい風で終わることで、より一層唇に触れる風の冷たさ、また、物寂しい心情を読み手に深く伝えることができます。

 

「物言えば唇寒し秋の風」の鑑賞文

 

この句の特徴はやはり、教訓の句をほぼ詠んだことのない「芭蕉」が、それをあえて詠んだということにあります。

 

この句を言葉通りに受けとるなら、口を開けば寒々しい秋の風で唇が冷たくなったとなるでしょう。

 

それだけならば、ただ情景を詠んだ句となります。

 

しかし、「秋の風」が心情を表しているとしたら、この句は口に出してはならないことをいうことで、自身に災いが来るという教訓の句となるのです。

 

その二つの視点を一つの句が持っている、そうならばますます俳句の奥深さを実感させられます。

 

 作者「松尾芭蕉」の生涯を簡単にご紹介!

(松尾芭像 出典:Wikipedia)

 

「松尾芭蕉」は江戸時代前期の正保元年(1644)に伊賀上野で、二男四女の次男として生まれました。

 

彼が13才のとき父がなくなり、生活が苦しかったことから伊賀国上野の侍大将の息子、藤堂良忠に仕えることになりました。彼との出会いが「芭蕉」と俳諧を結びつけることになりました。

 

主人と共に北村季吟に師事し俳諧の道に入り、19才で最初の句を詠んだと言われています。

 

19才で初めて句を読んでから50才でなくなるまで、彼は1000を越える句を詠んでいます。俳人としての力量を増していくなかで、芭蕉スタイルという現代に通じるシンプルな言葉で深い句を詠む形を確立していきました。

 

やがて旅に出て「奥の細道」など、有名な紀行文を多数残しています。

 

そして、それらは今もなお人々に愛されています。

 

松尾芭蕉のそのほかの俳句

(「奥の細道」結びの地 出典:Wikipedia

 

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