【高浜虚子の俳句 16選】代表作(有名句)はこれ!!俳句の特徴や人物像など徹底解説!

 

俳句は多くの人に愛好される文芸です。

 

今回は、近代俳句の礎を築いたとされる正岡子規の高弟にして、明治から昭和まで長く活躍した高浜虚子の代表作をご紹介します。

 

高浜虚子の特徴や人物像

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(高浜虚子 出典:Wikipedia)

 

高浜虚子(たかはしきょし)は、本名は「清(きよし)」、明治中期から、大正、昭和30年代まで活躍した俳人です。

 

江戸期までの俳諧を改革した正岡子規の高弟で、正岡子規とともに、俳句雑誌『ホトトギス』の創刊に関わりました。師亡き後、高浜虚子は句作をやめ、しばらくは小説を書くことに没頭しました。

 

しかし、同じく正岡子規の弟子であった河東碧梧桐が、定型や季題にとらわれない新傾向俳句を提唱し始めたことに反発、大正2(1913)、俳壇に復帰します。

 

新傾向を唱える碧梧桐に対して、虚子はあくまでも守旧派を貫き、正岡子規の俳句の精神を引き継いで『ホトトギス』の編集にも携わり、長く日本の俳壇に君臨した人物です。

 

花や鳥といった自然の美しさを詩歌に詠みこむ、「花鳥諷詠」、客観的に情景を写生するように表現しつつ、その奥に言葉で表しきれない光景や感情を潜ませる「客観写生」といった考え方に基づいて俳句を詠みました。

 

高浜虚子の有名俳句・代表作【16選】

(虚子の句碑 出典:Wikipedia

春の俳句【4選】

俳句仙人
手毬をつく遊びは、凧揚げや羽根つきと同様、正月の遊びとされます。この句は、第二次世界大戦がはじまった年、昭和14(1939)の作です。手毬唄は、世相を反映したものもあり、昭和中期まではやった手毬唄には、戦争を歌ったものや、現代では差別用語となるような敵国を揶揄する蔑称の含まれているものもありました。手毬歌とは、単純なこどもの歌ではなかったのです。

 

【NO.2】

『 何もなき 床に置きけり 福寿草 』

季語:福寿草 新年

現代語訳:正月らしいしつらえは何もない床の間に、福寿草の花を置いたことだ。

俳句仙人
福寿草は、黄金色の美しい花と、その名前から縁起の良い花として鑑賞され、元日に咲くよう栽培されました。新年の風物ですが、この句では、福寿草しかないつつましい年明けを詠っています。

 

俳句仙人
この句は、大正2(1913)、高浜虚子が一時遠ざかっていた俳壇に復帰した時の句です。明治35(1902)、師の正岡子規を亡くしてから、高浜虚子は句作をやめ、小説を書いていました。しかし、子規門の双璧として高浜虚子と並び称された河東碧梧桐が、新傾向の俳句を唱えるようになったことに反発、俳壇に復帰することを決意します。日本の俳壇を守ろうとする、作者の決意表明の句なのです。

 

【NO.4】

『 闘志尚 存して春の 風を見る 』

季語:春の風

現代語訳:若き日春風に吹かれながらに抱いた闘志はいまだ私の心の中にあり、今もこうして春の風をみていることだ。

俳句仙人
昭和25(1950)、高浜虚子の喜寿の祝いの席での一句です。「春風や闘志抱きて丘に立つ」と対になった句です。長く日本の俳壇にあって、俳句という芸術にこだわり続けた姿勢が見て取れます。

 

夏の俳句【4選】

 

俳句仙人
あでやかに咲き誇る白い大輪の牡丹の中にわずかに見つけた紅色。白と紅の対比が鮮やかで、色彩イメージの豊かな句です。

 

俳句仙人
虚子は守旧派として、新傾向俳句を提唱する碧梧桐らとは対立していました。この句の「闇」とは、碧梧桐ら新傾向派を暗示し、彼らに対する皮肉が込められているともいわれます。

 

【NO.3】

『 虹立ちて 雨逃げて行く 広野かな 』

季語:虹 夏

現代語訳:広い野原に降りこめていた雨も、虹が立つと逃げるようにやんでいくことだ。

俳句仙人
夕立のあとに広がるうつくしい虹を詠んだ一句です。本来は、雨が止むから虹が出るのですが、虹が立つと雨が逃げていく、と因果関係を逆転させて擬人法を使って詠んだところにこの句の面白さがあります。

 

【NO.4】

『 蛍火の 今宵の闇の 美しき 』

季語:蛍火 夏

現代語訳:蛍が光りながら飛び違う、今日の宵の闇がなんと美しいことか。

俳句仙人
夏の夜に儚い光を帯びて乱舞する蛍を鑑賞することは、かつての日本の農村では当たり前の夏の風物でした。闇の中にふわりとうかび、飛び交う蛍の光と、漆黒の闇の対比が鮮やかです。

 

秋の俳句【4選】

【NO.1】

『 立秋の 雲の動きの なつかしき 』

季語:立秋 秋

現代語訳:立秋を迎え、秋の訪れを実感させる雲の動きが慕わしく思われることだ。

俳句仙人
この句は、昭和18(1943)88日、高浜虚子の住む鎌倉の、鶴岡八幡宮の実朝祭に献句されたものです。実朝祭とは、鎌倉三代将軍源実朝の遺徳をしのぶ祭で、この句の詠まれた前年、昭和17(1942)に始まったもので、優れた歌人であった実朝をしのんで、選ばれた短歌や俳句が神前に献上されます。

 

俳句仙人
「桐一葉落ちて天下の秋を知る」ということわざがあります。これは、戦国武将片桐且元の言葉と言われますが、「桐の葉が一枚落ちるのを見て、秋の訪れを感じる」転じて「小さなな動きのひとつから全体を揺るがす衰亡の前兆をとらえる」と言う現代語訳で使われます。この句は、桐の葉が舞い落ちるという初秋の季節を詠み込みつつも、今後やってくる本格的な秋の訪れ、変化の予感を潜ませた句です。

 

俳句仙人
大きな椎の大木が、空を切り分けるようにしてそびえたつ様子を詠んだ、ダイナミックな句です。「椎」を季語と間違えやすいのですが、「椎の実」であれば秋の季語となりますが、「椎」だけでは季語とはなりえません。

 

【NO.4】

『 秋風や 眼中のもの 皆俳句 』

季語:秋風 秋

現代語訳:心地よい秋風が吹き抜けていくことよ。私の目に映るものすべてが、俳句とよべるような美しいものに思われる季節であることだ。

俳句仙人
秋は、詩情を誘う風物にあふれた季節です。そんな美しい季節を賛美するように見せて、秋の風物を季語にして、五・七・五の定型で句を詠めばなんでも俳句になってしまうことへの戒めともとれる句です。

 

冬の俳句【4選】

【NO.1】

『 寒菊や 年々同じ 庭の隅 』

季語:かんぎく

現代語訳:寒菊が今年も咲いたことだよ。毎年、庭の隅の同じ場所に忘れることなく咲くことだ。

俳句仙人
寒菊とは、冬になって咲く菊のことです。黄や白のものが多く、秋に咲く菊よりも花も葉も小さいのですが、冬の花がない時に咲く花で、秋の菊とはまた異なる風情で愛されています。

 

俳句仙人
小川の上流で、農家の人が収穫した大根を洗っていて、その葉が流されてきた光景を切り取って詠まれた句です。この句は、昭和3(1928)、高浜虚子が東京の九品仏のあたりを歩いていた時に偶然目にした光景を詠んだものです。収穫した大根を近隣の小川で洗う、といったようなことはかつては日本全国で見られた光景でした。

 

俳句仙人
この句は、ふるさと、松山の実家からの眺めを詠んだものだということです。目の前は、寒々しい枯野が広がっていようとも、はるか先には明るい陽だまりがあるというような、この先への期待を抱かせてくれるような句でもあります。

 

俳句仙人
「去年今年」とは、大みそかを境に年が入れ替わり、夜が明けると昨日は去年となり、今朝は今年と呼ばれるようになっていく、という現代語訳の季語です。人は、どこかで時の流れに区切りをつけます。でも、本来、時というものは過去・現在・未来を貫いて一本の棒のように連続しているものです。そんな時の流れの中で一本の芯のように曲がらない佐草自身の信念があることを詠んだ句だといわれます。

 

さいごに

 

今回は、俳句界の巨頭・高浜虚子の有名句をご紹介しました。

 

明治、大正、昭和と三世代にまたがって活躍した高浜虚子には、優れた句が多くあります。

 

客観的に、自然の美しい風物を詠みこむことを旨として、俳句の芸術性を追求しつづけた俳人でした。

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