【めでたさも中くらいなりおらが春】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文など徹底解説!!

 

江戸の三大俳人として「松尾芭蕉」「与謝蕪村」と並び称される「小林一茶」。

 

一茶が詠んだものは、俗語や方言を交えて庶民の生活感情を表現したものが多く、主観的な句が特徴です。

 

一茶が生涯で残した俳句の数は約2万句以上とも言われていますが、今回は、その中でも誰もが一度は聞いたことがある『めでたさも中くらいなりおらが春』という句をご紹介します。

 

 

「中くらいなり」の言葉に込められた心情とはどのようなものだったのでしょうか?一茶がこの句を詠んだ背景も気になりますね。

 

本記事では『めでたさも中くらいなりおらが春』の季語や意味・表現技法・作者など徹底解説していきたいと思います。

 

「めでたさも中くらいなりおらが春」の季語や意味・詠まれた背景

 

めでたさも 中くらいなり おらが春

(読み方:めでたさも ちゅうくらいなり おらがはる)

 

この句の作者は江戸時代後期に活躍した俳諧師「小林一茶(こばやしいっさ)」です。

 

俳句集「おらが春」に収められています。

 

「おらが春」は、一茶57歳の元日から年末までの一年間で起きた出来事に寄せた句をまとめています。一茶の没後25年経ってから、遺稿を写し「白井一之」によって刊行されました。

 

そのため題名「おらが春」も一茶が命名したものではなく、巻頭にあった「めでたさも中くらいなりなりおらが春」から取ったといわれています。

 

季語

この句に含まれている季語は「おらが春」で、季節は「初春(はつはる)」です。

 

初春とは四季のうちの春を指すのではなく、年の始めを寿ぐ(ことほぐ)、すなわち元旦の意味で用いられます。

 

なぜ寒い冬の時期に迎える正月に「春」とつくのでしょうか。それには、俳句の季語が旧暦を元に分類されていることが影響しています。

 

明治5年まで用いられていた旧暦では、「立春」の前後を年始として、「初春」と呼んで祝う習慣がありました。新暦に変わった後もその名残から、春を「新年」と表す季語として用いられているのです。

 

また、「おらが春」という言葉は、あまり聞いたことが無いかもしれません。これは一茶の故郷である信州(源長野県)地方の方言からきています。意味は「我が春」となり、「おらが春」までが一つの季語で「私の初春、新年」を表しています。

 

意味

こちらの句を現代語訳すると・・・

 

「新年を迎えめでたいというけれど、いい加減なものだ。それもまた自分にとってはふさわしいものではないか」

 

という意味になります。

 

※めでたさ正月を迎えての喜びの度合いを意味します。

 

この句が詠まれた背景

文政二年(1819年)の一月、一茶57歳のときに詠まれた句です。

 

52歳で初めて結婚した一茶は、まだ一歳にも満たない愛娘「さと」と家族三人で幸せな正月を迎えていました。

 

しかしこの句には喜ばしい雰囲気があまり感じられません。むしろ「めでたさ」という世の言葉や一茶の心情である「中くらいなり」には、少し拗ねた印象も見受けられます。

 

この句には長い前書きが付いており、現代語訳すると「我が家は風が吹けば飛ぶようなあばら家にふさわしく、門松も立てず掃除もしないで、ありのままで正月を迎えている」と記されています。俳諧師として名を馳せた一茶ですが、当時の暮らしは決して楽ではなかったことがわかります。

 

また生活苦だけでなく、信仰する浄土真宗の「他力本願(大きなものによって生かされていること)」にも大きな影響を受けています。

 

前書きには「ことしの春もあなた任せになん」とあり、ここでの「あなた」は阿弥陀如来を意味しています。「今年の春も阿弥陀如来様にお任せして迎えたことだ」と、述べているのです。

 

阿弥陀如来様に全てをお任せしありのままで迎えた正月は、新年だからといってめでたいのかどうか、あいまいな自分の正月であると詠んだのでした。

 

半ば諦めにも似た心境ではありますが、慎ましやかな暮らしの中で家族揃って無事に新年を迎えられた安息をしみじみと感じるようです。

 

このように句だけでは理解できなかった情景も、前文も読むことで一茶が詠みこめた真意を汲み取ることができます。

 

「めでたさも中くらいなりおらが春」の表現技法

「中くらい」はじつは方言?

「中くらい」には二つの解釈があるといわれています。

 

ひとつめは、度合いを示す「中位」の意味です。江戸時代では「上位ではない」「あまり良くない」などの意味で使われており、「私の春は、取り立ててめでたいわけでもなく、中くらいだなぁ・・・」という表現になります。

 

もう一方は、一茶の故郷である柏原地方の方言ではないかとする説です。「ちゅうぐらい」には「あいまい」「いい加減」といった意味で使われることがあり、方言とすると「私の春はいい加減に迎えてしまったなぁ・・・」となります。

 

一茶が詠んだほかの句にも故郷の方言が使われていると考えられるものもあり、前書きとあわせて推察すると、後者の方言での表現だと考えられています。

 

「中くらいなり」の切れ字「なり」(二句切れ)

切れ字とは「かな」「けり」「や」などの語で、強調や余韻を表す効果があります。また文としての意味の切れ目である句切れをつくり、作者の感動の中心を表します。

 

この句における「なり」も切れ字であり、詠嘆の意味が込められています。「人並みの、中くらいだなあ・・・」もしくは「あいまいなものだなぁ・・・」と訳すことができます。

 

また二句目に切れ字が用いられていることから、この句は「二句切れ」となります。

 

「おらが春」の体言止め

体言止めとは、語尾を体言(名詞・代名詞)で終わる技法のことです。

 

文を断ち切ることで、その後に続く余韻を残し、印象を強める働きがあります。

 

今回の句では「おらが春」と体言止めにして、一茶が主張したかったのは新年についての捉え方だと伝わります。

 

世間一般ではめでたいとされる新年が、自分にとってはそう思わないということを強調したかったのでしょう。

 

倒置法

倒置法とは、言葉の並びをあえて逆にする表現技法で、印象を強める効果があります。

 

この句でも「おらが春 中くらいなり めでたさも(私の新年は いいかげんなめでたさだなぁ・・・)」とするのが、意味の上では一般的な語順になるでしょう。

 

そこを「おらが春」を最後に持ってくることで、言葉に強い印象を与えています。

 

「めでたさも中くらいなりおらが春」の鑑賞文

 

新春といえば、世間の人は餅をつき、門松を立てて祝い、「誰にとっても心がはずむ時期」と考えられます。

 

しかし、一茶にとっては「そんなにめでたいものなのだろうか?」と反抗的に感じたのでしょう。

 

年若い妻と幼い我が子を前に「あと何回、こうして年を迎えられるのだろうか・・・」と老い先短いわが身の心境からくるものかもしれません。しかしこうした晩年の胸中よりも、苦難に苛まれ続けた私生活の境遇が影響していると感じます。

 

今まで苦しい人生を送ってきた自分にとって、新年だからといってめでたいと言えるものではない、それが一茶にとっての「新春」なのでしょう。

 

しかし手放しで喜ぶことはできないけれど、「中くらい」だと一茶なりに祝おうとする姿がうかがえます。一茶の生き方がしみじみと伝わる名句の一つです。

 

作者「小林一茶」の生涯を簡単にご紹介!

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(小林一茶の肖像 出典:Wikipedia)

 

小林一茶(1763-1827年)は江戸を代表する俳人の一人です。本名を小林弥太郎といい、信濃国(現在の長野県)に生まれました。

 

一茶の俳句は「すずめ」や「かえる」「子ども」といった小さな生き物を詠んだ句が多く、ほのぼとした優しい印象を受けます。しかし実際は家庭にまつわる不幸に最後まで振り回される人生を送りました。

 

わずか3歳で生母を亡くし、父の再婚で迎えた継母とは折り合いが悪くあまり馴染めませんでした。その後唯一の味方であった祖母も亡くし、15歳の頃に江戸へ奉公に出されています。

 

39歳で故郷に戻りますが、看病の甲斐なく父はまもなく亡くなってしまいます。その後継母・異母兄弟との間に遺産相続問題が起こり、12年もの間争うこととなりました。

 

その後、継母たちと和解し郷里に帰住した一茶は、52歳にして初婚を迎えます。ようやく人生の安住を得つつあった一茶ですが、生涯三度結婚し子供を5人授かるも、最後に生まれた娘を除き、全て幼いうちに亡くなっています。

 

さらに65歳のときには家が焼失し、火事を免れた土蔵で暮らしますが、持病の発作により65歳の生涯を閉じました。

 

不幸続きともいえる一茶でしたが、こうした波乱万丈な人生を慰めてくれるのは、俳句の世界だったのかもしれません。

 

小林一茶のそのほかの俳句

一茶家の土蔵 出典:Wikipedia