【これがまあ終(つひ)の栖か雪五尺】作者は誰!?俳句の季語や意味・鑑賞文など徹底解説!!

 

五・七・五の十七音で四季の美しさや心情を詠みあげる「俳句」。

 

日本のみならず、世界でもその価値が認められ、高い評価を得るに至っています。

 

名句と呼ばれる優れた句を知っていることは、単に教養としての知識というにとどまらず、人生を豊かにする心の栄養となってくれることでしょう。

 

今回はそんな数ある俳句の中から「これがまあ終の栖か雪五尺」という小林一茶の句をご紹介します。

 

 

本記事では「これがまあ終の栖か雪五尺」の季語や意味・鑑賞・作者などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。

 

「これがまあ終の栖か雪五尺」の季語や意味・俳句が詠まれた背景

一茶家の土蔵 出典:Wikipedia

 

これがまあ 終の栖か 雪五尺

(読み方:これがまあ つひのすみかか ゆきごしゃく)

 

この句の作者は小林一茶です。

 

一茶が50歳の時、永住すると決めた故郷である信濃国柏原(現在の長野県信濃町) を詠んだ時の句になります。

 

季語

こちらの句の季語はで、冬の季語になります。

 

(※「雪五尺」を季語としてもOKです)

 

意味

こちらの句を現代語訳すると・・・

 

「五尺も積もる雪の中の地が自分の最後のすみかとなるのかと思うと、深いため息がわいてくるなぁ」

 

という意味になります。

 

「つひの栖か」とは死ぬまでに住むことになる最後の家のこと。また、「これがまあ」はなんとまあの「まあ」と同じ意味で、感心や感嘆の意味があります。

 

そして、ここでの五尺とは、およそ150センチメートル(1尺=約30cm)になります。小柄な女性の身長ほどの高さもあり、ため息が出るほどの積雪だということがうかがえます。

 

この句が詠まれた背景

こちらの句は、一茶が50歳の時、永住すると決めた故郷である信濃国柏原(現在の長野県信濃町) で詠んだ時の句になります。

 

信濃国柏原への移住前、一茶は江戸に住んでいました。

 

しかし、江戸での生活は本心から馴染めず、また自分の老いを自覚し、故郷への思いを募らせていました。

 

また、この時の一茶は父親の遺産相続問題をかかえていました。

 

父の死後、遺産は均分するという口約束はありましたが、具体的なものまでは決まっておらず、継母や交弟とは不仲な状態が続いていました。

 

一茶が故郷に帰ってきたのは文化91124(18121227)で、すでに柏原は冬を迎えていました。

 

帰郷し定住するための努力や実家の居心地の悪さを乗り越え、ようやく戻った柏原は深い雪。一茶の複雑な心境がうかがえます。

 

「これがまあ終のすみかか雪五尺」の鑑賞文

 

当時も、そして現在も有名な一茶ですが、俳句での生計は不安定なものだったとされています。

 

安定を求め遺産相続争いの最中戻ったふるさとは深い雪に埋もれていました。

 

安定とは程遠い景色と状況は、悲惨さや漠然とした不安を思わせます。

 

そんな中詠まれたこの句は、先の見えない今を嘆くと同時に明るく揶揄しているようにも見えます。

 

幼い頃の継母との不仲・苦しい生活の奉公時代・遺産相続争いと、一茶はこの時点でもたくさんの苦労をしてきました。

 

その後結婚しましたが妻を亡くし、次の妻とは早々に破綻、中風(脳卒中の後遺症)の発作、亡くなる数か月前の火事等、彼は不幸の連続に見舞われます。

 

笑うしかないと言いたげな明るさは、一茶の苦しみを強調しているよう感じます。

 

作者「小林一茶」の生涯を簡単にご紹介!

Kobayashi Issa-Portrait.jpg

(小林一茶の肖像 出典:Wikipedia)

 

小林一茶。1763615日に生まれ、182815日に死去。

 

本名は小林弥太郎。農家の子として生まれ、彼の句の生命力の源は農民気質や土への愛着と言われています。

 

一茶が3歳の頃に母が亡くなり、5年後にやってきた継母とは仲が良くありませんでした。

 

幼い彼を守ってくれた祖母が亡くなるとショックで重体になり、継母とは更に仲が険悪になりました。

 

そして15歳で奉公に出ますが、その目的は継母と距離を置くためでした。奉公時代の記録はほとんどありませんが、その生活は苦しいものだとされています。

 

その後一茶は俳諧に出会い、俳諧行脚で生計を維持しますが、それは安定とは程遠いものでした。

 

紹介した句が詠まれた後、三度結婚し子供も授かりますが、ほとんどの子は病死のため2歳を迎えられませんでした。亡くなる前には家を家事でなくし、蔵での生活を余儀なくされ、その蔵で亡くなったとされています。

 

一茶のありのままを表した「生」の句は、多くの人に受け入れられ、小説や音楽のテーマになることもあります。

 

小林一茶のそのほかの俳句

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