【春風や牛に引かれて善光寺】俳句の季語や意味・表現技法・作者など徹底解説!!

 

江戸時代から続くなじみ深い文化の一つである「俳句」。

 

俳句は昔から誰でも手軽に始められるものとして、様々な年代の方に詠まれ続けています。

 

今回は、そんな数ある句の中でも特に有名な「春風や牛に引かれて善光寺」という句をご紹介します。

 

 

よく耳にする句ではありますが「本当はどういう意味なんだろう?」と思われている方もいらっしゃるかと思います。

 

そこで今回は、「春風や牛に引かれて善光寺」の季語や意味・表現技法・作者などについて徹底解説していきます。

 

「春風や牛に引かれて善光寺」の季語や意味・詠まれた背景

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(国宝である善光寺本堂 出典:Wikipedia

 

春風や 牛に引かれて 善光寺

(読み方:はるかぜや うしにひかれて ぜんこうじ)

 

こちらの句の作者は「小林一茶」です。

 

一茶が49歳のときに詠んだ句で、48歳から56歳までの9年間にわたる句日記「七番日記」に収録されています。

 

季語

こちらの句の季語は「春風」、春の季語になります。

 

季語で春の風を示す言葉は数多くありますが、風の種類は様々です。

 

季節の変わり目に吹く風や花を散らす強い風など印象は人によって異なります。

 

その中でも「春風」の表現は暖かく、穏やかに吹く柔らかい風を表現しています。

 

詠み方は「はるかぜ」と「しゅんぷう」のどちらでも読めますが、この句は「はるかぜ」と言われています。

 

意味

こちらの句を現代語訳すると・・・

 

「春の暖かな風が吹き渡っているなあ。なんとなく歩いていると思いかけず善光寺まいりをした」

 

という意味になります。

 

この句が詠まれた背景

こちらの句は小林一茶が49歳のときに詠んだ句です。

 

一茶は浄土真宗の熱心な信者で、出身地のそばにある善光寺へ度々参詣しており、善光寺への奉納句として詠まれました。

 

句にある善光寺とはすべての宗派に門戸を開いており、江戸時代には「一生に一度は善光寺参り」という言葉が生まれるほど大勢の方が参詣する場所でもあります。

 

この句は信州の昔話である「牛に引かれて善光寺まいり」が関係しています。

 

そして、この句が詠まれた頃の一茶は、父からの遺産相続問題が難航し、奔走している時期でした。つまり人生としては物事がうまく運ばない時期でもありました。

 

「牛に引かれて善光寺まいり」とは

この言葉は「思いがけない縁で物事が良い方向に向く」ということの例えに使われています。

 

具体的には次のようなお話です。

 

善光寺の近くに住むケチなお婆さんが川で洗濯した布を干していると、突然牛が現れ、布をひっかけて逃げてしまいます。お婆さんが慌てて牛を追いかけると、牛は善光寺に入って行きました。牛を追ってお堂に入ると、中はまぶしい光で照らされ神々しい様子になっていました。

それを見たお婆さんは欲を捨て、これ以来信仰するようになりました。

毎日を信心深く過ごしていると、牛に奪われた布が参詣した観音様にかけてあるのを見つけました。お婆さんは布を奪った牛は神様だったと気づき、さらに善光寺に対して信心深くなったと言われています。

【参考動画】

 

「春風や牛に引かれて善光寺」の表現技法

初句切れと体言止め

俳句には直前につく言葉を強調し、意味を切る「切れ字」という表現方法があります。

 

今回は「春風や」の「や」が切れ字に該当し、最初の句で意味が完結しています。

 

最初の句に切れ字があると俳句用語で「初句切れ」と呼ばれます。

 

言葉を強調することで、作者がその句で最も感動したポイントを示す表現方法です。

 

春風は気持ちの良い風を表す言葉であることを踏まえると、「春風はなんて素敵だ!」という表現になります。

 

一茶が感じた風は春のうららかな陽気な風だったことがより具体的になっています。

 

また、初句切れは俳句全体のリズム感を生み、句に対して親しみやすさや明るさを感じさせます。

 

さらに句の最後を「善光寺」と名詞止め(体言止め)にすることで、句全体の語感を良くし、読み手側に「善光寺まいり」の昔話を連想させています。

 

「春風や牛に引かれて善光寺」の鑑賞文

牛, 農場の動物, 牛肉, ストール, 動物の野生動物写真

 

一茶がこの時期に詠んだ他の句を見ると、苦しい状況であったことが感じられます。

 

俳人として大成しておらず悩んでいることや、遺産相続のために奔走し落ち込んでいることなどが表現されています。

 

その中で春風を感じて善光寺まいりをしたことは気持ちの良い出来事だったと考えられます。

 

熱心な浄土真宗の信者でもあった一茶にとって、この句の出来事は昔話の「牛に引かれて善光寺まいり」そのものです。

 

春風を心地よく感じながら歩くと善光寺についていた、つまり神様が呼んでいるのではないのかと感じられずにはいられない状況です。

 

一茶は昔話のように「この先は良いことがあるはずだ」と思いたくなったのでないでしょうか?

 

暗闇の中にいる一茶にとって、この日の出来事は久しぶりに明るくなれたという様子が伝わってきます。

 

作者「小林一茶」の生涯を簡単にご紹介!

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(小林一茶の肖像 出典:Wikipedia)

 

小林一茶(1763年~1828)。本名は小林弥太郎。信濃国(現在の長野県)出身です。

 

独自の作風「一茶調」を作りあげ、江戸時代を代表する俳人の一人です。

 

生涯で2万句以上を詠み、現在でも文献から新しい句が見つかるほど。作風は生活に密着したものが多く、読み手に親しみやすさを与えるという特徴もあります。

 

また、一茶は悲しいエピソードが多いことでも有名です。

 

3歳の時に母を亡くし、15歳の時に江戸へ奉公に出され、29歳まで故郷を離れていました。

 

他にも、父からの遺産相続争いに13年を費やしたり、5人の子どものうち4人が2歳までに亡くなるなど気持ちの重くなる話も多くあります。

 

小林一茶のそのほかの俳句

一茶家の土蔵 出典:Wikipedia