
五・七・五の十七音の中に、美しい自然の光景や、四季の移ろいを描いた俳句。
今回は、医師という本業を持ちつつ、日本の俳壇の中心でも活躍した水原秋桜子の有名俳句(代表作品)をご紹介します。
水原秋桜子の人物像や俳句の特徴
(水原秋桜子 出典:Wikipedia)
水原秋桜子(みずはら しゅうおうし)は、大正時代から昭和後期にかけて活躍した俳人です。
高浜虚子の俳句論に興味を持って俳句雑誌『ホトトギス』を購読し、投句するようになります。高浜虚子から直接手ほどきを受け、昭和の初期には、高野素十、阿波野青畝、山口誓子らとともに「ホトトギスの四S」と称されるなど、ホトトギス派の代表的俳人として名を馳せました。
しかし、あくまで客観写生を称揚する高浜虚子に対して、主観写生的で、抒情的な調べをもつ句を求めた水原秋桜子は反発を強め、ホトトギス派から離脱、反ホトトギスを標榜する新興俳句の先駆者的な存在ともなりました。
水原秋桜子の作風は、日本最古の歌集である「万葉集」を思わせる古風な調べ、抒情的で、あかるく清明な句で知られています。
本業は医師で、現在の昭和大学の前身、昭和医学専門学校で教鞭をとり、また家業の産婦人科病院を継いで病院経営でも業績を残しました。
昭和30年(1955年)には、医業から引退、句作に専念します。俳人協会会長を務める、勲三等瑞宝章を受章するなど、文化人としての功績が高く評価されました。昭和56年(1981年)、急性心不全で死去、88歳の生涯でした。
水原秋桜子の有名俳句・代表作【16選】
春の俳句【3選】
【NO.1】
『 天わたる 日のあり雪解 しきりなる 』
現代語訳:天空を渡る太陽の光に照らされて、雪解けがさかんに進むことだ。
季語:雪解
【NO.2】
『 来しかたや 馬酔木咲く野の 日のひかり 』
現代語訳:歩いてきた方向を振り返ってみると、馬酔木の白い花が咲き乱れる春の野に、さんさんと日が降り注ぐ美しい光景が広がっていることだ。
季語:馬酔木咲く
【NO.3】
『 旅の夜の 茶のたのしさや 桜餅』
現代語訳:旅にあって、夜、いっぱいの茶を楽しむことのなんと楽しいことか。今宵の茶菓子は桜餅である。
季語:桜餅
夏の俳句【5選】
【NO.1】
『 ふるさとの 沼のにほひや 蛇苺 』
現代語訳:ふるさとの沼のにおいがふと思い起こされることだ、赤い蛇苺の実を見かけると。
季語:蛇苺
【NO.2】
『 滝落ちて 群青世界 とどろけり 』
現代語訳:滝がとうとうと滝つぼに向かって流れ落ち、青々とした葉をつける森林に水音をとどろかせている。。
季語:滝
【NO.3】
『 麦秋の 中なるが悲し 聖廃墟 』
現代語訳:時は麦を刈るころ合いであるのに、被爆した浦上天主堂の廃墟が何と悲しいさまであることか。
季語:麦秋
【NO.4】
『 蕗生ひし 畦に置くなり 田植笠 』
現代語訳:フキが生い茂る畔においた田植笠になんとも風情をかんじることだ。
季語:田植え
【NO.5】
『 雪渓は 夏日照るさへ さびしかり 』
現代語訳:万年雪の残る高山の渓谷は、夏の陽ざしが当たってもなお寂しげに見えることだ。
季語:雪渓
秋の俳句【4選】
【NO.1】
『 啄木鳥や 落葉をいそぐ 牧の木々 』
現代語訳:キツツキが木とつつく音が聞こえることだ。牧場の木々は、冬に備えて急ぐかのように葉を散らしている。
季語:啄木鳥
【NO.2】
『 はたはたの 羽音ひまなし 月待てば 』
現代語訳:月を眺めようと空を眺めつつ待っていると、バッタが飛び交う羽音がひっきりなしに聞こえてくる。
季語:はたはた
【NO.3】
『 暗きまま 黄昏れ来り 霧の宿 』
現代語訳:薄暗くはっきりしない天気のまま、黄昏時が迫ってますます暗くなり、宿の周りも深い霧に閉ざされていくことだ。
季語:霧
【NO.4】
『 竜胆や 月雲海を のぼり来る 』
現代語訳:竜胆の濃い青紫の花が咲いているよ。月は、雲海を抜けて空にのぼっていくことだ。
季語:竜胆
冬の俳句【4選】
【NO.1】
『 山茶花の 暮れゆきすでに 月夜なる 』
現代語訳:山茶花の咲く道は夕闇にまぎれ、月夜となってきたことだ。
季語:山茶花(さざんか)
【NO.2】
『 冬菊や まとふはおのが ひかりのみ 』
現代語訳:冬菊が咲いている。冬菊は、冬の日を浴びて、自らが放つ光の衣を身に纏っているようだ。
季語:冬菊
【NO.3】
『 薄氷の このごろむすび 蓮枯れぬ 』
現代語訳:池のおもてには最近では薄く氷が張るようになり、蓮もかれたことだ。
季語:蓮枯れる
【NO.4】
『 北風や 梢離れし もつれ蔓 』
現代語訳:北風が強く吹き付けることだ。梢を離れて、もつれた蔓が吹き飛ばされていく。
季語:北風
さいごに
水原秋桜子は医師としても功績をあげる傍ら、20を超える句集・随筆・紀行文など、多くの著作を残しました。
アララギ派の黄金時代を作る一人となりながらも、その後アララギを離れて新興俳句へ、そして日本の俳壇のなかで一座を閉めるようになりました。
大正時代から昭和の後期にかけて長い作句人生を送り、さまざまな句を詠んだ水原秋桜子。今なお、彼の俳句は多くの人々の共感を呼んでいます。