【やれ打つな蝿が手をすり足をする】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!

 

俳句といえば、最近ではテレビでも目にすることが多くなりました。芸能人が俳句を詠み、いかに表現豊かか採点する番組もあります。

 

そうした教養の深さを重視する俳句もあれば、大勢の人に親しまれる句もあります。

 

今回は、大勢の人に親しまれる句、その中でも特にユニークで有名な「やれ打つな蝿が手をすり足をする」という句をご紹介します。

 

 

この句が江戸時代に詠まれたとは思えない親しみやすさがありますが、ポイントはどこにあるのでしょうか?

 

本記事では、「やれ打つな蝿が手をすり足をする」の季語や意味・表現技法・作者などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。

 

「やれ打つな蝿が手をすり足をする」の作者や季語・意味・詠まれた背景

 

やれ打つな 蝿が手をすり 足をする

(読み方:やれうつな はえがてをする あしをする)

 

この句は「小林一茶」59歳の頃に詠んだ句です。

 

一茶が57歳から59歳の時に書いた句日記「八番日記」に収録されています。

 

季語

この句の季語は「蝿」で、季節はです。

 

俳句で蝿という言葉がつく季語は、じつは多くあり季節も様々ですが、蝿単体では夏を指します。

 

これは蝿の生態に由来していると言われています。

 

蝿は種類が豊富で越冬する蝿もいるため、年中どこかしらに蝿がいます。しかし、一般的には蝿は気温が20度を超えると活発に動き始めます。

 

また、暑い時期は食べ物が腐りやすく汚物も悪臭を放ちますが、これらを蝿は好むため、夏は繁殖に好都合です。

 

さらに蝿は2週間で卵から成虫になるため、暑い時期になると蝿が次々に現れることになります。

 

このような生態から、蝿が数多く見られる夏にしたとされています。

 

そして昔から、蝿は汚物と人間の食べ物を行き来することが知られており、詠まれた当時も蝿は汚いものとして認識されていました。

 

意味

この句を現代語訳すると・・・

 

「おい叩くな。蝿が手をすり合わせ、足をすり合わせ命乞いをしているではないか」

 

という意味になります。

 

この句が詠まれた背景

一茶が江戸時代の三大俳人とされる理由に、独自の作風「一茶調」があげられます。

 

その特徴は弱く小さい者へ視線が注がれていること

 

当時の俳句は風流なものとして読むことが多く、寂びや落ち着き、趣深さなどが特徴的でした。平たく言えば、俳句は芸術的な表現をするものということになります。

 

しかし一茶は俗な表現をし、弱い者たちに普段見られるような出来事を詠み続けました。

 

このような作風が生まれたのは、一茶が不運な人生を歩み、浄土真宗を信仰していたため「生きていることをそのまま受け入れる姿勢」があったからとされています。

 

そんな一茶の俳句への姿勢を背景に、この句は詠まれました。

 

そしてこの句を詠んだ年に、一茶は3人目の子どもである石太郎を病気で亡くしています。

 

この句を詠んだ時期は、一茶は命の儚さを自らの人生で感じさせられていた時期と考えられます。

 

「やれ打つな蝿が手をすり足をする」の表現技法

感嘆の「やれ」

「やれ」が印象的ですが、それは呼びかけの感嘆詞だからです。

 

訳すと「おい!」と気安く呼びかけている状況になります。

 

最初に呼びかけることで注目を集め、緊張した状況を生み出しています。

 

そして呼びかけによって、登場するのは3者だとわかりやすくなっています。

 

見ている一茶、目の前の蝿に加えて、呼びかけられている人がいます。

 

言葉と状況を考えると、蝿を叩こうとしている身内あるいは目下の人と考えられます。

 

蝿に対する擬人法

動物が人間のように動作する表現を擬人法と言います。

 

今回は蝿が足をこする様子を、人間が命乞いをする際に必死に手を合わせて懇願する様子になぞらえています。

 

さらに蝿の足を人間の手として記述している部分も擬人法が使われています。

 

蝿が足をする習性を文中に残しながら、人の要素を加えることで、蝿が本当に命乞いをしているような雰囲気を作っています。

 

「やれ打つな蝿が手をすり足をする」の鑑賞文

 

一茶は弱者に対しての思いを忘れない人であり、生きていることを生々しく表現する句を詠み続けました。

 

当時の俳句からすると、蝿という嫌われ者が主人公になること自体が珍しく、独自の目線であったことがわかります。

 

そして、この句のポイントは「蝿を叩こうとしている3人目は誰か?」ということです。

 

句の状況では、叩こうとしている目下か身内の誰かだと推測できます。

 

しかし一茶の句は親しみやすく、読み手に呼びかけているようにも受け取ることができます。

 

この句は江戸時代に詠まれていますが、今呼びかけられているような新鮮味がありますね。

 

「病気を運ぶ虫かもしれないが、手も足もすり合わせて必死で命乞いしても叩けるのか?助けてやれないのか?」と問われているようです。

 

生々しい句だからこそ、嫌われているものにも命があることを考えさせられます。

 

仏教では無益な殺生を避ける考え方があります。

 

浄土真宗の信者であった一茶にとっては、害虫でも命があることを大切にしたかったのではないでしょうか。

 

さらに、子どもの夭折で命の儚さを知った一茶だからこそ、嫌われ者であっても優しくできたと感じさせます。

 

作者「小林一茶」の生涯を簡単にご紹介!

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(小林一茶の肖像 出典:Wikipedia)

 

小林一茶(1763年~1828)。本名は小林弥太郎。信濃国(現在の長野県)出身です。

 

江戸時代を代表する俳人の一人で、親しみやすい内容の句が特徴です。

 

当初は信濃の農村で暮らしていましたが、継母との折り合いが悪く、15歳で江戸へ奉公に出されます。

 

そこから14年間故郷に帰ることはありませんでした。

 

故郷に帰ってからも父の遺産相続で腹違いの弟とトラブルになり、解決まで13年を要しました。

 

解決後に3度結婚し子どもに恵まれますが、相次いで夭折します。

 

一茶が亡くなった後、3番目の妻が娘を生み、小林家は存続します。

 

不運続きの一茶ですが、家を絶やさないという願いは果たされました。

 

小林一茶のそのほかの俳句

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