【まっすぐな道でさみしい】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!

 

俳句は決まりごとが多く、一見覚えることが多そうに感じる方もいらっしゃると思います。

 

しかし、俳句の中にはルールに縛られず感情や情景を率直に表現した「自由律俳句」と呼ばれるものもあります。

 

例えば…今回ご紹介する「まっすぐな道でさみしい」という句も自由律俳句の一つです。

 

 

こちらの句は、心境を述べる以上に深い意味があると言われています。文章としてとても分かりやすい句ですが、この句の奥深さはどこにあるのでしょうか?

 

本記事では、「まっすぐな道でさみしい」の季語や意味・表現技法・作者など徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。

 

「まっすぐな道でさみしい」の季語や意味・詠まれた背景

 

まっすぐな道で さみしい

(読み方:まっすぐなみちで さみしい)

 

この句の作者は「種田山頭火」です。

 

山頭火は、大正期から昭和初期に活躍した俳人の一人です。彼の句の特徴は一切の技巧や約束事を排除し、自分自身の生の気持ちを表現するところ(=自由律俳句)にあります。

 

季語

こちらの句には【季語】はありません。

 

のちほど詳しく触れていきますが、種田山頭火は、俳句の決まり事である57517音での構成にこだわらず、自由律俳句という新しい俳句の形式を生み出しました。

 

その中には、“無季自由律俳句”というものがあり、こちらはあえて、季節に関係する季語を入れなかったり、句に詠まれた季節を指定しないという方法が選ばれています。

 

意味

この句を現代語訳すると・・・

 

「しばらく道を歩いてきたが、この先もまっすぐな道で寂しく感じる。このまま歩いていくのだ」

 

という意味になります。

 

この句が詠まれた背景

この句は山頭火が45歳前後の頃に、旅の途中で詠まれたと言われています。

 

山頭火は旅に出た理由を「行乞(旅をしながら托鉢で日々を生きること)しか残されていないから」と語っています。

 

旅に出る以前の人生は不幸続きで、実家は破産・弟は自殺。山頭火に仕事はなく、妻とは離縁します。

 

その結果、酒に溺れ、路面電車に引かれようと自殺未遂を起こします。

 

しかし、そのとき電車に居合わせた知り合いのおかげで山頭火は助かり、その後、寺へ身元を預けられ寺男(お寺の下働きをする人)になります。

 

山頭火は寺で過ごすなかで、山頭火は永平寺で修行し俗世を捨てたいと願いましたが、和尚(=寺の住職)は「山頭火はすでに44歳。年齢的に修行には耐えられない」と拒絶します。

 

言い換えれば、山頭火は俗世を捨て、やり直すことが許されなかったということです。

 

その後、八方塞がりの山頭火は全てを捨て歩くことを考え、托鉢の旅に出ました。

 

その旅の途中で、この「まっすぐな道でさみしい」句を詠んだのです。

 

「まっすぐな道でさみしい」の表現技法

自由律俳句

自由律俳句とは五・七・五という定型にこだわらず、感情を直接表現する俳句のことを言います。

 

「や」「かな」といった切れ字や季語などの技法も使わず、口語体で記述する特徴があります。

 

(※自由律俳句は無定型俳句が全て当てはまるわけではなく、定型俳句からの自由を目的に詠まれたものが自由律俳句として認められます)

 

この句は自由律俳句で詠まれており、「七・四」の音律で詠まれています。

 

( まっすぐな道で / さみしい )

 

さみしいと率直な表現をすることで、山頭火の孤独感が純粋に伝わってきます。

 

「まっすぐな道でさみしい」の鑑賞文

 

【まっすぐな道でさみしい】は、山頭火自らが選んだ道(人生)への孤独さを感じさせる句となっています。

 

山頭火は歩くことだけが残された人生だと考えています。脇道も曲がった道もひたすら歩く、つまり一方通行の道を目的無しに歩くということです。

 

そういう意味で「まっすぐな道でさみしい」と感じています。

 

この句を詠んだ時の山頭火は出家をし、俗世を捨てたはずですが、それでもさみしいと感じています。

 

つまり僧侶としての選択をしたものの、それが逆に人間らしい考えをにじませてしまったのです。

 

人生を歩む上で捨てられない、純粋に感じた孤独感が伝わってきます。

 

作者「種田山頭火」の生涯を簡単にご紹介!

(種田山頭火像 出典:Wikipedia

 

種田山頭火(18821940年)。本名は種田正一(しょういち)、山口県出身の俳人です。

 

山頭火は名家に生まれますが、幼少期、母が井戸に身を投げて自殺してしまうところを目撃するなど、多くの不幸に見舞われました。

 

ただ、学業は順調で高校は首席で卒業し早稲田大学文学科入学します。

 

ここから波乱の日々が始まり、神経衰弱による大学退学、家業の倒産、父の行方不明、山頭火の店は経営難、弟の自殺、妻との離婚と不幸が重なります。

 

そして山頭火は酒におぼれるようになり、自殺未遂をしたことで出家の道を選びます。

 

その後は全国を行脚し句作に励み、自由律俳句で活躍しました。

 

しかし、お酒との縁は生涯断ち切れることなく、お酒が原因の脳溢血で亡くなったと伝えられています。

 

種田山頭火のそのほかの俳句

種田山頭火生家跡 出典:Wikipedia)

 

  • 分け入っても分け入っても青い山
  • うしろすがたのしぐれてゆくか
  • あるけばかつこういそげばかつこう
  • へうへうとして水を味ふ
  • この旅、果もない旅のつくつくぼうし
  • 一羽来て啼かない鳥である
  • どうしようもない私が歩いている
  • 鴉啼いてわたしも一人
  • 笠にとんぼをとまらせてあるく
  • こころすなほに御飯がふいた
  • 笠も漏り出したか
  • 水音の絶えずして御仏とあり
  • 濁れる水の流れつつ澄む
  • 酔うてこほろぎと寝ていたよ
  • けふもいちにち風を歩いてきた
  • 鈴をふりふりお四国の土になるべく
  • また一枚脱ぎ捨てる旅から旅
  • 生まれた家はあとかたもないほうたる
  • ゆうぜんとしてほろ酔へば雑草そよぐ
  • また見ることもない山が遠ざかる
  • ふるさとはあの山なみの雪のかがやく
  • すべつてころんで山がひつそり
  • 生死の中の雪ふりしきる
  • 松はみな枝垂れて南無観是音
  • 鉄鉢の中へも霰
  • 霧島は霧にかくれて赤とんぼ
  • ほろほろほろびゆくわたくしの秋
  • おちついて死ねそうな草萌ゆる