【名月を取ってくれろと泣く子かな】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!

 

江戸の三大俳人として「松尾芭蕉」「与謝蕪村」と並び称される「小林一茶」。

 

一茶が吟じたものは、子供やかえる・すずめなど小さな生き物を句材にしたものが多く、ほのぼのとした優しい印象を受けます。

 

今回はそんな一茶が残した名句の中から、誰もが一度は聞いたことがある『名月を取ってくれろと泣く子かな』という句をご紹介します。

 

 

一茶がこの句に込めた情景や心情とはどのようなものだったのでしょうか?

 

本記事では『名月を取ってくれろと泣く子かな』の季語や意味・表現技法・作者など徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。

 

「名月を取ってくれろと泣く子かな」の季語や意味・詠まれた背景

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名月を 取ってくれろと 泣く子かな

(読み方:めいげつをとってくれろとなくこかな)

 

この句の作者は「小林一茶(こばやしいっさ)」です。俳句集「おらが春」に収められています。

 

一茶は多くの子供の句を詠んでおり、まるで童謡の世界を描いたかのような心温まる句を残しています。

 

これらの句は、後の世の人々にも広く受け入れられ、一茶の名声を上げる要因となりました。

 

季語

この句に含まれている季語は名月」で、季節は「秋」を表します。

 

「秋の月」は遠い昔から日本人の心に根づいており、和歌の世界でも春の「花」、冬の「雪」と並んで三つの代表的な季の詞とされてきました。

 

名月とは、旧暦の八月十五日(新暦九月十五日)の晩に出る月を意味します。この頃は空が澄み渡り、月がことさら美しく輝くことから、「中秋の名月」と呼ばれています。

 

中秋の名月は古来より特別なものとして捉えられており、平安時代には宮廷で月を鑑賞する宴が催されていました。

 

やがて時代が下るにつれ庶民の間にも広がって行き、江戸時代には家の縁先に団子・栗・芋などを供え、すすきを活けて「月見」をするのが恒例となりました。

 

意味

こちらの句を現代語訳すると・・・

 

「背中に背負われた幼子が、十五夜の月を指し「とってちょうだい」とねだり、泣いていることだ。」

 

という意味になります。

 

(※とってくれろ… とってちょうだいの意味)

 

この句が詠まれた背景

この句は一茶が57歳の頃、溺愛していた「さと女」を背負い、月見をしていた折の句です。

 

一茶はさとを溺愛しており、この句が収められている『おらが春』にも、さとの愛らしい姿が記されています。

 

例えば、その中のある句では・・・

 

【風車をほしがるので与えると、すぐさましゃぶり捨て、ほかの事に興味を移す。そこらの茶碗を割ってはそれもすぐ飽きて、障子の紙をめくりだす。「よくやった」と一茶が褒めれば真に受けて、ケラケラと笑いひたすらむしる。】

 

とあります。

 

好奇心でいっぱいの我が子にほとほと困惑しながらも、優しく成長を見守る深い愛情を感じさせます。

 

しかし、一茶は赤子のうちに次々と我が子を失っています。

 

54歳で初めての子供「千太郎」を得ますが、生後約一ヶ月で亡くしています。56歳で生まれこの句に詠まれた「さと女」も、約一年後に死亡し、58歳のときには「石太郎」もこの世を去りました。

 

その後二度の再婚を繰り返し、最後の妻との間に子供を授かりますが、一茶がこの世を去った後に誕生しています。

 

この句には亡くした愛児への並々ならぬ思いが詠みこまれており、命の儚さや子をなくした父親の哀れさを感じさせます。

 

「名月を取ってくれろと泣く子かな」の表現技法

「泣く子かな」の切れ字「かな」

「泣く子かな」には、詠嘆を表す切れ字の「かな」が使われています。

 

切れ字とは「かな・けり・や」などの語で、強調や余韻を表す効果があります。また意味の切れ目をつくり、作者の感動の中心を表します。

 

この句では「泣く子かな」に「泣いている子だよ・・・」と、詠嘆の意味が込められています。

 

「名月を取ってくれろと泣く子かな」の鑑賞文

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空に輝く十五夜の月を眺め、親子でお月見を楽しむ様子が描かれています。

 

「お父さん、あの綺麗なお月様をとってちょうだいよ!」とねだる素直な子供心が、なんともほほえましい一句です。

 

「とってくんろ」という口語的な表現からも、幼子の無邪気さが伝わってきます。

 

おそらく一茶も「遠いところにあるからとれないんだよ」となだめたことでしょう。

 

それでもさらに泣いて駄々をこねる我が子に戸惑いながらも、愛おしく感じる親心が詠みこまれています。一茶の我が子への優しく暖かなまなざしが目に浮かんでくるようです。

 

また名月の素晴らしさを一茶自身の心情で詠みこむのではなく、間接的に子供の目線で捉えている点にも注目です。

 

まだ幼い子供が思わず手にとりたいとしきりにせがむ様子から、空に煌々と輝く満月が想像できます。

 

作者「小林一茶」の生涯を簡単にご紹介!

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(小林一茶の肖像 出典:Wikipedia)

 

小林一茶(1763-1827年)は江戸を代表する俳人の一人です。本名を小林弥太郎といい、信濃国(現在の長野県)に生まれました。

 

わずか3歳で生母を亡くし、父の再婚で迎えた継母とは折り合いが悪く、その後唯一の味方であった祖母も亡くしています。

 

家での居場所をなくした一茶は、15歳の頃に長男にもかかわらず江戸へ奉公に出されました。

 

そして奉公先で俳諧の世界に目覚め、二六庵小林竹阿や今日庵森田元夢らに師事して俳句を学びます。

 

29歳の頃14年ぶりに故郷に帰った一茶は、倒れた父親の最後を看取ります。父は財産を一茶と弟達で二分するよう遺言を残しますが、継母たちが反対したため遺産相続争いは12年もの間続きました。

 

その後、継母たちと和解し郷里に帰住した一茶は、52歳にして初婚を迎えます。生涯三度結婚し子供を5人授かりますが、最後に生まれた娘を除き、全て幼いうちになくなっています。

 

65歳のときには家が焼失し、火事を免れた土蔵で暮らしますが、持病の発作により65歳の生涯を閉じました。

 

母の死に始まり、長年にわたる遺産相続争いや妻子を相次いで亡くすなど、生涯を通して不遇ともいえる人生を送っています。

 

このような人生の苦闘を経験してきた一茶だからこそ、小さくか弱い生き物を労わるような優しい俳句が作れたのでしょう。

 

小林一茶のそのほかの俳句

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