【うまさうな雪がふうはりふわりかな】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!

 

この世に存在する最も短い詩「俳句」。

 

わずか17音で物語つづる俳句は日本を飛び出し、今や世界中の人々から愛される芸術の一つです。

 

今回は数多くある名句の中でも「うまさうな雪がふうはりふわりかな」という小林一茶の句をご紹介します。

 

 

本記事では、「うまさうな雪がふうはりふわりかな」の季語や意味・表現技法・鑑賞などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてくださいね。

 

「うまさうな雪がふうはりふわりかな」の作者や季語・意味

 

うまさうな 雪がふうはり ふわりかな

(読み方:うまさうな ゆきがふうはり ふわりかな)

 

この句の作者は「小林一茶」です。

 

一茶はその生涯において約22,000もの句を作ったといわれており、その数は松尾芭蕉の約1,000句、与謝蕪村の約3,000句と比較しても群を抜いていることがわかります。

 

季語

こちらの句の季語は「雪」、季節は「冬」です。

 

暦でいうと1月の季語になります。

 

古くから、日本では「雪」を単なる自然現象としてとらえるのではなく、何か特別な感情をもって眺められてきました。

 

意味

こちら句を現代語訳すると・・・

 

「空を見上げると、美味しそうな牡丹雪が、ふうわりふわりと降ってくることだ。」

 

という意味になります。

 

空から降る雪の様子を「ふうはりふわり」と詠むところが小林一茶らしく、柔らかい冬の情景が描かれている一句といえます。

 

「うまさうな雪がふうはりふわりかな」の表現技法

 

この句で使われている表現技法は・・・

 

  • 比喩(暗喩)
  • 切れ字「かな」
  • 「ふうはりふわり」という表現
  • 句切れなし

     

    になります。

     

    比喩(暗喩)

    「暗喩」とは、たとえの表現の一種で、「~のような」とか「~のごとし」といったように、比喩であることがはっきりと分かる書き方をしていないものをいいます。

     

    たとえるものを直接的に言い切ってしまい、聞き手に想像を委ねるように表現しています。

     

    この句では、雪を「うまさうな雪」と言い切ってしまうことで、甘い砂糖菓子にたとえています。

     

    切れ字「かな」

    「切れ字」とは、感動の中心を表す言葉で、代表的なものに「かな」「や」「けり」などがあります。意味としては、「…だなぁ」といった感じに訳すことが多いです。

     

    この句の切れ字は「ふわりかな」の「かな」です。

     

    空から雪が舞い落ちてくる様子が感動的であることを、「かな」を用いて強調しています。

     

    「ふうはりふわり」という表現

    空から雪が舞い落ちてくる様子を「ふうはりふわり」という擬態語を使うことで、聞き手の想像力を刺激します。

     

    甘くておいしい綿菓子のような雪を想像しませんか?

     

    外は雪が降るほど寒いのに、何だかとても温かく、微笑ましい雰囲気を感じます。

     

    このように、目に映る何気ない日常の光景が、どこか楽しいものになってしまう…小林一茶にはそんな才能があります。

     

    句切れなし

    意味や内容、調子の切れ目を「区切れ」といいます。

     

    「区切れ」は、俳句にリズム感を持たせる効果がありますが、こちらの句では、句の意味が最後まで切れることがありません。

     

    すなわち、「句切れなし」ということになります。

     

    「うまさうな雪がふうはりふわりかな」の鑑賞文

     

    【うまさうな雪がふうはりふわりかな】は、空から雪が降ってくる日常の何気ない光景を「うまそうな」という言葉と「ふうはりふわり」という言葉を使って巧みに表現しています。

     

    雪を甘い砂糖菓子にたとえ、それを俳句に詠んでしまうところが、何ともユーモラスで、愛嬌があります。

     

    そして、雪が舞い落ちてくる様子を「ふうはりふわり」と表現することで、綿毛のような温かさを感じます。

     

    「その気持、よく分かる!」と思わずうなずきたくなるような表現が読んでいて楽しい一句です。

     

    「うまさうな雪がふうはりふわりかな」が詠まれた背景

     

    この句は文化10年(1813年)の冬に小林一茶によって詠まれたものです。

     

    江戸後期の句日記『七番日記(しちばんにっき)』に収録されています。

     

    文化10年(1813年)は江戸時代後半、第11代将軍徳川家斉が統治していた時期で、江戸文化が十分に発達した時代でもあったといわれています。

     

    江戸時代はそれ以前の時代とは比べ物にならないほど文化が発達し、一般の人々にも受け入れられた時代だといわれています。江戸時代の文芸作品は大衆的なものが多く、その中の一つに俳諧(後の「俳句」)がありました。

     

    もともと「俳諧」という言葉は「滑稽」とか「面白味」といった意味を持ち、優雅な美の世界を目指す本来の連歌からそれ、滑稽な言葉遊びとなったものを「俳諧」と呼ぶようになりました。

     

    そして俳諧の上の句(五七五)が独立して鑑賞されるようになったものが、「俳諧の句」、すなわち「俳句」のもととなるものが誕生しました。

     

    つまり、この句が詠まれた時代は、これまで貴族階級の間でしか浸透していなかった文化や芸術が庶民の間にも広がり、すそ野の広い発展を遂げた時代であったといえます。

     

    作者「小林一茶」の生涯を簡単にご紹介!

    Kobayashi Issa-Portrait.jpg

    (小林一茶の肖像 出典:Wikipedia)

     

    小林一茶(1763年~1828年)は本名を小林弥太郎といい、信濃国(現在の長野県)に生まれました。

     

    松尾芭蕉、与謝蕪村と並ぶ江戸時代を代表する俳人の一人です。

     

    一茶はわずか3歳の時に生母を亡くし、父の再婚相手の継母とは折り合いが悪く、次第に居場所をなくします。

     

    唯一の味方であった祖母を亡くしたことを機に、一茶は15歳の時に江戸へ奉公に出されます。

     

    その後も13年間に渡って争われた遺産相続問題や相次ぐ子どもと妻の死など、一茶は波乱万丈ともいえる厳しい人生を強いられます。

     

    こうした人生における数々の苦労からか、一茶の句は日常の些細な出来事や身近な風景が描かれることが多く、温かく、親しみを覚える内容が特徴となっています。

     

    小林一茶のそのほかの俳句

    一茶家の土蔵 出典:Wikipedia