【みんな夢雪割草が咲いたのね】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞・作者など徹底解説!!

 

日本が誇る伝統芸能の一つ「俳句」。

 

五七五のわずか17音の芸術といわれている俳句は、世界中の人々から親しまれ、愛されている文芸です。

 

今回は、数ある名句の中から三橋鷹女の「みんな夢雪割草が咲いたのね」という句をご紹介します。

 

 

本記事では、「みんな夢雪割草が咲いたのね」の季語や意味・表現技法・鑑賞などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてくださいね。

 

「みんな夢雪割草が咲いたのね」の季語や意味・特徴

 

みんな夢 雪割草が 咲いたのね

(読み方:みんなゆめ ゆきわりそうが さいたのね)

 

この句の作者は「三橋鷹女(みつはし たかじょ)」です。

 

この句は、1940年に発刊された第一句集『向日葵』に収録されています。

 

季語

こちらの句の季語は「雪割草(ゆきわりそう)」で、季節は「春」を表します。

 

雪割草は「ミスミソウ」の仲間で、早春の太陽の光をたくさん浴びて、3月頃に花開く山野草の一種です。

 

意味

この句を訳すると・・・

 

「目覚めたら、みんな夢だった。あぁ、雪割草が咲いている」

 

といった文字通りの意味となります。

 

最初の「みんな夢」は鷹女の呟き的な発言で、以降の「雪割草が咲いたのね」とは関係のないところが面白い句です。

 

特徴

この句は三橋鷹女が1940年(41歳のとき)に発刊した第一句集『向日葵』の中に収録されています。

 

有季定型ぎりぎりのところで自由奔放に、感情の赴くままに表現した鷹女のスタイルは、当時注目を集めました。

 

「みんな夢」という独り言に近い呟きと、それに続く「雪割草が咲いたのね」という事実への飛躍。

 

眼が覚めれば「みんな夢」だったことに気づくことって誰にでもある経験かと思います。そして、ふと目をやると、目の前には春の到来を示す可憐な雪割草が咲いています。

 

そんな日常のちょっとした出来事も鷹女にかかればこのような句になります。

 

何の脈略もなく「みんな夢」と始まることにまず驚かされ、そして口語も用いた「咲いたのね」です。鷹女の言葉のセンスと感覚の良さに感心する一句といえます。

 

「みんな夢雪割草が咲いたのね」の表現技法と鑑賞

初句切れ

この句には切れ字はありませんが、初句「みんな夢」で一旦意味が切れていますので、「初句切れ」となります。

 

「みんな夢」という鷹女の呟きとも捉えられる表現は、一瞬にして人々の注目を集めています。

 

「みんな夢」。目覚めたら、全て夢だった…そんな経験はありませんか?そして、ふと庭に目をむけると雪割草が咲いていることに気がつきます。

 

この句はわずか17音で、二つの事柄を表現しているということになります。

 

「みんな夢雪割草が咲いたのね」の鑑賞文

 

この句は自由律俳句とまではいえませんが、有季定型ぎりぎりのところで自由奔放に詠まれています。

 

「みんな夢」という独り言に近い呟きと、「雪割草が咲いたのね」という事実への飛躍。

 

雪割草が目の前にある現実を印象的にするために、最初に「みんな夢」ともってきたのでしょうか。夢の中も、現実も、そのはかなさは似たようなもので、どっちつかずにいる象徴を雪割草と捉えることもできます。

 

個人的には、「今こうして雪割草を見ていることもまた夢なのかもしれないといった」あらゆる時代、あらゆる場所に遍在する、命のはかなさや普遍的な哀しみを、この句は訴えているように思えます。

 

この句は写生の方法に頼らない自由な「口語表現」と新興俳句の「詩的表現」を駆使して女性の情念を詠んだ代表的な一句であるといえます。

 

作者「三橋鷹女」の生涯を簡単にご紹介!

 

三橋鷹女(1899年~1972年)は千葉県出身の俳人で、本名を「たか子」といいます。

 

昭和期に活躍した女流俳人、中村汀女、星野立子、橋本多佳子とともに「四T」と称されました。

 

兄・慶次郎が若山牧水や与謝野晶子に師事する歌人であったことから、影響を受け、鷹女も作歌をはじめますが、1922年、俳人であり歯科医師であった東謙三との結婚を機に、俳句を詠むようになります。

 

夫とともにホトトギス派の俳人、原石鼎に師事しますが、最終的にはホトトギス派から離れ、前衛的な句を詠むようになります。

 

当時流行っていた写生的な手法に頼らず、口語表現や新興俳句の詩的表現などを駆使して、女性の情念を前面に出した句を詠むなど、独特で激しい作風を特徴とします。

 

晩年は自らに重ね合わせ「老い」や「死」について詠んだものが多くみられますが、その創作意欲は依然として衰えることはありませんでした。

 

 

三橋鷹女のそのほかの俳句