五七五の17音で表現する短い詩である「俳句」。
俳句はこのように短い詩は世界でも珍しく、日本語だからこそ可能な芸術であるといわれています。
今回は、数ある名句の中でも「涼風の曲がりくねってきたりけり」という小林一茶の句をご紹介します。
涼風の
曲がりくねつて
来たりけり 小林一茶#折々のうた-春夏秋冬-夏#七番日記#小林一茶 pic.twitter.com/AxdhGrBrTV
— 菜花 咲子 (@nanohanasakiko2) July 22, 2018
本記事では、「涼風の曲がりくねってきたりけり」の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてくださいね。
目次
「涼風の曲がりくねってきたりけり」の季語や意味・詠まれた背景
涼風の 曲がりくねって きたりけり
(読み方:すずかぜの まがりくねって きたりけり)
この句の作者は「小林一茶」です。
一茶が江戸で暮らしていた頃に作られた句で、せっかくの「涼風」なのに、「曲がりくねってやってくる」と表現することによって、江戸の暑さをシニカルに表現しています。
季語
こちらの句の季語は「涼風」で、季節は「夏」です。
涼風とは、夏の終わり頃に吹く涼しい風を指します。
涼しい風が吹き始める時期、つまり、暑いからこそ涼しさを感じることができることから、暦でいうと8月中旬、立秋の初候にあたります。
意味
この句を現代語訳すると・・・
「涼風が曲がりに曲がりくねって届くのだろうよ」
といった意味になります。
ちなみに、この句には前書き:「うら長居のつきあたりに住みて」とあることから・・・
「表通りから裏に入った裏長屋。その裏長屋のまたその奥のつきあたりにある我が家へは、せっかくの涼風も曲がりに曲がりくねって届くのだろうよ」
という意味になります。
涼風が通りぬける様を「曲がりくねって」と表現することで、江戸という町の住みにくさを表しています。
この句が詠まれた背景
この句は一茶が江戸に住んでいた頃に詠んだものとされています。
一茶はわずか3歳の時に生母を亡くし、父親の再婚相手の継母とは折り合いが悪く、次第に家の中で居場所をなくします。
唯一の味方であった祖母を亡くしたことを機に、一茶は長男であったにもかかわらず、15歳の時に江戸へ奉公に出されます。
一茶が生まれ育った信州と比べ、江戸の夏は暑く過ごしにくかったことが想像できます。
そんな江戸の町の住みにくさを「涼風の曲がりくねってきたりけり」と表現し、自分の住む所へ吹いてくる涼風は、もはや涼しい風ではない…と、皮肉っています(自嘲の気持ちが働いていると捉えることもできます)。
「涼風の曲がりくねってきたりけり」の表現技法
この句で使われている表現技法は・・・
- 暗喩(隠喩)
- 切れ字「けり」
- 区切れなし
になります。
暗喩(隠喩)
物事をたとえるときの「暗喩(隠喩)」は、「~のような」「~のごとし」といったような比喩言葉を使わずに物事に例える表現技法のことです。
この句では、涼風が吹いてくる様を「曲がりくねって」と表現することで、長い道のりを経て我が家へ辿り着いた涼風はもう涼しくもない(=暑い江戸の夏)とたとえています。
切れ字「けり」
「切れ字」は句における作者の感動の中心を表す言葉のことで、俳句ではよく使われる技法です。
代表的なものに「かな」「や」「けり」などがあり、意味としては、「…だなぁ」といった感じに訳すことが多いです。
この句の切れ字は「きたりけり」の「けり」です。
涼風が吹いてくる様子を自嘲とも捉えられる表現で皮肉っており、「けり」を用いてそれを強調しています。
句切れなし
意味や内容、調子の切れ目を「句切れ」といいます。
「句切れ」には俳句にリズム感を持たせる効果がありますが、今回の句については、句の意味が最後まで切れることがありません。
すなわち、「句切れなし」ということになります。
「涼風の曲がりくねってきたりけり」の鑑賞文
【涼風の曲がりくねってきたりけり】は、涼風が吹く何気ない風情を「曲がりくねって」と表現することで、一茶が住む江戸の町の夏の暑さと住みにくさを皮肉っています。
これは、長男であるにもかかわらず15歳で江戸に奉公に出された自らの生い立ちを皮肉っているとも捉えられる表現です。
涼しい風を感じたときに、ふと考えてしまったのでしょうか?
「曲がりくねって」という言い回しにおかしみが感じられる一茶らしい一句だといえます。
作者「小林一茶」の生涯を簡単にご紹介!
(小林一茶の肖像 出典:Wikipedia)
小林一茶(1763年~1828年)は本名を小林弥太郎といい、長野県の北部にある北国街道柏原宿(現信濃町)の農家の長男として生まれました。松尾芭蕉、与謝蕪村と並ぶ江戸時代を代表する俳人の一人です。
一茶は15歳の春に江戸へ奉公に出されました。奉公先を点々と変えながら、20歳を過ぎた頃から俳句の道を目指すようになりました。
家庭環境には恵まれなかった一茶ですが、俳句の才能には恵まれ、生まれ故郷の北信濃の門人を訪ねては、俳句指導や出版活動などを行っていました。
句日記『七番日記』『八番日記』『文政句帖』、句文集『おらが春』は一茶の代表作として有名です。
生涯に渡って2万句にもおよぶ俳句を残しています。
波乱万丈ともいえる厳しい人生を強いられた一茶の作風は、人生における数々の苦労からか、日常の些細な出来事や身近な風景が描かれることが多く、温かく、親しみを覚える内容が特徴となっています。
小林一茶のそのほかの俳句
(一茶家の土蔵 出典:Wikipedia)