【とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!

 

わずか17音という非常に短い音で物語をつづる「俳句」。

 

日本が生み出した芸術として、今や世界中の人々から愛され、親しまれています。

 

今回は、昭和を代表する女流俳人・中村汀女の作品である「とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな」という句をご紹介します。

 

 

本記事では、「とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな」の季語や意味・表現技法・鑑賞などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてくださいね。

 

「とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな」の季語や意味・詠まれた背景

 

とどまれば あたりにふゆる 蜻蛉かな

(読み方:とどまれば あたりにふゆる とんぼかな)

 

この句は「中村汀女(なかむらていじょ)」が昭和7年(1932年)に詠んだ句で、『汀女句集』に所収されています。

 

季語

こちらの句の季語は「蜻蛉」で、季節は「秋」を表します。

 

「蜻蛉(とんぼ)」は古くから秋の季語として使われてきた言葉で、秋の訪れを感じさせてくれる代表的な生き物と言えます。

 

意味

この句を現代語訳すると・・・

 

「残暑の道を歩いていると、目の前を横切るものがある。思わず立ち止まり、正体を確かめようとあたりを見回すと、今年はじめて見る蜻蛉が何匹も飛んでいる。」

 

という意味になります。

 

「あぁ、いつの間にか秋が来ていたのだなぁ…」と思わず呟く作者の心の声が聞こえてくるような一句です。

 

この句が詠まれた背景

「とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな」という句は、夫の転勤に伴い、住居を大阪から横浜に移した頃の作品であるといわれています。

 

このとき、汀女は32歳。住み慣れた地を離れ、新しい土地での生活をスタートしたときに詠んだ一句です。

 

句の「とどまれば」とは、「歩くのを止めると」といった意味ですが、この場合、日常生活とは異なる視点を意味しています。

 

何か目的を持って歩いているときには目に入らないものが、ふと心に余裕を持ち、立ち止まってみると、突如として目に飛びこんでくる風景があります。

 

この句は、そんな日常の中でちょっと心が和み、視野が広がったときに感じた秋の気配を詠んだ一句だといえます。

 

「とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな」の表現技法

 

この句で使われている表現技法は・・・

 

  • 切れ字「かな」(句切れなし)
  • 「とどまれば」という出だし

 

になります。

 

切れ字「かな」

切れ字とは「かな・けり・や」などの語で、文としての切れ目である句切れや作者の感動の中心を表します。

 

この句は、下五「蜻蛉かな」の「かな」が切れ字に当たります。

 

あたりに何匹もの蜻蛉が飛んでいることに、ふと気づいたときの驚きを強調しています。

 

また、今回の句については句の途中で切れるところがありませんので「句切れなし」の句となります。

 

「とどまれば」という出だし

「とどまれば」とは、動詞「とどまる」の活用形の一つである未然形「とどまれ」に接続助詞「ば」が付くことで、順接の確定条件を示す「歩みを止めてみたら」という意味になります。

 

「とどまれば」で始まることで、句に奥行きをもたせ、動きが感じられるようになっています。

 

具体的には、出だしに動きを持ってくることで、ある一つの事象(歩みを止めてみること)を次の段階(立ち止まらなければ気づかなかった蜻蛉を見つけることができた)へ導いています。

 

「とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな」の鑑賞文

 

【とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな】は、風が心地よいある日常の一コマを詠んだ句になります。

 

ちょっとそこまで用を足しに出かけた作者がふと足を止め、気が付くと風にのった蜻蛉があたりに数を増して飛んでいます。

 

その数は、軽い驚きを感じるほどの多く、感嘆ともとれる溜息をもらします。そんな情景が思い浮かびます。

 

蜻蛉の姿をしばらく佇んで眺めていると、自分の心も秋風の中に解き放たれたような気がし、「あぁ、もう秋だなぁ」と、そんな季節の移ろいを感じる一句です。

 

作者「中村汀女」の生涯を簡単にご紹介!

(1948年の中村汀女 出典:Wikipedia

 

中村汀女(1900年~1988年)は熊本県出身の俳人で、本名を破魔子(はまこ)といいます。

 

1918年に高校を卒業した汀女は、その頃から『ホトトギス』に投句を始めます。

 

生活に密着した素直で叙情的な作品が多い汀女は、高浜虚子から特別の指導を受けるようになり、1934年に『ホトトギス』の同人となります。

 

最初の句集『春雪』は高浜虚子の実子、星野立子の句集『鎌倉』と同年(1930年)に発表され、虚子が同じ序文を寄せることで「姉妹句集」と呼ばれています。

 

その後汀女は1947年に俳誌『風花』を創刊・主宰し、1980年には文化功労者に選ばれました。また、芸術の分野で大きな業績をあげた人に贈られる日本芸術院賞を1984年に受賞し、名誉都民、熊本市名誉市民にも選ばれ、1988年に享年88歳で亡くなりました。

 

中村汀女の俳句は、日常の些細な出来事が詠まれることが多く、ときには「台所俳句」とも揶揄されましたが、汀女をはじめ、この時代の普通の女性の職場は「家庭」であり、その「家庭」を堂々と句に詠むことがなぜいけないのか、と女性の生き方を肯定する数々の句を残したことで知られています。

 

 

中村汀女のそのほかの俳句

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