【鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!

 

五・七・五の十七音で四季の美しさや心情を詠みあげる「俳句」。

 

中学校や高校の国語の授業でも取り上げられ、なじみのある句も多くあることでしょう。

 

今回は、数ある名句の中から「鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる」という加藤楸邨の句をご紹介します。

 

 

 

本記事では、「鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる」の季語や意味・表現技法・作者について徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。

 

「鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる」の作者や季語・意味・詠まれた背景

 

鮟鱇の 骨まで凍てて ぶちきらる

(読み方:あんこうの ほねまでいてて ぶちきらる)

 

こちらの句の作者は「加藤楸邨」です。

 

「人間探求派」の俳人ともいわれ、自己の内面に向き合った句を多く詠みました。

 

季語

この句の季語は「鮟鱇(あんこう)」、季節は「冬」です。

 

鮟鱇は、冬に旬を迎える魚です。口が大きく、平べったい体をしていて深海にすんでいます。

 

見た目はグロテスクな姿ですが、鍋にするとおいしく、高級食材に数えられています。この句でも食材としての鮟鱇が切られていく様子を詠んでいます。

 

また、この句には「凍てて」という言葉もあります。「凍てる」つまり、「凍る」ということで、これも冬の季語となる語です。

 

一般に、一句の中に季語になる言葉が複数入ることを「季重なり」と言って避けるとされています。(※短い一句の中に季語がいくつもあると何に感興を催して一句が詠まれたものかはっきりしなくなることが多いため)

 

この句では作者の視点はぴたりと「鮟鱇」にあてられています。まないたにのせられ、切られていくところを目をそらさず見つめています。「鮟鱇」をこの句の季語とするべきでしょう。

 

意味

こちらの句を現代語訳すると・・・

 

「骨まで凍てつくほど冷やされた鮟鱇が、包丁でぶちきられていくことだ。」

 

という意味になります。

 

鮟鱇が食材として切られていく様子を詠んでいます。

 

この句が生まれた背景

こちらの句は、昭和24年(1949年)の「起伏」という句集に入っている句になります。

 

加藤楸邨はこの句が詠んだ頃、肋膜炎を患い、寝たり起きたりの療養生活を送っていました。

 

ぶち切られていく鮟鱇は作者自身の投映とも考えられます。

 

戦後の加藤楸邨の俳句には混乱する世相、それを生き抜こうとする人々、病を得た自分の内面に迫る句が多くあります。

 

「鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる」の表現技法

「ac 写真 包丁」の画像検索結果

 

こちらの句で用いられている表現技法は・・・

 

  • 句切れなし
  • 「ぶちきらる」という受け身の表現

 

2つになります。

 

句切れなし

句切れとは、俳句一句の中でリズム・意味の上から大きく切れるところです。

 

「かな」「や」「けり」などの切れ字のあるところ、普通の文でいえば句点「。」がつくところできれます。

 

この句は、句の中に途中で切れるところはありません。

 

このような句を「句切れなし」といいます。

 

鮟鱇が一気に断ち切られていくさまを息を詰めてみているような緊張感があります。

 

「ぶちきらる」という受け身の表現

受け身の表現自体は詩歌の修辞とも言い難いですが、この句ではこの表現が句全体の雰囲気をつくっているといえるので、ここで解説します。

 

「ぶちきらる」とは、「ぶちきる」に受け身の助動詞「らる」がついた形です。

 

つまり、切られる鮟鱇の立場からとらえた言葉です。

 

この句では「ぶちきらる」と受け身でつかわれていることから、作者の視点は鮟鱇と同化しているとも考えられます。

 

「ぶちきる」を他の言葉で言い換えたら、叩き切るなどでしょうか。激しく、荒々しい言葉です。

 

格好つけていう言葉ではなく、日常の中で乱暴に言われる言葉のひとつでしょう。

 

乱暴に荒々しくたたき切られていくのは、まるで自分。受け身の「ぶちきらる」からは、そういった一種の凄みを与えています。

 

「鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる」の鑑賞文

 

【鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる】の句は、なんとも言えない凄みのある句です。

 

単純に考えれば魚が切られていくだけの情景に思えますが、よく考えてみるとどのような状況を詠んだものかわかりにくい句なのです。

 

この句の「骨まで凍てて」という言葉は、そのまま読めば「保冷され、骨まで凍り付いて」という風にも読めます。

 

鮟鱇で食用にされるのは主に体の大きなメスです。そうであれば骨まで凍るほど冷やすことは困難なので、体の小さいオスの個体、どうかするとメスの鮟鱇に食われてしまうほど小さいオスの鮟鱇が骨まで凍り付いていたものだろう、自然の非情さを感じ取れるという解釈もあります。

 

しかし、この句が詠まれた昭和20年代には魚が本当に凍り付くほどの冷凍技術も設備の普及も十分でないため、本当に凍っていたのではなく、凍り付くほどに冷えていることを言っているのだろうという解釈もあります。

 

また、鮟鱇は身が柔らかく、たいへんに切りにくい魚です。心得のある料理人は、つるし切りといって、空中につるして切り分けていく魚です。

 

 

しかし「ぶちきらる」という強い言葉からは、つるし切りにされているというより、まな板の上で包丁を使ってたたき切られている雰囲気のある言葉です。はたしてどのように切られていたものでしょうか。

 

この句が詠まれたころ、世は戦後の混乱にあり、作者は病を得て療養生活を送っていました。

 

この鮟鱇の句と並んで、戦後の加藤楸邨の句として有名なのが・・・

 

「雉(きじ)の眸(め)の かうかうとして 売られけり」(昭和23年(1948年)「野哭」所収)

(意味:食用に捕らえられ、殺された雉の目はこうこうと光っているようだが、売られていくのだ。)

 

という句があります。終戦直後の食糧難の闇市での情景を詠んだといわれる句です。

 

この鮟鱇の句も、闇市の光景なのかもしれません。冬のこと、魚もそれをさばく人の手も氷のように冷えていたでしょう。闇市で、つるし切りなどできる設備もなく、それができる心得がある人もおらず、まな板の上にのせられて、包丁で乱暴にぶち切られたのかもしれません。

 

または、闇市で買った鮟鱇を設備不十分な家庭の台所の包丁で切り分けようとしているのかもしれません。もちろんつるし切りなどできようはずもなく、もしかしたら魚用の包丁ですらないかもしれず、とにかく食べるために力任せにたたき切っている状況と考えることもできるでしょう。

 

「ぶちきる」という乱暴な言葉から、料理の作法にのっとって、高級食材として丁寧に調理されているのではなく、ただひたすら食べるためにたたき切られている鮟鱇の姿が浮かぶのです。

 

そして、作者は「ぶちきらる」という受け身で表すことによって、作者の視点を鮟鱇の視点と同化させています。

 

切られていくのは自分という衝撃的な視点です。しかし、ぶちきられた後の鮟鱇を食べるのも自分なのでしょう。食べられる側も一瞬にして食べる側に回る。生きていくことの業を表しているようでもあります。

 

鮟鱇というグロテスクな魚、食べるために作法も何もなく切られていく様、ぶちきるという荒っぽい日常語、きれいごとをならべるのではなく、戦後の混乱を生き抜こうとするエネルギーも感じさせます。

 

作者「加藤楸邨」の生涯を簡単にご紹介!

加藤楸邨は、本名を健雄(たけお)といい、明治38(1905)の生まれの、昭和から平成初めまで活躍した俳人です。

 

 

若くして父を亡くし、働きながら苦労して学びました。

 

水原秋桜子の門下となり、昭和10(1935)には秋桜子主宰する俳句雑誌「馬酔木」同人となります。

 

その後も働きながら東大に通うなど、熱心な勉学の徒でした。石田波郷、中村草田男らとならび、「人間探求派」の俳人とも称される加藤楸邨ですが、「俳句の中に人間を生かす」ことを大切に、俳句を詠み続けました。

 

苦労して学問を続けた若き日、戦禍で家財産、蔵書、原稿一切を失う、病を得て数度の手術を経ながら療養生活を送るなど、楸邨の人生は平坦ではなく、自己の悩みや苦しみ、葛藤や、人々の生活へのまなざしが彼の俳句には織り込まれています。

 

俳人としては貪欲で、自らの作風の幅も広く、多様タイプの後進を育成したことでも知られます。

 

平成5年(1993年)に亡くなりました。享年88歳でした。

 

加藤楸邨のそのほかの俳句