【近代の有名俳句 30選】絶対知っておきたい句・一覧!!季語を含む俳人名句を紹介!

 

俳句は江戸時代に連歌から「発句」として独立して成立しました。

 

明治期に入ると正岡子規によって「俳句」としての芸術性が取り上げられ、それまでの価値観の転換や、激動の時代を経て、多くの俳句の作風が成立しました。

 

 

今回は、明治期から第二次世界大戦の終戦後までの近代に詠まれた有名俳句30選をご紹介します。

 

リス先生
お気に入りの俳句を見つけてね!

近代おすすめ有名俳句【前半15句】

 

俳句仙人
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉をよく聞きますが、実際にはお彼岸を迎えてもまだ暑さや寒さは残っているものです。毎年のようにまだ寒いというため息が聞こえてくるような句になっています。

俳句仙人
作者は野球好きとして知られていて、高校生のときには夏目漱石らと共に遊んでいたと言われています。しかし、この句が詠まれたときは病魔に蝕まれていてすでに遊ぶことはできなくなっていて、かつての思い出を夏草の茂み越しに思い起こしている俳句です。

俳句仙人
作者の俳句としても、法隆寺を詠んだ俳句としてもとても有名な一句です。現在食べている柿と、かつて昔の人々も聞いただろう鐘の音を対比させています。

俳句仙人

作者が病床についている冬の間の出来事を詠んだ句です。雪が降っていても直接見に行けないので、家にいる人たちにどれだけ積もったかと何度も聞いている様子を詠んでいます。

俳句仙人
「春の水」とは、冬の間凍っていた水が溶けだして勢いを増していく様子のことです。この句は作者が散歩をしているときに見かけた光景を詠んでいて、鋭い観察眼が光っています。

俳句仙人
白牡丹は真っ白な牡丹の花ではなく、中心部が薄いピンク色をしています。そんな白牡丹の様子を、まるで化粧をしたかのように「紅ほのか」と詠んでいるところに、作者の花鳥風月を詠む作風がよく表れています。

俳句仙人
青い秋の空を見上げると、まるで真っ二つに割っているかのようにそびえる椎の木が見える、という写真のような一句です。椎の木の真下から上を見上げているような風景が浮かんできます。

俳句仙人
日が当たる遠くの山と日が暮れていく枯れ野を対比した句です。冬の美しい夕暮れの景色が写実的に表現されています。

俳句仙人
「落葉」が季語になりますが、この句では作者の心象を詠んでいて季節が指定されているわけではないため、無季の自由律俳句になります。風の吹くままに一人道を歩く作者の寂しさが表れた句です。

俳句仙人
この句は当初「白い椿 赤い椿と」と順番が逆になっていました。正岡子規はこの句に対して、情景が浮かんでくるようだと絶賛しています。

俳句仙人
「高嶺星」とは山頂などの高いところに輝いている星です。星が天高くのぼる夜と寝静まった村から、昼間の喧騒を忘れさせる光景を詠んでいます。

俳句仙人
群青色の滝つぼに水が勢いよく落ちてくる様子を詠んだ句です。「群青世界」という漢字を使うことで、漢詩のような美しい風景が連想されます。

【NO.13】阿波野青畝

『 山又山 山桜又 山桜 』

季語:山桜(春)

意味:どこを見渡しても山が見え、山々にはたくさんの山桜が咲き誇っている。

俳句仙人
全てが漢字で構成された面白い一句です。山が4つ、又が2つとテンポよく繰り返すことで、見渡す限りの山に山桜が咲いている風景を詠んでいます。

俳句仙人
牡丹の大きな花が咲き乱れている様子が、「百」という漢字の繰り返しによって表れています。お寺の門を埋め尽くすような花が目に見えるようです。

俳句仙人
池西言水による「木枯らしの果てはありけり海の音」を意識しているような句です。この句では木枯らしを擬人化することによって、海に向かって吹いていく一方通行の寂しさを表しています。

 

近代おすすめ有名俳句【後半15句】

 

俳句仙人
青い秋の空と真っ赤な曼珠沙華を対比した句です。曼珠沙華は彼岸花とも呼ばれるため不吉な象徴とされることもありますが、ここでは赤と青の美しい対比になっています。

俳句仙人
花吹雪は「落花」という季語の派生の季語になります。はらはらと散るのではなく、突風が吹いたのか塊になって飛んでいく桜の花を詠んだ句です。

俳句仙人
今ではあまり見られなくなりましたが、作者が子供のころはカブトムシの角に糸をつけて物を引っ張らせる遊びがありました。そのときのことを思い出したのか、子供たちが遊んでいるのを見たのか、ぴんと伸びた糸を詠んでいます。

俳句仙人
全て平仮名で詠まれているため、どこか軽やかな印象を受ける句です。その軽やかさとは裏腹に、「おもき」と詠むことでススキの思いがけない重さが際立っています。

俳句仙人
強い風に松が揺れている風景を詠んだ春の初めの句です。松は常緑樹のため、雪が残っている季節でも葉を落とさず、冷たい風にも負けない生命力を感じます。

俳句仙人
終戦後は女性たちがファッションを楽しむようになり、価値観が急速に変わっていった時期です。自分たちの姿を隠さなくなった女性たちへの畏怖として「おそるべき」と詠んでいます。

俳句仙人
「咳」は冬の季語ですが、ここでは季節を意識して詠んでいない自由律俳句のため、季語がない無季の俳句になります。この句は晩年の孤独な人生を送っていた作者が詠んだ句で、病気になっても心配してくれる人もいないという孤独感が表れています。

【NO.8】荻原井泉水

『 月光ほろほろ 風鈴に戯れ 』

季語:風鈴(夏)

意味:月の光がほろほろと風鈴に戯れるように降り注いでいる。

俳句仙人
句またがりの俳句です。月の光が風鈴に当たっている風景ですが、「ほろほろ」「戯れ」という表現から、木の影などが揺れてちらちらとさしている様子が浮かんできます。

俳句仙人
この句は初夏を思わせる「青い山」という表現がありますが、季語はありません。作者の心象風景として、どこまでいっても鬱蒼とした葉の生い茂る山を歩き続けています。

俳句仙人

五七五の韻律は守られていますが、この句には季語がありません。作者は旅に出る際にこれまでの日記を燃やし、あれほどあった日記とたったこれだけの灰になってしまうのかという寂しさを詠んでいます。

俳句仙人
子や内縁の妻を亡くした晩年の作者の詠んだ一句です。湯豆腐という壊れやすい料理や、そこから立ち上るほのかな湯気に、人生の終わりを託しています。

俳句仙人
ところてんは型に入れて押し出して麺のような形状にして皿に盛られます。その様子が、煙が皿の底に沈んでいくようだと例えているユーモアのある句です。

俳句仙人

落葉の季節をむかえ、紅葉した葉がやむことなく降っています。この句を詠んだときの作者は病床に伏していて、「いそぐな」の繰り返しが自身の状態への焦りを表しているようです。

俳句仙人

大海原のど真ん中にいる風景が浮かんでくる句です。難しい漢字を多用していますが、不思議とどのような風景なのか写真のように浮かんでくる面白い一句になっています。

俳句仙人
プラタナスとは街路樹に使われる木です。この句を詠んだときの作者はまだ19歳で上京してきたばかりで、街路樹が夜でも街灯に照らされている都会的な光景に衝撃を受けてこの句を詠んでいます。

 

 

以上、近代の有名俳句30選でした!

 

俳句仙人
今回は、明治から終戦後の昭和の中期頃までの有名な俳句を30句ご紹介しました。
花鳥風月を重んじる作風や、そこから発展して自由な表現を追求する作風、自身の思ったことを素直に詠む作風など、多くの種類の俳句が発展した時期です。
同じ作者でも時期ごとに作風が異なってくるため、読み比べてみてはいかがでしょうか。