【ひつぱれる糸まつすぐや甲虫】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞など徹底解説!!

 

五・七・五の短い音数で構成される「俳句」。

 

小学校、中学校、そして高校の国語の教科書でも取り上げられ、なじみのある句も多くあることでしょう。

 

名句と呼ばれる優れた美しい句はたくさんありますが、今回はそんな名句の中から【ひつぱれる糸まつすぐや甲虫】という高野素十の句をご紹介します。

 

 

この句は風景以外に何を伝えようとしているのでしょうか?

 

本記事では、「ひつぱれる糸まつすぐや甲虫」の季語や意味・表現技法・作者など徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。

 

「ひつぱれる糸まつすぐや甲虫」の季語や意味・詠まれた背景

 

ひつぱれる 糸まつすぐや 甲虫

(読み方:ひっぱれる いとまっすぐや かぶとむし)

 

この句の作者は「高野素十」です。

 

作者である素十は、昭和期に活躍した花鳥諷詠を中心とする俳人です。

 

(※花鳥諷詠…自然の変化を客観的にそのまま詠むことを良しとする考えのこと)

 

季語

こちらの句の季語は「甲虫(かぶとむし)」、季節は「夏」を表します。

 

甲虫は具体的に立夏から立秋の前日までの季語として使われています。

 

また、カブトムシは力持ちで自分の体重の100倍もの重さを引っ張ることができると言われています。

 

そのため、昔は子供たちの間でカブトムシの力比べや相撲遊びが流行っていました。

 

意味

この句を現代語訳すると・・・

 

「カブトムシの角に糸をつけて反対側も固定すると、カブトムシは歩きだして、糸は一直線に張った。」

 

という意味になります。

 

この句が詠まれた背景

こちらの句は、素十が当時の子どもたちの遊びを見て詠んだ句と言われています。

 

戦前は自然を使った遊びが多く、夏にはカブトムシを使った遊びが有名でした

 

オスには大きな角があるため、そこに糸をつけ、反対側の糸の端を物などに固定して引っ張らせる遊びがよく行われていました。

 

カブトムシは自分の体重の100倍のものを引っ張る力があるため、非常に見ごたえのあるゲームになります。

 

素十は農家で生まれ、幼少期を自然の中で過ごしたため、素十が子どもの頃も同じようにゲームに熱中していたことでしょう。

 

大人になった素十は、そんなカブトムシを使って遊んでいる子供たちを見て、過去の自分のことも思いだしながらこの句を詠んだのかもしれません。

 

「ひつぱれる糸まつすぐや甲虫」の表現技法

文語体「ひっぱれる」

俳句は文語体で詠まれることがあり、口語体との解釈が異なる場合があります。

 

(文語体…古典文学で使用される文法 口語体…現在使用されている文法)

 

俳句が文語で詠まれるのは、簡潔な言葉で力強さが表現できることや、切れ字などの技法が文語のため親和性が高いことなどがあげられます。

 

今回の句では「ひつぱれる糸」が文語体にあたります。

 

口語体では「ひっぱれる糸」の意味は「引っ張られる糸」のように「受動」の解釈をしますが、文語体では「引っ張っている糸」という「存続」の意味になります。

 

意味が異なると句の意味が異なるため、注意したい部分です。

 

詠嘆の切れ字「や」

「切れ字」とは、作者の感動の中心を表す言葉のことで俳句ではよく用いられる技法です。

 

代表的な「切れ字」には「かな」「や」「けり」などがあり、意味としては、「…だなぁ」といった感じに訳すことが多いです。

 

今回の句は、「糸まつすぐや」部分の「や」が切れ字に当たります。

 

糸がまっすぐに張っていることに対して胸が熱くなっていることに焦点が当たっていることを示しています。

 

二句切れ

今回は切れ字によって「五七/五」のように二句目で切れているため、「二句切れ」の句となります。

 

句切れは文章の意味を分かりやすくするために使用されます。

 

今回の句を意味上で分解すると「ひつぱれる糸まつすぐや/甲虫」となります。

 

「引っ張っている糸がまっすぐであること」と「その動作をしているのがカブトムシであること」を短い中で示すための用法です。

 

体言止め「甲虫」

体言止めとは、文や句の終わりを名詞・体言で終わる技法のことを言い、句に余韻を残したり、強調する効果があります。

 

今回の句はカブトムシが糸を張る程の力強さを表現しているほか、まだ引っ張るであろうカブトムシの生き生きとした姿を読み手に想像させています。

 

「ひつぱれる糸まつすぐや甲虫」の鑑賞文

 

作者は、写生的な表現を用いることで自然の生命力を最大限に読み手に伝えています。

 

(※写生…実物・実景を見てありのままに写し取ること)

 

この句は、文章にするとカブトムシが糸を張らせているという特に変わったことが無いように思われます。

 

しかし、カブトムシ遊びの場面を切り取り、純粋に物事を伝えることで、カブトムシの生命力がより際立っています。

 

状況を想像すると、カブトムシが人間の想像を超えるものを引っ張っている様子です。小さな生き物が糸を張り渡らせている様子が生命力の強さを表現しています。

 

また、素十が幼少期に熱くなったであろうという心の動きが、カブトムシの引っ張る糸のまっすぐさからも伝わってきます。

 

余分な事象を極限まで取り除いたことで、読み手に想像力を掻き立たたせる句になっています。

 

作者「高野素十」の生涯を簡単にご紹介!

高野素十(たかのすじゅう)。1893年生まれ1976年没。本名は高野与巳(よしみ)。茨城県出身の俳人です。

 

 

高野素十は農家の長男として生まれ、幼少期は田園地帯で育ちました。

 

1918年には東京帝国大学医学部を卒業。大学の先輩には俳人・水原秋桜子がおり、彼との出会いが句作を始めるきっかけになりました。

 

その後、頭角を現した素十は、山口誓子・水原秋桜子・阿波野青畝とともに「ホトトギスの四S」と称されました。

 

高野素十の作風は客観写生を突き詰めた「純客観写生」が特徴で、自然界の物事を単純化してそのまま詠むことに長けていました。

 

俳句以外に医学博士としても活躍し、医科大学で教授に就任した経歴もあります。

 

1976年、軽い脳溢血により入院。同年10月に自宅で死去しました。

 

高野素十のそのほかの俳句

 

  • 方丈の大庇より春の蝶
  • くもの糸ひとすぢよぎる百合の前
  • 甘草の芽のとびとびのひとならび
  • 翅わつててんたう虫の飛びいづる
  • づかづかと来て踊子にささやける
  • 空をゆく一とかたまりの花吹雪