【咳をしても一人】俳句の季語や意味・解釈・背景・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!

 

俳句と聞くと深い知識を持って句の解釈をするものと感じる方が大勢いらっしゃると思います。

 

実際に知っておいたほうが良い決まりもありますが、俳句の中でも決まりを抜け出した自由律俳句は読むだけで伝わってくる魅力があります。

 

特に尾崎放哉の「咳をしてもひとり」は自由律俳句の代表としても取り上げられる句です。

 

 

 

この句の魅力とは何でしょうか?

 

本記事では、「咳をしても一人」の季語や意味・解釈・背景・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。

 

「咳をしても一人」の季語や意味・詠まれた背景

 

咳を しても 一人

(読み方:せきを しても ひとり)

 

この句の作者は「尾崎放哉(おざき ほうさい)」です。

 

尾崎放哉は明治時代から大正時代にかけて活躍した俳人です。

 

あの有名な種田山頭火らと並び、自由律俳句の最も有名な俳人の一人として知られています。

 

季語

あえて選ぶのであれば、季語は「咳」で季節は「冬」になります。

 

しかし、今回の自由律俳句は季語を用いるという決まりがなく、咳が季語として成立していません。

 

今回の句も、単に咳をしたという内容を伝えているだけで、読み手に冬を想像させるために使用されているものではありません。

 

意味

この句を現代語訳すると・・・

 

「部屋で咳をしたが、部屋には私たった一人だ。誰が心配してくれるでもなく孤独だ。」

 

となります。

 

この句が詠まれた背景(作者の思い&解釈)

この句は尾崎放哉が亡くなる数か月前に詠んだと言われる句です。

 

放哉は存命中に句集を作ることはなかったため、没後に荻原井泉水の編集に句集「大空」が出版され、そちらに収録されています。

 

この句を詠んだ頃の放哉は晩年でした。破天荒な人生を送ってきた放哉は香川県小豆島にある西光寺の庵に住んでいました。

 

酒癖が悪く、金の無心をするなど周囲からの評判が良くない放哉は孤立した状態だったのです。

 

そして、この頃の放哉は、庵の場所を提供した住職が食べ物を与えるほどに困窮ぶりでした。

 

放哉は自由律俳句の代表として名を知られても、実際には一人で嫌われ者として住んでいるという孤独感があります。

 

どれほど孤独を感じているかを純粋に表現したのがこの句になります。

 

「咳をしても一人」の表現技法

自由律俳句

自由律俳句とは、五七五や季語といった定型にとらわれずに作る俳句のことです。

 

俳句で頻繁に使用される意味切れを作る切れ字などの技法は使いません。

 

自由律俳句は、口語で内面の感情を直接的表現するのも特徴の一つです。

 

定型俳句から自由になることが目的であり、無定型の俳句すべてが自由律俳句にはなりません。

 

今回の句は自由律俳句で詠まれており、定型俳句より短い九音で三・三・三というリズムによって構成されています。

 

九音で詠むことで、部屋でただ一人でいるという孤独感が強まってきます。

 

体言止め「一人」

句の最後を名詞で締めることを体言止めと呼びます。

 

体言止めは言葉の後に続く文章を読み手に想像させる効果があります。

 

今回は一人という言葉ですが、一人の後に続くとすれば「孤独を感じている」といった内容になります。

 

しかし、孤独という言葉を一切使わないことで孤独感を表現しています。

 

「咳をしても一人」の鑑賞文

 

【咳をしても一人】は、奔放に生きた放哉が感じた、人生の終わりの孤独について味わうことのできる句となっています。

 

放哉の最後は長年の不養生から病に侵され、困窮も相まって餓死に近い状態で亡くなったと言われています。

 

そういった状況ですから、病でも一人狭い部屋に咳が響くだけ。

 

三・三・三のリズムは咳をしているリズムに近いものがあります。咳をして、出し終わっても続くものがいない様子を感じ取ることができます。

 

さらに直接的表現を使うことで、これ以上言葉を続ける必要がないほどの孤独を読み手に感じさせます。

 

そして状況を考えると、放哉が狭い庵に一人でいるということは、本当に声をかける人もいないということです。

 

つまり、当時の様子を想像しても極めて孤独であったことがわかります。

 

自由律俳句の第一人者と名高くても、自由な生活をし、孤独がついてくる人生でした。

 

破天荒な人生の末に純粋に感じた、深い寂しさが伝わってきます。

 

作者「尾崎放哉」の生涯を簡単にご紹介!

尾崎放哉(おざき ほうさい)。1885年生まれ1926年没。本名は尾崎秀雄(ひでお)自由律俳句の著名な一人として知られていますが、破天荒な人生を歩んだ人としても知られています。

 

 

東京帝国大学を卒業後、生命保険会社の支店次長まで登り詰めたエリートです。

 

しかし、酒癖や態度の悪さなどで退社を余儀なくされると、お寺の下働きで生活をつなぐ暮らしぶりでした。

 

俳句については中学生時代に発表して以来、生涯に渡って詠み続けました。

 

高校時代に夏目漱石から英語を習い、そこから文学、特に俳句に関して深めていったと言われています。

 

尾崎放哉のそのほかの俳句

thumb(鳥取市・興禅寺)

(尾崎放哉の石碑 出典:Wikipedia

 

  • 墓のうらに廻る
  • 足のうら洗えば白くなる
  • 肉がやせてくる太い骨である
  • いれものがない両手でうける
  • 考えごとをしている田螺が歩いている
  • こんなよい月を一人で見て寝る
  • 一人の道が暮れて来た
  • 春の山のうしろから烟が出だした(辞世)