短い言葉に想いが凝縮された「俳句」。
若い人たちには詠むための固いルールがない「川柳」の方が、ニュースでみる機会もあるので親しみやすいかもしれませんね。
でも日本人の心に響くからこそ昔の俳句も詠まれ続けているわけで、「俳句」として生まれた歴史や有名句の背景を知るとより奥深さが感じられるかもしれません。
山形にある「山寺」へ紅葉狩りに行ってきました。松尾芭蕉のあの有名な俳句「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」が読まれた地としても有名です。ここに来たのは今回で3回目! pic.twitter.com/OgpKRJ6UaY
— いよこー (@hmmt4645) October 24, 2018
そこで今回は、俳句の意味・歴史について簡単にわかりやすく解説していきます。
ぜひ参考にしてみてください。
目次
そもそも俳句ってなに?
俳句の定義とは何でしょう?
俳句とは、原型である連歌(れんが)の上の句である「5・7・5」で作られた定型詩で、十七語、十七音とも呼ばれます。
17文字の語数だけではなく、日本の四季のいずれかの季節が感じられるように「季語」と言われるものを入れること、また数少ない言葉でより趣やいきの良さを感じさせるように「や」「かな」「けり」といった「切れ字」といわれる言葉を入れて作るものが決まりとなっています。
しかし、字余り字足らずであったり、場面や心情などがよく伝わるもので季語なしで作られたりする俳句もあります。
俳句が生まれた歴史や有名人物は?
「俳句」が生まれたのはいつでしょうか。これには2つの意味での歴史があります。
一つは俳句の元となる「形式」が生まれたのが室町から鎌倉時代だということです。
貴族の間で広まっていた、詩句を数人でリレーしながら詠み続けるという優美な遊び「連歌」から始まっています。
もう一つの歴史は「俳句」という呼び名が生まれたのは明治時代だということです。
連歌の上の句の部分だけを切り取ったものが江戸時代に「俳諧」として広まり、それを明治時代の正岡子規が「俳句」という呼び名でさらに新しい文芸として発展させていったのです。
(正岡子規 出典:Wikipedia)
俳人として有名なのは江戸時代の松尾芭蕉(まつお ばしょう)、与謝蕪村(よさ ぶそん)、小林一茶(こばやし いっさ)、加賀千代女(かがの ちよじょ)ら。
大正・明治時代には正岡子規(まさおか しき)、高浜虚子(たかはま きょし)、中村汀女(なかむら ていじょ)、種田山頭火(たねだ さんとうか)らがいます。
俳句の歴史を簡単にわかりやすく解説!
(1)なぜ俳句はできた?俳句のはじまり
室町から鎌倉時代に貴族たちに詠われた連歌の「5・7・5・7・7」から、上の「5・7・5」の「発句」部分だけを短歌として切り取って詠まれるようになったものが俳句の始まりです。
(※連歌とは、最初の人が「五・七・五」で発句を詠み、次の人が「七・七」で返すと言う形式を続けていく形式の歌で、最古のものは『万葉集』に収録されています)
江戸時代にこの連歌が庶民に広がり親しまれていく中で、徐々に自分たちの生活や世の中を滑稽に風刺したもの笑いをとる作品が多くなったところから「俳優の諧謔(かいぎゃく=しゃれ・ユーモアのこと)」→「俳諧(はいかい)」と呼ばれるようになりました。
(2)俳諧から俳句へ
明治時代になって正岡子規がその諧謔的な「俳諧」の陳腐さを嫌い、写生・写実を根本にした新しい詩風へと変革したものを「俳句」と提唱します。
しかし、子規の没後になると客観的な俳句を推す高浜虚子の一派と、主観的な気持ちを読む河東碧梧桐の一派に分かれて対立します。このうち、河東碧梧桐の一派からは季語不要論を唱える荻原井泉水が現れます。
後に尾崎放哉や種田山頭火など無季自由律俳句に繋がる一派が出現するなど、俳句は多くの人々の創作意識を刺激していきます。
その後、熱心な文学活動を起こし、多くの賛同者が集まり広がっていきます。
(3)大正から昭和時代の俳句
正岡子規の死後もその考え方は受け継がれ少しずつ変化しながら様々な作風のものも現れ、叙情的なものや人間探求派といった新しい傾向を目指した俳句も多数作られました。
昭和時代には杉田久女、中村汀女など一気に女性の俳人も増え近代俳句の礎の一つとなります。
戦後はフランス文学者の桑原武夫によって俳句は他の芸術と区別すべきだという「第二芸術論争」が起こりますが、この論争を機に俳壇の伝統派と新興派の互いに流派を超えた活動にもつながりました。
(4)今現在の俳句の存在
一時は俳句はご年配の方が楽しむもので愛好家が少なくなった時期もありました。
しかし、最近はお茶メーカーの「俳句大賞」や、俳句よりも気軽に作れる川柳のコンテストも多数開催されているので、若者も川柳から入って俳句に親しむ人口が増えてきています。
さらには第二次世界大戦後にイギリス出身の文学者「レジナルド・ブライス」により欧米に紹介されたのを機に世界にも俳句の人気は広がっています。
欧米では「HAIKU」、中国では「漢俳(かんばい)」として親しまれ、2000年には世界俳句協会も設立されました。また、1989年設立の国際俳句交流協会はユネスコの無形文化遺産登録に向けた活動も行なっています。
有名な歴史上の人物と有名句を紹介!
⑴男性俳人の作品
ここでは、有名な男性俳人の有名俳句をご紹介いたします。
【NO.1】松尾芭蕉
『 古池や 蛙(かわず)飛び込む 水の音 』
『 しずかさや 岩にしみ入る 蝉の声 』
【NO.2】与謝蕪村
『 春の海 ひねもすのたり のたりかな 』
『 菜の花や 月は東に 日は西に 』
【NO.3】小林一茶
『 やせがえる 負けるな一茶 これにあり 』
『 雪とけて 村いっぱいの 子どもかな 』
⑵女流俳人の作品
女流俳人の作品には男性には書けない女性ならではの視点があります。
まとめ
✔ 俳句とは「連歌」から「俳諧」を経て確立された「5.7.5」の季語と切れ字のある定型詩であること。
✔ 現在では日本だけでなく世界中に俳句の愛好家がいて親しまれていること。
✔ 歴史上の有名句は時代・性別、それぞれの様々な人生の背景を基に生まれていること。