【中村汀女の有名俳句 16選】春夏秋冬!!俳句の特徴や人物像・代表作など徹底解説!

 

五・七・五の十七音に四季を織り込み、詠み手の心情や情景を詠みこむ俳句の世界。

 

文学的な知識がなければ楽しめないと、敬遠する方も多いかもしれませんが決してそうではありません。

 

家庭俳句の開拓者として知られる中村汀女(なかむらていじょ)は、日常生活を題材にしながら、豊かな感性と表現力で芸術性を高めた句を多く残しています。

 

今回は、中村汀女が詠んだ名句の中から、春、夏、秋、冬の季節ごとにご紹介します。

 

中村汀女の人物像や作風

(中村汀女 出典:Wikipedia)

 

中村汀女(19001988年)は、昭和期に活躍した女流俳人です。高浜虚子に師事し、「星野立子」「橋本多佳子」「三橋鷹女」とともに「四T」と称されました。

 

18歳の頃に詠んだ句【吾に返り見直す隅に寒菊紅し】が絶賛されたことで、本格的に俳句を学び始めた汀女。結婚・出産により句作を一時中断しますが、32歳の頃に再開します。

 

生活に密着した叙情的な作品は多くの共感を呼び、当時の家庭婦人が俳句に親しむきっかけとなりました。

 

しかし、俳句の世界ではいまだ男性優位が続いており、汀女の詠む俳句はときに「台所俳句」だと蔑まされることもありました。そんな批判に「それでよし」と毅然とした態度で受け入れ、主婦目線でありふれた生活を詠む姿勢を崩そうとはしませんでした。

 

自身の随筆『汀女自画像』の中でも「私たち普通の女性の職場ともいえるのは家庭であるし、仕事の中心は台所である。そこからの取材がなぜいけないのか」と訴えかけ、家庭婦人の生活を肯定します。

 

汀女は穏やかな良妻賢母の姿だけでなく、周囲の目に臆することのない気丈さを併せ持つ女性だったのです。

 

中村汀女の有名俳句・代表作【16選】

春の俳句【5選】

俳句仙人
穏やかな春の夜に浮かぶ、触れんばかりの大きな月。家の中に入る子ども達にも見せてやろうと、母親が呼びかけます。外に飛び出してきた子ども達と一緒に夜空を見上げる、そんな幸せな家族のひとときが描かれています。「春の月」と体言止めで結ぶことで、朧げに輝く美しい月にいたく感動した汀女の心情が余韻深く表現されています。

 

俳句仙人
陽だまりに咲くたんぽぽと、日の長くなった太陽の姿を重ね合わせ、穏やかな春の訪れを表しています。桜や梅といった風雅を象徴する花ではなく、生活に身近なたんぽぽを題材とするところに、汀女らしさが感じられます。戦争が続く時代によまれた句であることから、「いつまでも」という語が平和の尊さをかみ締める切実な祈りにも聞こえてきます。

 

【NO.3】

『 手渡しに 子の手こぼるる 雛あられ 』

現代語訳:子供の手に雛あられをのせたところ、手があまりにも小さいためこぼれ落ちてしまったよ。

季語:雛あられ

俳句仙人
自分の手にはおさまっていた雛あられも、子供の手に渡してやるとポロポロとこぼれ落ちてしまいます。なんてことはない日常風景ではありますが、子供という小さな存在に対する感慨が詠み取れます。「もっとちょうだい」と雛あられをせがむ、愛らしい手のひらが見えてくるような微笑ましい一句です。

 

【NO.4】

『 引いてやる 子の手のぬくき 朧かな 』

現代語訳:繋いでいる子供の手が温かく感じる。今夜の春の月はぼんやりと霞んでいるなあ。

季語:朧

俳句仙人
子供は眠くなると手足が温かくなりますよね。足取りが重くなってきた子供に、「もう眠いのね」とその手を繋ぐ母親の優しい微笑みが想像できます。そんな母子の姿をを朧月が優しく包み込んでいるかのような一句。「引いてやる」という表現が母の愛情を際立たせており、小さな手から伝わる温もりもより愛おしいものに感じられます。

 

【NO.5】

『 ゆで玉子 むけばかがやく 花曇 』

現代語訳:ゆで卵をむくと、つるんとした白さが美しく輝いている。花曇の花の下で。

季語:花曇

俳句仙人
ゆで卵の光沢ある白い輝きと、花曇のにび色のコントラストが美しい句です。当時はまだ卵が貴重な食品であり、庶民の家庭ではめったに食べられるものではありませんでした。花曇とあることから、桜が満開の頃、家族でお花見を楽しんでいる時の句でしょうか。家族の視線が注がれる中、ご馳走であるゆで卵の殻を丁寧にむく母親の姿が詠み取れます。

 

夏の俳句【3選】

【NO.1】

『 真円き 月と思へば 夏祭 』

現代語訳:今宵の月はまん丸だなと眺めていると、そうか、今日は夏祭りだった。

季語:夏祭

俳句仙人
「真円き」は「まんまるき」と読みます。欠けることなく光輝く月を眺めていると、楽しげな祭囃子が聞こえてきたのでしょうか。もしくは満月の頃といえばお祭りの時期だったのかもしれません。なぜ作者が夏祭りだったと気付いたのかまでは描かれていませんが、作者の心弾む様子が伝わってくるようです。

 

【NO.2】

『 地中海 夕焼も白き 船も消え 』

現代語訳:地中海の美しい夕焼けも、白い船も消えてしまった。

季語:夕焼

俳句仙人
夕焼けとは一年を通して見られるものですが、梅雨が明ける頃が最も鮮やかに見えることから夏の季語として用いられてきました。夕焼けの名所である地中海を題材に、夕日の赤と船の白のコントラストが絵画のように表現されています。そんな眩しいほどの美しい光景をいつまでも眺めていたのでしょう。「夕焼けも白き船も消え」と詠むことで、ゆっくりとした時の経過が感じられます。

 

【NO.3】

『 早打ちや 花火の空は 艶まさり 』

現代語訳:夜空は次々と打ち上がる早打ちの花火に彩られ、たいそう艶やかである

季語:花火

俳句仙人
間髪入れず打ち上がる花火が、迫力ある音とともに夜空一面に広がっていきます。夏の夜のなんとも華やかな光景を詠んだ一句です。花火に彩られた空を、美しく風情のある様子を現代語訳する「艶まさり」と表現するところに、女性らしい情趣が感じられます。

 

秋の俳句【6選】

俳句仙人
日常生活の中にふと訪れる季節の移ろいを、蜻蛉を題材にして詠んだ一句です。残暑厳しい日、道を歩いていると目の前を蜻蛉が横切ったのでしょうか。思わず歩を止めると、周りには蜻蛉が数を増して飛んでいることに気付き、秋の気配を実感しています。詩ごころを率直に詠んだものですが、「あたりにふゆる」という語を用いることでのびのびとした空間の広がりを持たせています。

 

【NO.2】

『 秋雨の 瓦斯が飛びつく 燐寸かな 』

現代語訳:秋雨の降る暗く湿った台所で、燐寸をすり火をつけようとしたところ、瓦斯の方から飛びついてきたようだなあ。

季語:秋雨

俳句仙人
まだガスが自動点火ではなく、マッチで着火していた昭和初期に詠んだ句です。「秋雨の」とあることから、湿った空気が漂う台所では火付きも悪かったのでしょう。マッチの炎がガスに燃え移るというよりも「瓦斯が飛びつく」と表現し、「ボッ!」という一瞬の大きな音やかすかなガスの臭いまでが漂ってくるようです。まさに日々繰り返す動作に着目した「台所俳句」でありながら、透徹した観察眼で鮮やかな句に仕上げています。

 

【NO.3】

『 あはれ子の 夜寒の床の 引けば寄る 』

現代語訳:晩秋の夜、ふと寒さを感じ子供の眠っている様子を見ると、いかにも寒そうだ。布団を自分の方に引くと、すっと寄ってきたよ。

季語:夜寒

俳句仙人
秋も深まったある夜、肌寒さを覚えふと目が覚めた時に、我が子が寒くはないかと心配する母親が、子供の布団を自分の方に引き寄せるという母性溢れた一句です。子供の思わぬ軽さにぐっと胸を打たれ、深い愛情がこみ上げる様子を「あわれ子の」と表現しています。

 

【NO.4】

『 泣きし子の 頬の光りや とぶ蜻蛉 』

現代語訳:泣いていた子供の頬につたう涙は乾ききっておらず、日の光が当たって輝いている。あたりには蜻蛉が飛んでいることだ。

季語:蜻蛉

俳句仙人
泣いていた子の激情も収まり、落ち着きを取り戻しつつありますが、まだ涙の跡は乾ききっていません。「とぶ蜻蛉」と続けることで、「蜻蛉まで何事かと飛んできたみたいね」と我が子の目を楽しませ、和やかにさせる効果を持たせています。母親らしい穏やかな雰囲気が漂う一句です。

 

【NO.5】

『 目をとぢて 秋の夜汽車は すれちがふ 』

現代語訳:秋の夜に汽車に乗り目を閉じていると、反対方向からやってきた別の汽車とすれ違った。

季語:秋の夜

俳句仙人
この句は、仙台から東京へ引っ越す際に乗車した汽車でのことを詠んでいます。「目をとぢて」仙台で過ごした日々の回想や、東京での新しい生活への想いを不安をめぐらせているのでしょうか。そんな想いを打ち破るように、大きな轟音を響かせ反対方向から汽車が走り去っていきます。列車がすれ違うという瞬間を「俳句的場面」と捉えた汀女の、表面的な平易さとは別に、句に込められた深い余情が感じられます。

 

【NO.6】

『 銀杏が 落ちたる後の 風の音 』

現代語訳:銀杏(ぎんなん)が下に落ちた後、風の音が聞こえてきた。

季語:銀杏

俳句仙人
「銀杏」はイチョウとも読めますが、実を指す場合は「ぎんなん」と読みます。晩秋の頃になると、さくらんぼ程の小さな実が黄色く熟れ、自然と落下しはじめます。鈴なりだった実が地面に落ちると、木々の間に吹く風の音もことさら大きく感じられたのでしょう。「カサカサ」と葉を鳴らす音に、もうすぐやってくる冬の気配も感じられます。

 

冬の俳句【2選】

俳句仙人
咳をしながらも「もっとなぞなぞを出して」とせがむ子供からは、体調の悪さよりも親に遊んでもらえる喜びが勝っているようです。そんな甘えを汲み取ってか、「もう終わりよ」と言えず付き合ってやる母親の優しさを、詠嘆の切れ字を用いて「きりもなや」と表現しています。そして同時に、手のかかる子供との幸せな時間ははいつまでも続くものではないと、どこか冷静な眼差しも含まれています。

 

【NO.2】

『 咳をする 母を見上げて ゐる子かな 』

現代語訳:咳の出る母親のことを、我が子が心配そうに見上げているよ。

季語:咳

俳句仙人
先述した句【咳の子の なぞなぞあそび きりもなや】と対を成す句としても詠みとれます。「見上げている」という語からは、我が子は幼児であることがわかります。苦しそうに咳き込む母親を何とか助けたいと考えるも、何もできずただただ見上げることしかできない子供。そんないじらしい姿に母親は慰められ、子供への愛情をいっそう強めています。

 

さいごに

 

季節を感じながら過ごす日々の中で、心に響いたものを柔らかく慎ましやかな気持ちで十七文字に表現してきた中村汀女。

 

これらの句を詠むと、俳句とは難解なものではなく、誰もが楽しめる親しみやすい文芸だというのもうなずけます。

 

彼女の特徴でもある子供を詠んだ句は、母親としての優しさや温かさが強く伝わってきますね。

 

わが子への深い愛情は、時代を経ても変わらず心打たれるものでしょう。

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