世界で最も短い詩といわれている俳句。
「五七五」というたったの17音で表現される世界感は時を経て、今なお人々に愛され続けている日本の伝統芸能の一つです。
今回は数多くある名句の中でも「ともかくもあなたまかせの年の暮れ」という小林一茶の句をご紹介します。
ともかくも
あなたまかせの
年の暮れ 小林一茶 pic.twitter.com/uMELbIopLM
— 桃花 笑子 (@nanohanasakiko) December 17, 2014
本記事では、「ともかくもあなたまかせの年の暮れ」の季語や意味・表現技法・鑑賞などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてくださいね。
目次
「ともかくもあなたまかせの年の暮れ」の作者や季語・意味
ともかくも あなたまかせの 年の暮れ
(読み方:ともかくも あなたまかせの としのくれ)
こちら句の作者は「小林一茶」です。
一茶は江戸時代に活躍した俳人です。その生涯において約22,000もの句を作ったといわれており、その数は松尾芭蕉の約1,000句、与謝蕪村の約3,000句と比較しても群を抜いていることがわかります。
季語
こちらの句の季語は「年の暮れ」、季節は「冬」、暦では歳末を表す12月の季語になります。
「年の暮れ」とは、一年の終わりのころ・年末という意味です。
「年の暮れ」という言葉は時間概念を含む表現であるため、厳密な意味で季語はないとする考えもあります。
意味
この句を現代語訳すると・・・
「この一年、さまざまのことがあったが、あれこれ考えたところでどうにもならない。今となってはすべてを阿弥陀如来様にお任せして、年の暮れを迎えることにしよう」
といった意味になります。
「ともかくも」とは「ともかく」を強めた表現で、「とにかく」「どのようになるかわからないが」といった意味になります。
ここでは、自分の力ではどうにもならない運命を「あなた」に任せることを「ともかくも」といった言葉を用いて表現しています。
また、「あなたまかせ」の「あなた」は阿弥陀如来様を指し、他人任せとういう意味ではないことに注意する必要があります。
自分の運命を阿弥陀如来様にすべてお任せしているのだから、人生何があっても後悔はないということを表現しています。
「ともかくもあなたまかせの年の暮れ」が詠まれた背景
(木造阿弥陀如来坐像 出典:Wikipedia)
この句は「小林一茶」が詠んだもので、日記風の句文集『おらが春』(1819年12月29日作)の最後に書いた句になります。
『おらが春』は、可愛がっていた娘のサトの死の前の年の終わり頃から書かれていたもので、後半はサトの死を嘆く悲痛な気持ちが随所に見られます。
今回の句についても、仏となった我が子と一緒に阿弥陀如来様が、自分を見守り導いてくださっていると、心からその救いに「おまかせ」をしている姿がうかがえます。
浄土真宗の門徒であった一茶らしい句だといえます。
また、この句が収録されている『おらが春』が発行された1819年は、寛政の改革(1787 - 1793)と天保の改革(1830 - 1843)との中間にあたり、第11代将軍徳川家斉が統治していた時代です。
この時代は「文化・文政期(大御所時代)」とも呼ばれ、これまで貴族階級の間でしか浸透していなかった文化や芸術が庶民の間にも広がり、すそ野の広い発展を遂げた時代であったといわれています。
その中の一つに俳諧と呼ばれる後の「俳句」が人々の間で浸透したのもこの時期でした。
「俳諧」という言葉はもともと「滑稽」とか「面白味」といった意味を持ちます。そして、優雅な美の世界を詠い合う連歌から分岐し、滑稽な言葉遊びとなったものを「俳諧」と呼ぶようになりました。
その俳諧の上の句(五七五)が独立して鑑賞されるようになったものが、「俳諧の句」、すなわち「俳句」です。
「ともかくもあなたまかせの年の暮れ」の表現技法
体言止め「年の暮れ」
体言止めとは、下五語を名詞または代名詞で締め括る技法のことです。
下五語を名詞または代名詞で締め括ることで、詳細な説明を省き、余韻の効果を持たせることができます。
今回の句では「年の暮れ」が体言止めにあたります。
この句は「年の暮れ」で終わっていますので、読み手に忙しい年の瀬ならではの風情をイメージさせる効果があります。
句切れなし
意味や内容、調子の切れ目を「句切れ」といいます。
「句切れ」は、俳句にリズム感を持たせる効果がありますが、こちらの句は、最後まで意味が句切れる箇所がありません。
すなわち、「句切れなし」の句になります。
「ともかくもあなたまかせの年の暮れ」の鑑賞文
【ともかくもあなたまかせの年の暮れ】は、『おらが春』巻末の句です。
この句とは対照的に、『おらが春』の巻頭では「めでたさもちう位なりおらが春」と詠んでいます。
つまり、この一年、あなた(阿弥陀如来様)任せに始まり、あなた任せで終わるのです。
浄土真宗の門徒の家に生まれ、念仏者としても知られる小林一茶は、自分の命の帰る場所を心得えており、心から「おまかせ」のできる救いをしっかりと持っていたといえます。
ただ単に他人任せにして自分はなにもしない…ということではなく、苦しみや悲しみに出遭ったとしても、そのような「救い」のもとで、人生を安心して生きていけるのです。
作者「小林一茶」の生涯を簡単にご紹介!
(小林一茶の肖像 出典:Wikipedia)
小林一茶(1763年~1828年)は、本名を小林弥太郎といいます。
信濃国(現在の長野県)に生まれ、松尾芭蕉、与謝蕪村と並ぶ江戸時代を代表する俳人の一人といわれています。
一茶はわずか3歳の時に生母を亡くします。そして、父の再婚相手の継母とは折り合いが悪く、次第に居場所をなくします。
唯一の味方であった祖母を亡くしたことを機に、一茶は長男であったにもかかわらず、15歳の時に江戸へ奉公に出されます。
その後、一茶は51歳で結婚。長男が生まれますが、生後一ヶ月で病のため我が子を失います。次に生まれた長女もまた一年で病死します。
人生における数々の苦労からか、一茶の句は日常の些細な出来事や身近な風景が描かれることが多く、温かく、親しみを覚える内容が特徴となっています。
小林一茶のそのほかの俳句
(一茶家の土蔵 出典:Wikipedia)