【紫陽花や昨日の誠今日の嘘】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!

 

五・七・五の十七音で情景や気持ちを表現する「俳句」。

 

古典文学の時代に源流を持ち、現代でも多くの愛好家のいる日本の文芸の一つです。

 

今回は近代俳句の祖と言える正岡子規の「紫陽花や昨日の誠今日の嘘」という句を紹介していきます。

 

 

本記事では、「紫陽花や昨日の誠今日の嘘」の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者について徹底解説していきます。

 

俳句仙人

ぜひ参考にしてみてください。

 

「紫陽花や昨日の誠今日の嘘」の作者や季語・意味・詠まれた背景

 

紫陽花や 昨日の誠 今日の嘘

(読み方:あじさいや きのうのまこと きょうのうそ)

 

この句の作者は「正岡子規(まさおかしき)」です。

 

正岡子規は、和歌や俳諧などの国文学の研究もよく行い、近代の短歌や俳句の礎を築き上げた明治時代の文学史に燦然と輝く星のような文学者です。

 

俳句だけではなく、短歌、小説、随筆など多彩な創作活動をしていました。

 

 

季語

こちらの句の季語は「紫陽花(あじさい)」、季節は「夏」です。つまり、梅雨時の句です。

 

あじさいは、日本原産で梅雨のころに花を咲かせます。土壌の酸性度によって、酸性が強いと青色に、中性、アルカリ性だと赤色に花が色づきます。

 

また、土壌の酸性度に関わらず、花の色が咲き進むにつれて色が変化します。咲き始めは黄緑色を帯び、赤や青に色づいた後、青い花も赤みを帯びた色に変化しながら萎んでいきます。

 

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この花色の変化から、あじさいは移り気なもの・気まぐれなもの・不確かなもののたとえとして詩歌に取り入れられることもあります。

 

意味

こちらの句を現代語訳すると・・・

 

「紫陽花が美しく咲いていることよ。昨日は本当だといったことが今日は嘘になってしまうように、日々色を変えながら。」

 

という意味になります。

 

紫陽花の花の色の変化によそえて、人の心の移ろいやすさを詠んだ句になります。

 

この句の詠まれた背景

この句は、明治26(1893)正岡子規が当時26歳の時に詠んだ句になります。

 

この前年に子規は日本新聞社に入社。俳句の革新運動に本格的に取り組み始めたころで、俳句に関する本を書いたり、新聞「日本」に俳句の欄を設けたり、精力的に活動していました。

 

子規の晩年の句には、病を説く、死と向き合う句が多くなりますが、若かりし頃の句にはいまだそういった陰はありません。

 

この句は、子規全集二十一巻に収められていますが、そこには「傾城賛」と添えられています。

(※「傾城」とは遊女のこと、「賛」とは絵に添えられる言葉のこと)

 

遊女の移り気なこと、男女の仲のあてにならないことを、遊女を描いた絵に添える言葉として一句考えた俳句ということでしょうか?

 

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実感を込めて実景を詠み込んだ句というより、人の世、男女の中とはこういったものといった冷めた句であることが予想されます。

 

「紫陽花や昨日の誠今日の嘘」の表現技法

 

こちらの句で用いられている表現技法は・・・

 

  • 「紫陽花や」での初句切れ
  • 「昨日の誠今日の嘘」の対句法
  • 「今日の嘘」の体言止め

     

    になります。

     

    ①「紫陽花や」での初句切れ

    俳句には、感動の中心を表す言葉として切れ字と呼ばれるものがあります。

     

    代表的な切れ字には「かな」「や」「けり」の三つがあり、「~だなあ」というくらいの意味になります。

     

    この句では、「紫陽花や」に「や」という切れ字が使われています。作者は紫陽花の花に感興をもよおしてこの句を詠んだのです。

     

    また、切れ字のあるところや、普通の文でいえば句点「。」がつく意味の上で切れる箇所のことを「句切れ」と呼びます。この句は「紫陽花や」の初句(上5)で切れるので「初句切れ」の句となります。

     

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    「紫陽花や」とは、「紫陽花が美しく咲いていることよ」といったような感動も込められていますし、俳句らしい切れのあるリズムも生まれています。

     

    ②「昨日の誠今日の嘘」の対句法

    対句法とは、二つの対立するもの、または類似するものを構成やリズム対応させながら、対(セット)にして並べる表現技法のことです。

     

    対にするもの同士の対立・相違するところ、または共通するところを比べることで、それぞれの持つ特性をより一層際立たせて印象付けることができ、また、読んでいくうえでのリズム感も作り出してくれます。

     

    この句では「昨日の誠今日の嘘」が対句になっています、つまり「昨日」と「今日」、「嘘」と「誠」がそれぞれ対応しています。

     

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    「昨日は本当だといったことが今日は嘘になってしまう」といったくらいの意味ですが、テンポよく言葉が流れリズムも生まれ、この句のおもしろみを作り出しています。

     

    ③「今日の嘘」の体言止め

    体言止めとは文の終わりを名詞や体言で止め、余韻を残したり、印象を強めたりする技法のことです。

     

    この句は「嘘」という名詞で終わっていますので、体言止めが用いられています。

     

    「紫陽花や昨日の誠今日の嘘」の鑑賞文

     

    【紫陽花や昨日の誠今日の嘘】の句は、紫陽花の花の見事さに感動しながら、花の色が変化するという紫陽花の特徴を生かして詠んだ句です。

     

    「や」を用いた初句切れ、対句から生まれるリズムが耳に心地よいテンポの良い一句です。

     

    「昨日の誠今日の嘘」というのは、「昨日は本当だといったことが、今日には嘘になってしまう」ということですが、紫陽花の花の色の変化によそえて、人の心の移ろいやすさを詠んだものです。

     

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    正岡子規は、紫陽花の花の色が変わる特性を詠み込んだ俳句を他にも詠んでいます。

     

    紫陽花や 赤に化けたる 雨上り

    (意味:紫陽花が美しく咲いている。雨が上がったら、青かった花が赤く変化しているよ。)

    紫陽花の 何に変るぞ 色の順

    (意味:紫陽花は今度はどんな色に変わるのだろうか。順々に色を変化させている。)

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    どちらも紫陽花の色変わりをおもしろがって詠んだ句です。「化けたる」などの言葉選びに、諧謔味を感じます。

     

    「紫陽花や昨日の誠今日の嘘」の補足情報

    紫陽花の花の色はどうやって変える?

    花の色は「アントシアニン」という色素によるもので、これに補助色素とアルミニウムのイオンが加わると、青色の花になります。

     

    紫陽花は土壌のpH(酸性度)によって花の色が変わり、一般に「酸性ならば青、アルカリ性ならば赤」になると言われているのは前述の通りです。

     

    これは、アルミニウムが根から吸収されやすいイオンの形になるかどうかに、pHが影響するためです。

     

    土壌が酸性だとアルミニウムがイオンとなって土中に溶け出し、アジサイに吸収されて花のアントシアニンと結合し青色になります。

     

    逆に土壌が中性やアルカリ性であればアルミニウムは溶け出さずアジサイに吸収されないため、花は赤色になります。

     

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    そのため、花の色を調整したい場合は、青色にしたいときは酸性の肥料やアルミニウムを含むミョウバンを与えると色を変えやすいです。

     

     

    また、同じ株でも部分によって花の色が違うのは、根から送られてくるアルミニウムの量に差があるためです。

     

    ただ、品種によっては遺伝的な要素で花が青色にならないものもあります。

     

    これは花の色を決定する補助色素が原因であり、もともとその量が少ない品種や、効果を阻害する成分を持つ品種は、アルミニウムを吸収しても青色にはなりにくいのが特徴です。

     

    土壌の肥料の要素によっても変わり、窒素が多く、カリウムが少ないと紅色が強くなる傾向にあります。

     

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    どちらにしろ、この俳句のような出来事が起きたとしたら、一昼夜で土壌が変わってしまうほどの大雨が降ったのか、誰かが色を変えることを目的に肥料をまいたかしたのでしょう。

     

    紫陽花の花の老化と色の移り変わり

    上述の通り、花に含まれる成分によって花の色は開花から日を経るに従って徐々に変化していきます。

     

    最初は花に含まれる葉緑素のため薄い黄緑色を帯びており、それが分解されていくとともにアントシアニンなどが合成され、赤や青に色づいていくのです。

     

    さらに日が経つと有機酸の蓄積により青色の花も赤味を帯びるようになりますが、これは花の老化によるものであり、土壌の変化とは関係なく起きてしまうものです。

     

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    作者が見た花の色の変化は、もしかすると花の老化による色の移り変わりだったのかもしれませんね。

     

    作者「正岡子規」の生涯を簡単にご紹介!

    Masaoka Shiki.jpg

    (正岡子規 出典:Wikipedia)

     

    正岡子規、本名は常規(つねのり)と言います。

     

    1867年(慶応3年)現在の愛媛県松山市にあたる旧松山藩士の家の子として生まれました。30代の半ばで病に倒れ、若くして亡くなった俳人であり、歌人であり、研究者でした。

     

    松尾芭蕉や与謝蕪村を尊敬して江戸の俳諧、俳書を研究し、新たな俳句を生み出そうという運動をしました。

     

    子規という雅号は、のどから血を流して鳴き続けるというホトトギスという鳥の別名です。

     

    若くして結核菌におかされ、時に喀血に襲われつつも活動を続ける自分をホトトギスに重ねて名乗った雅号です。

     

    明治35年(1902年)34歳にて子規は短すぎる生涯を閉じました。

     

    正岡子規のそのほかの俳句

    子規が晩年の1900年に描いた自画像 出典:Wikipedia