【無季自由律俳句 20句】自由すぎてなんでもあり⁉︎面白い有名俳句例を紹介

 

無季自由律俳句とは、その瞬間の心を規則にとらわれず、自由に表現する俳句です。

 

 

季語もなく、韻律の規則もなく、素直に表現されるその句はより直接的に作者の心情を語ります。

 

今回は、そんな無季自由律俳句20句ご紹介します。

 

リス先生
ぜひ、俳句作りの参考にしてみてね!

 

季語を入れることや十七音で句を作るという規則を無視した俳句を、「無季自由律俳句」と呼びます。

 

明治後期の俳人である河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)が五七五にとらわれない俳句を提唱した最初の人です。

 

ただし、河東碧梧桐の段階ではまだ季語を含む自由律俳句もありました。

 

その後に続いた荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)、種田山頭火(たねださんとうか)、尾崎放哉(おざきほうさい)は季語を廃し十七音を無視して、口語で瞬間的な印象を読む無季自由律俳句を打ち出します。

 

昭和初期には衰退しますが、戦後になると口語俳句の一ジャンルとして再び注目され、現在に至ります。

おすすめの無季自由律俳句【20選】

出現期の無季俳句/自由律俳句【3選】

 

【NO.1】荻原井泉水

『 水あれば 田に青空が 深く鋤かれある 』

意味田んぼに水があると、青空が田んぼの水に映って深く鋤かれていく。

俳句仙人

無季俳句ですが、読むと田んぼに水が入っているため夏の風景だとわかります。韻律自体は五七八という字余りの破調ですが、無季自由律俳句のはしりの句と言ってもいいでしょう。

【NO.2】荻原井泉水

『 空をあゆむ 朗朗と月ひとり 』

季語:月(秋)

意味:月がひとり、明るく空を歩いていく。

俳句仙人

擬人化を使った情景の句です。「朗々と」という言葉から月の明るい夜空だと連想できますが、季節を断定できる情報が省略された自由律俳句が出てきました。

【NO.3】荻原井泉水

『 棹さして 月のただ中 』

季語:月(秋)

意味:船の上から棹をさして、水面に映る月の真ん中を漕いでいく。

俳句仙人

まるで一枚の絵画のような情景句です。水面に月が映るほど天気のいい夜、凪いで水面の月が崩れないほど風のない日ということがわかります。こちらも季語の秋と断定できるだけの情報が省略されている自由律俳句です。

 

成立後の無季自由律俳句【13選】

俳句仙人
種田山頭火を代表する句です。この句を作った時の作者は行脚の旅の最中で、山越えをしていたときに作られた句と言われています。字だけを見れば情景句ですが、山頭火の背景を考えると「どこまでも続いて抜けられない山」とは人生のことなのかもしれません。

【NO.5】種田山頭火

『 雨ふるふるさとは はだしであるく 』

意味:故郷に雨が降っている。裸足で歩いていく。

俳句仙人
作者の子供時代の回想でしょうか。雨が降っている土の地面を裸足で歩いていく、湿気や足の感触が伝わってくる句です。

【NO.6】種田山頭火

『 父によう似た声が出てくる旅は かなしい 』

意味:行方不明の父によく似た声を聞く旅は悲しい。

俳句仙人
作者の父親は、事業の失敗による破産で行方不明になったままでした。失なってしまったものを抱えて流浪の旅を続けるもの悲しい歌です。

俳句仙人
種田山頭火の半生は流浪の旅でした。「歩き続けるしか術がない」と作者本人も語っています。アルコール中毒も患っていた彼は、まさに「どうしようもない」状態で旅を続けていたのです。

俳句仙人
流浪の旅を始める前に、これまでを精算しようとして日記を焼き捨てたときの句です。日記の年数と比較にもならない灰の少なさが諸行無常を感じる句になっています。

【NO.9】種田山頭火

『 捨てきれない 荷物のおもさ まへうしろ 』

意味:捨てきったと思っても捨てきれない荷物の重さよ、まだ肩の前や後ろに振り分けないといけないほどある。

俳句仙人
この句について師の荻原井泉水は、「捨てきれないものも今より一段高い境地に進むことができれば捨てられる。その境地にたどり着けない悲しさがある」と評しています。今で言う心の断捨離の境地をあらわした句です。

俳句仙人
作者が須磨寺に滞在していた頃の一句です。独居生活に入っていた作者にとって、月夜を独り占めする満足感と、一人である寂しさの両方を感じていたことが伝わってきます。

【NO.11】尾崎放哉

『 わが顔ぶらさげて あやまりにゆく 』

意味:私の顔をぶら下げて謝りに行こう。

俳句仙人

「ぶらさげて」という言い回しから、どこかバツの悪さを感じる微笑ましい句です。気安い間柄の相手が目に浮かびます。

俳句仙人
托鉢生活に入った時期の句です。施しを受けたが鉢を用意していないので両手で受け取る、転じて全てのものに感謝している句だと評されています。

【NO.13】尾崎放哉

『 月夜の葦が 折れとる 』

意味:月夜に照らされた葦が折れている。

俳句仙人

折れている葦に焦点を当てることで、月夜の水辺の陰影がはっきりと見えるようです。「折れとる」は鳥取県の方言で、方言をそのまま使用している珍しい俳句になっています。

俳句仙人
この句は作者の晩年の句で、肺炎からの胸膜炎を患っていました。咳という「病気」と「一人」が対比されることで、たった九音で命を蝕む病と孤独感を表現しています。

【NO.15】橋本夢道

『 無礼なる妻よ 毎日馬鹿げたものを食わしむ 』

意味:無礼な妻よ。毎日よくもこんなものを食べさせるものだ。

俳句仙人
この句だけでは妻を嫌っているように感じますが、この句が作られたのは戦時中で食料統制が行われていた頃です。自虐することで妻への感謝を歌っています。

【NO.16】栗林一石路

『 シャツ 雑草にぶっかけておく 』

意味:シャツを雑草の上に放り投げておく。

俳句仙人
季語はありませんが、夏の草原を連想させる句です。「置いておく」ではなく「ぶっかけておく」という表現が、脱ぎ捨てて放り投げる場面を切り取って伝えています。

戦後の無季自由律俳句【4選】

【NO.17】成田三樹夫

『 色々の人々のうちに きえてゆくわたくし 』

意味:色々な人達の心の中に、役柄として消えていく役者の私である事だ。

俳句仙人
成田三樹夫は悪役を得意とした戦後の名俳優です。色々な人の心には残るけれど、それは役柄としての自分であって、いつか忘れられて消えていく、そんな寂しさを歌っています。

【NO.18】住宅顕信

『 ずぶぬれて犬ころ 』

意味:小さな犬がずぶ濡れになっている。

俳句仙人

作者は25歳という若さで夭折しました。俳人としてはわずか3年、白血病とた戦いながらの句です。「犬ころ」という言葉から、頼りになる犬ではなく小さく危ういものという印象を受けます。

【NO.19】住宅顕信

『 レントゲンに 淋しい胸のうちのぞかれた 』

意味:レントゲンを撮ると淋しい胸の内を覗かれた。

俳句仙人

作者は病のために妻と離婚し、入院しながら長男を育てます。治る見込みのない病と妻のいない子育てという淋しさを、レントゲンという胸の中を見通す機械で見られている、現代ならではの俳句です。

【NO.20】住宅顕信

『 夜が淋しくて 誰かが笑いはじめた 』

意味:誰かの笑い声が聞こえる。夜が淋しいから思わず笑い始めてしまったのだ。

俳句仙人

句集「未完成」の最後に置かれた句です。時系列順に配置されているなら絶筆の句ということになります。壮絶な闘病生活と孤独感、不安感を感じさせる句です。

以上、おすすめ無季自由律俳句集でした!

 

 

俳句仙人

今回は、無季自由律俳句を出現期、成立期、戦後の三つの時期に分けて紹介してきました。
季語や韻律が難しいと感じる方も、感じたままを表現する無季自由律俳句に挑戦してみてはいかがでしょうか