【種田山頭火の俳句15選】代表作(有名句)はこれ!!俳句の特徴や人物像など徹底解説!

 

五七五のわずか17音という非常に短い言葉の中にさまざまな感情や思いが込められた「俳句」。

 

今回は、「自由すぎる俳人」として有名な「種田山頭火」の代表俳句(有名俳句)をご紹介します。

 

 

生涯にわたって約8万もの俳句を詠んだといわれている山頭火の代表作品はどのようなものなのでしょうか?

 

俳句仙人
さっそくご紹介していきます!

 

種田山頭火の人物像と作風

(種田山頭火 出典:Wikipedia)

 

種田山頭火(たねださんとうか)は、明治15年(1882年)に山口県防府市で生まれた自由律俳句の代表的俳人です。

 

本名は種田正一といいます。

 

山頭火は15歳の頃から俳句を始め、高校を主席で卒業し早稲田大学へ進学するなど、学業の方は優秀だったと言われています。

 

34歳の頃に俳諧雑誌『層雲』にて頭角を現し、俳句選者の一人となっています。しかし、生家の倒産や関東大震災に被災するなど、苦労も多く、大正15年に放浪の旅に出ます。

 

旅と句と酒に生きた山頭火が、全国のあちこちで作った作品の多くは五七五にこだわらない自由なリズムの俳句で、今も、人々を魅了し続けています。

 

種田山頭火の有名俳句・代表作【15選】

(種田山頭火像 出典:Wikipedia

定型俳句【4つ】

まずは、五七五を基本とする(多少の字余りあり…)定型俳句をご紹介します。

 

【NO.1】

『 気まぐれの 旅暮れて桜 月夜なる 』

季語:桜

現代語訳:目的もなく気の赴くままに旅をする。今日も日が暮れ、夜桜が美しい。

俳句仙人
九州、四国、中国地方のほか、甲信越、東北と全国を旅して回った山頭火。これといった目的を持たず、ただひたすらと歩けていたといわれています。この句は、そんな旅の道中、ふと美しい夜桜に心を奪われ、詠んだのではないでしょうか。

 

【NO.2】

『 霧島は 霧にかくれて 赤とんぼ 』

季語:赤とんぼ

現代語訳:霧島は霧にかくれて見えない。赤とんぼが目の前を舞っているよ。

俳句仙人
遠くに見えるはずの霧島は、今日は霧に隠れてしまっていて見えません。いかにも高原らしい風が吹き、その風に舞うかのように赤とんぼが飛んでいます。今にも天気が崩れそうな高原の風景が思い浮かびます。

 

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冷たい雨が降ったり止んだりする中、雨で濡れている山の中をただひたすらと歩みを進めていく様子が伝わってきます。修行僧として旅を続けている山頭火自身が、己の生き様を詠んだ一句といわれています。

 

【NO.4】

『 ふるさとは あの山なみの 雪のかがやく 』

季語:雪

現代語訳:現代語訳:ふるさとは、向こうに見える山並みの頂のように、雪が輝いているのだろうよ。

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ふるさとの懐かしさが広がります。しかし、こちらの句は、山頭火の理想郷、不器用に生き、厳しすぎる旅を行く山頭火が生み出した、幻想だったのかもしれないといわれています。

 

自由律俳句【11つ】

種田山頭火といえば、定型の枠を超えた自由律俳句で有名です。ここでは、数ある山頭火の作品の中から代表的なものを厳選してご紹介します。

 

【NO.1】

『 今日の道の たんぽぽ咲いた 』

現代語訳:今日も私は歩き続ける。道には、たんぽぽの花が咲いている。あぁ、春だなぁ。

俳句仙人
道端にふと目をやるとたんぽぽの花が咲いていました まだまだ緑の少ない地面に、鮮やかな黄色い花が思い浮かびます。そぐそこまで来ている春のおとずれを教えてくれているようですね。

 

俳句仙人
お地蔵さんに対する「敬愛の念」が感じられます。自分を見守ってくださる存在としてのお地蔵さんが、突然の雨で自分と同じようにずぶぬれになっている光景を目にし、親しみを感じている様子が読み取れます。

 

俳句仙人
奥深い山道を歩きながら目にした深緑の青々とした光景に、いつまでも続く出口のないような自分の人生を重ねていたのかもしれません。「分け入っても分け入っても」と、「分け入っても」という言葉を2回繰り返すことで、どこまでも続いて終わりのない山の様子を表現したかったのではないでしょうか。

 

【NO.4】

『 ほろほろ ほろびゆく わたくしの秋 』

現代語訳:「ほろほろ」と、まるで衣がほころんでいくように、私の人生もほころんでいくよ。あぁ、秋だなぁ。

俳句仙人
酒に飲まれ、堕落的な人生を生きてきた山頭火は、自らの人生をまるで衣がほころんでいくように滅びていくと自嘲していることが読み取れます。「ほろほろ」という擬態語を用いることで、誰にも気に留められず、ひっそりと終わっていく人生を巧みに表現しています。

 

【NO.5】

『 酔うて こほろぎと 寝ていたよ 』

現代語訳:酔っぱらって、どうやらそのまま眠ってしまったようだ。気づいたら、コオロギと一緒に寝ていたよ。

俳句仙人
目を覚ましたら、コオロギと一緒に道端で寝ていた…お酒による失敗を、面白おかしく詠んだ一句です。ついつい深酒してしまう孤独な旅の情景と心情が浮かんでくるようですね。

 

俳句仙人
過去を清算しようとでも思ったのでしょうか。いくらたくさんの言葉や想いを綴った日記も、一冊の日記を燃やして残るのは、所詮日記一冊分の灰にすぎません。少々強がっているような口調が印象的ですね。

 

俳句仙人
こちらの句は、行乞をしながら旅をしている最中に詠まれたものといわれています。僧侶となり、托鉢で得たお金で酒を飲む自分を「どうしようもないわたしが歩いている」と表現し、煩悩と後悔を繰り返していたのではないでしょうか。

 

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年齢的にも修行には耐えられず、すべてを捨てて托鉢の旅に出るしかなかった山頭火。「さみしい」と率直に表現をすることで、山頭火の孤独感が伝わってきます。「まっすぐな道」とは、脇道も曲がった道もひたすらに歩く、つまり一方通行の道を指しています。

 

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この句に出てくる「うしろ姿」とは、旅を続ける自分自身のことを指しています。降ったり止んだりする小雨の中を、寂しげに歩く自分の姿を想像し、自嘲の念を込めて読んでいます。ポツポツと時雨のようにパッとしない自分の堕落的な人生を反省していたのかもしれませんね。

 

【NO.10】

『 ついてくる 犬よおまへも 宿なしか 』

現代語訳:犬が一匹自分の後をついてくる。お前も私と同じで泊まるところもないのか。

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やせこけた貧相な野良犬が、少し距離をおき、山頭火の後をついてくる様子が目に浮かぶようです。山頭火と一匹の犬は、ともに今日泊まる宿もない。ほのぼのとしている中に、少し切ない様子が伝わってきます。

 

【NO.11】

『 生死の中 雪ふりしきる 』

現代語訳:死を意識する程の厳しい雪の中を、ただひたすらと歩みを進める。

俳句仙人
死を意識する程の吹雪の中を山頭火は歩いています。死を意識するからこそ、生きている実感を得られたのかもしれません。雑念は消え、ただただ歩を進めている山頭火の様子が思い浮かびます。

 

さいごに

 

いかがでしたか?

 

今回は、種田山頭火が残した俳句の中でも特に有名な作品を現代語に訳し、そこに込められた意味など簡単な感想をご紹介してきました。

 

自由律俳句を得意とする種田山頭火の作品は、「名言」といわれるものも多く、時に読み解くのが難しいものもありますが、何とも人間味あふれ、興味深いものばかりですね。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!