
俳句と言えば、「5・7・5」のスタイルと季語を入れて詠むことが一般的です。
ですが、日本にはこの型にとらわれないスタイルの作品が数多く残されています。
今回は数ある名句の中から「しぐるるやしぐるる山へ歩み入る」という種田山頭火の句を紹介していきます。
"Llovizna de otoño
adentrándose en la montaña
donde me adentro"
しぐるるやしぐるる山へ歩み入る(Taneda Santôka) #haikudellunes pic.twitter.com/WTabuSC8kF
— Haiku Barcelona (@haikubarcelona) October 29, 2018
本記事では、「しぐるるやしぐるる山へ歩み入る」の季語や意味・表現技法・鑑賞文など徹底解説していきます。

ぜひ参考にしてみてください。
目次
「しぐるるやしぐるる山へ歩み入る」の季語や意味・詠まれた背景

しぐるるや しぐるる山へ 歩み入る
(読み方 : しぐるるや しぐるるやまへ あゆみいる)
こちらの作品は、日本を代表する有名な俳人「種田山頭火(たねださんとうか)」が詠んだ作品です。

(種田山頭火 出典:Wikipedia)
種田山頭火は明治から昭和にかけて活躍した俳人で、季語を使わず五七五の韻律も使用しない無季自由律俳句で知られています。

また流浪の旅をしていたことでも有名で、一部は日記として行程が残されています。
季語
こちらの季語については、諸説あります。
「しぐるる」は「時雨」を指し、冬を表す季語です。
その一方で、厳密には「しぐれに」には秋時雨や春時雨もあるため、山頭火が本当に冬を表現するために使用したかは、定かではないという意見があります。
さらに、こちらの俳句は自由律俳句のため、季語なしの「無季句」と考える説が一般的です。
なぜなら山頭火は萩原井泉水が刊行した無季自由律俳句を掲載した機関紙に投稿し、門下生として俳句の道を歩んでいるからです。
山頭火自身が歩んで来た俳句人生を考えると、季節にとらわれずに自分の思いを自由に表現したと考えられます。

以上の理由から、こちらの俳句は季語を持たない「無季句」であると言えます。
意味
こちらの句を現代語訳すると・・・
「しぐれの中をしぐれている山の中へ歩いて行くよ。」
という意味になります。
(※しぐれ(時雨)…秋から冬にかけて起こる、一時的に降ったり止んだりする雨のこと)
こちらは、冷たい雨が降ったり止んだりする中を、雨で濡れている山の中を立ち止まらすに進んで行く様子が詠まれています。
修行僧として旅を続けている山頭火自身が、己自信の生き様を詠んだ俳句です。
「冷たい雨が降ろうが、そんなことを気にしているわけには行かない。生きて行くには、雨でぬかるみ歩きづらい山道だって、ただひたすら歩いて行くしかないんだ。」という山頭火の心が表現されています。
また、「しぐるる」は動詞「しぐれる」ですと、涙を流すという意味がある言葉です。
山頭火自身が、己の不甲斐ない生き様を嘆いて詠んだ作品とも解釈できます。

参考までに「しぐるる」は、文語下二段動詞「しぐる」の連体形です。
この句が詠まれた背景
この俳句は、山頭火自身の人生なくしてはうまく解釈できません。
そこでここでは山頭火について、少しお話しさせていただきます。
山頭火は裕福な家に生まれながらも、幼少期に実母を自殺で亡くしています。彼自身が語っているように、この事件は人生に大きな影響を与えてしまうのです。
実母を亡くした山頭火は大学進学や結婚もうまく行かない上、実家も事業に失敗してしまいました。
山頭火は返す当てのない借金を繰り返し、修行僧として旅に出て、俳句を詠むという哀れな生活を繰り返すだけの人生を送っていたのです。
そんな彼が詠む俳句は、死の概念、自分自身への侮蔑がダイレクトに表現されており悲しみが伝わって来る作品ばかりです。

今回の「しぐるるやしぐるる山へ歩み入る」という句もその中の一つと言われています。
「しぐるるやしぐるる山へ歩み入る」の表現技法

こちらの俳句の表現技法は・・・
- 文章全体は「自由律俳句」
- 「しぐるるや」と「しぐるる山」の部分の反復技法
- 「しぐるるや」の切れ字
になります。
自由律俳句
こちらの俳句は、「自由律俳句」です。
(※自由律俳句・・・定型(五七五)でない俳句のこと。切れ字などを気にせず、文語調の言い回しで表現されている点が特徴的です)
俳句の「5・7・5」の定形型のため、「自由律俳句」という意見に疑問を感じるかもしれません。
ですが、山頭火は自分の気持ちをストレートに詠む「自由律」で、数多くの作品を残した俳人なのです。
こちらの作品自体も季節や他人の意見を気にせずに、自分が今感じている心の中を詠んだ作品であることから「自由律俳句」であると分かります。
自由律で俳句を詠むことにより、山頭火の思いがダイレクトに読み手に伝わってくる、インパクトのある作品に仕上がっています。
反復法
こちらでは、「しぐるるや」と「しぐるる山」の部分が重複しています。
このように、同じ言葉を2回繰り返す表現を反復技法と呼びます。
同じ言葉を繰り返すことにより、俳句のインパクトを強める効果があり、俳人が何を表現したいのかという強い思いをしっかりと読み手に伝えることができます。
また、反復技法を使用するとリズム感が良く俳句を口ずさめます。
今回の句は、冷たく降る「時雨」を強調することで、句全体に暗い雰囲気(薄暗さや寂しさ)を出しています。
切れ字
「しぐるるや」の「や」が「切れ字」です。
しかし、こちらの作品は自由律俳句のため「切れ字」などの細かい部分を気にしないのが一般的とされています。
「しぐるるやしぐるる山へ歩み入る」の鑑賞文

種田山頭火の「しぐるるやしぐるる山へ歩み入る」は、放浪の俳人としての彼の覚悟と、孤独な魂が自然に溶け込んでいく瞬間を鮮烈に切り取った名句です。
「しぐるる」という言葉の執拗なリフレインは、行く手も背後も冷たい時雨に閉ざされた絶望的な状況を暗示すると同時に、歩いても歩いても終わりのない漂泊の旅路を象徴しています。
普通の旅人なら雨を避けて足を止めるところですが、山頭火はあえて雨に煙る山の中へと自ら足を進めます。
ここには世俗のしがらみを捨て、孤独を唯一の道連れとして自然の懐に飛び込んでいく、一種の「歩行禅」とも呼ぶべき精神性が宿っています。
ずぶ濡れになりながら一歩ずつ泥濘を踏みしめるその足音は、自己の業を背負い、死に場所を求めるかのような悲痛さと、すべてを投げ出した者だけが持つ静かな充足感に満ちています。

どこまでも続く時雨の降る山と、一人の男の背中が一体化していく光景は、読む者の心に深い寂寥と一点の曇りもない清々しさを残しています。
知っておきたい!時雨に関する有名俳句【5選】

時雨とは、冬の初め降ったかと思うと晴れ、また降りだし、短時間で目まぐるしく変わる通り雨のことです。
俳人達は秋から冬へと移り変わりさびれゆくものの中に、美しさと無常の心を感じてさまざまな俳句を詠んできました。

【NO.1】松尾芭蕉
『 人々を しぐれよ宿は 寒くとも 』
季語:しぐれ(冬)
意味:友人たちと泊まり込みの句会を開いているが、時雨が降ってほしいものだ。例え寒さが増そうとも、侘びの雰囲気を楽しみたい。

句会を開いている最中に詠まれた一句です。寒くなろうとも静謐な雰囲気の句会で時雨をながめるという侘びを体感してみたいものだ、という気持ちが「人々をしぐれよ」という強調の表現から読み取れます。作者の願い通りに時雨は降ってくれたのでしょうか。
【NO.2】与謝蕪村
『 化けさうな 傘をかす寺の 時雨かな 』
季語:時雨(冬)
意味:化けて出そうな傘を貸してくれるお寺に降る時雨であることよ。

作者の時代の傘はいわゆる唐傘で、妖怪の戯画などでよく見られる唐傘お化けは有名でしょう。急に雨に降られて傘を借りたものの、まるでお化けになりそうな唐傘だと表現するところにユーモアがあふれる句です。
【NO.3】夏目漱石
『 号外の 鈴ふり立る 時雨哉 』
季語:時雨(冬)
意味:号外の新聞を配る人の鈴が振り立てられている。外は時雨が降っていることだ。

時代劇やドラマなどで「号外!」と叫びながら鈴を鳴らして新聞を配っているシーンを見たことがある人も多いでしょう。号外の鈴が鳴って何事だと外に出てきた人達と、重大なことが起きたのだという深刻さを、時雨という静かに冬に向かっていく雨が降っている様子でより強調しています。
【NO.4】高浜年尾
『 鎌倉の 観音巡り 時雨れつつ 』
季語:時雨れ(冬)
意味:鎌倉の観音巡りをしていたら時雨が降ってきた。

鎌倉には多くのお寺がありますが、花の寺として有名な長谷寺をはじめとする三十三箇所巡りのできる観音巡礼が特に人気です。そんな観音巡礼を行っている最中に時雨が降ってきて、冬のはじめならではの鎌倉の風景を詠んでいます。
【NO.5】泉鏡花
『 川添の 飴屋油屋 時雨けり 』
季語:時雨(冬)
意味:川沿いにある飴屋や油屋も雨に降られているなぁ。

川沿いにあるお店が時雨に降られている風景を詠んでいます。今のように1時間ごとの天気予報もなく、ぱっとかけられるビニールが普及してもいない時代なので、急に降られた雨で品物が濡れないように急いでしまっているのでしょうか。
作者「種田山頭火」の生涯を簡単に紹介!
![]()
(種田山頭火像 出典:Wikipedia)
種田山頭火は、1882年(明治15年)に山口県防府市に生まれました。
本名は正一、山頭火は俳号。実家は大地主で経済的に恵まれていたと言われています。しかし、10歳の時に母が投身自殺をし、放浪者として生活する要因となってしまいます。
山頭火が俳句の道を本格的に進むようになったのは、15歳の頃です。成績が良かった山頭火は、俳句を勉強しながら1902年(明治35年)20歳の時に早稲田大学に進学します。
しかし、持病の神経衰弱により2年後に退学。1909年(明治42年)27歳の時に、佐藤サキと結婚式し、長男建が生まれました。
1913年(大正2年)31歳の時に、荻原井泉水の『層雲』に投稿句が掲載され、俳人としての地位を築いていきます。一方で実家の酒造会社は破産し、妻サキとも38歳の時に離婚しており、波乱万丈の人生だったと言われています。
その後山頭火は得度をし、僧侶の姿で旅をしながら俳句を詠み『層雲』への投稿を続けていました。1980年(昭和15年)に脳溢血により58歳で亡くなっています。
種田山頭火のそのほかの俳句

(種田山頭火生家跡 出典:Wikipedia)







