日本には先人に詠まれた有名な俳句が数多く残されています。
それらの作品の中には、自分の生き様を題材にした俳句があります。
今回は、数ある名句の中から「うしろすがたのしぐれてゆくか」という種田山頭火の句をご紹介します。
うしろすがたのしぐれてゆくか(種田山頭火)
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— Sako* (@motyubbppyana25) December 17, 2017
本記事では、「うしろすがたのしぐれてゆくか」の季語や意味・表現技法・解釈など徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
「うしろすがたのしぐれてゆくのか」の作者や季語・意味
うしろすがたの しぐれてゆくのか
(読み方 : うしろすがたの しぐれてゆくのか)
こちらの作品は、日本を代表する有名な俳人「種田山頭火(たねださんとうか)」が詠んだ作品です。
それでは、早速こちらの俳句について詳しくご紹介していきます。
季語
こちらの句は自由律俳句であるため、季語なしの「無季句」と捉える考え方が一般的です。
(※自由律俳句:季語の有無、五・七・五の定型にもこだわらない俳句のこと)
句の中には、「しぐれ(時雨)」という冬の季語も含まれていますが、この句に関しては、季節に捉われずに自分の思いを自由に俳句に表現しているため、「しぐれ(時雨)」は季語にはなりません。
意味&解釈
こちらの俳句を現代語訳すると・・
「うしろ姿が時雨の中を歩いて行くよ」
という意味になります。
こちらの句は、句集には【<自嘲>「うしろすがたのしぐれてゆくのか」】と書かれています。
つまり、山頭火自身が己の姿をつまらない存在であると軽蔑し詠んだ作品なのです。
この句は旅を続ける自分自身が、降ったり止んだりする小雨の中を寂しげにとボトボト歩く姿を読んでいます。
さらに深く解釈すると、自分自身のこれまでの人生を振り返ってみると、ポツポツと時雨のようにパッとしない日々であったと読み取れます。
そして、今一度己の人生を見つめてみると堕落的でどうしようもない毎日を過ごしていたと反省している山頭火の姿がイメージできる作品です。
「うしろすがたのしぐれてゆくのか」が詠まれた背景
こちらの俳句は、「山頭火の日記(昭和62年12月31日)」に記載されていた13句の1つです。
読まれた場所は、福岡県八乙女市と言われています。
こちらの句は、山頭火の生き様を知らないことにはうまく解釈できません。
そこで、少し山頭火の生活の様子について簡単にお話しします。
山頭火は晩年、僧侶の身でありながら酒に溺れ、借金をしては旅に出て拓鉢修行をするという破天荒な生活を送っていました。
山頭火は恵まれた家庭に生まれ育ちながら、わずか15歳で母を投身自殺で亡くています。この影響は大きく、己が放浪の身となりさまよっているのは、この事件が要因であるとさえ、友人達に告白しています。
そのためか、大学も中退に終わり、家庭を持ってもうまくいかない状態でした。さらに追い討ちをかけるかのように、家業さえも破綻し、父の消息もわからない状態に・・・。俳句以外の、私生活はとても荒んだものでした。
そんな悲壮な人生を送って来た山頭火は、自殺を試みますが失敗し、晩年は僧侶となりますが酒に溺れ、借金を繰り返しては旅に出て拓鉢修行をするという破天荒な生活だったのです。
こちらの俳句は、そんな己の姿を嘲り笑い軽蔑し詠んだ作品とされています。
「うしろすがたのしぐれてゆくのか」の表現技法
こちらの俳句の表現技法は・・・
- 自由律俳句
- 「ゆくのか」の「か」が疑問を示す技法
- ひらがな表記
になります。
自由律俳句
こちらの俳句は、定形型「5・7・5」の型にとらわれずに詠まれる「自由律俳句」です。
そのため本来の俳句であれば17音ですが、こちらはたった15文字にしか過ぎません。
自由律俳句には、季語の概念に関係なく、自分の気持ちをストレートに読んでいる作品が多く見られます。また、切れ字などを使用せずに文語調の言い回しで表現されている点が特徴的です。
自由律で俳句を詠むことにより、山頭火の思いがダイレクトに読み手に伝わってくる、インパクトのある作品に仕上がっています。
「ゆくのか」の「か」が疑問を示す技法
こちらの俳句では末尾「ゆくのか」の「か」の部分が、疑問形となっています。
ですが、こちら句は自由律俳句になりますので、一切の表現技法を排しています。
そのため、「か」は疑問形は、必ずしも作者の意図したものではありません。
ひらがな表記
こちらの文章は一切漢字が使われておらず、ひらがなで記載されています。
これはこの俳句が「自嘲」とあるように、山頭火の心の中でストレートに詠んだ作品だからです。
当時の山頭火は、まさかこの句が人目にさられると思わずに、誰にも知られることがないと思ったので「ひらがな表記」のままなのです。
ですが「ひらがな表記」であることで、山頭火の悲しみや己への侮りがダイレクトに伝わってくる俳句へと仕上がっています。
「うしろすがたのしぐれてゆくのか」の鑑賞文
トボトボと降ったり止んだりする雨の中を、寂しげに歩く山頭火の後ろ姿が伝わって来ます。
後ろ姿という部分からもそう若くはなく、人生も半ばを過ぎている頃であろうとイメージできる俳句です。
どうしてこんな寂しく暗い人生を過ごしているのだろうと、山頭火自信が己に心の内で問いかけているのかもしれません。
その結果として、自堕落で行き当たりばったりの生活をしていたから、こんなことになってしまったのかなと、反省する姿も伝わってきます。
さらに、自分の人生は時雨のように、立ち止まっては進みを繰り返す、そんなパッとしない日々であったこともこの句からは伺えます。
作者「種田山頭火」の生涯を簡単にご紹介!
(種田山頭火像 出典:Wikipedia)
種田山頭火は、1882年(明治15年)に山口県防府市に生まれました。本名は正一、山頭火は俳号です。
実家は大地主で経済的に恵まれていと言われています。しかし、10歳の時に母が投身自殺をし、放浪者として生活する要因となってしまいます。
山頭火が俳句の道を本格的に進むようになったのは、15歳の頃です。
成績が良かった山頭火は、俳句を勉強しながら1902年(明治35年)20歳の時に早稲田大学に進学。しかし持病の神経衰弱により、2年後に退学します。
1909年(明治42年)27歳の時には佐藤サキと結婚式し、長男建が生まれました。
そして、1913年(大正2年)31歳の時に、荻原井泉水の『層雲』に投稿句が掲載され、俳人としての地位を築いていきます。一方で実家の酒造会社は破産し、妻サキとも38歳の時に離婚しており、波乱万丈の人生でした。
その後山頭火は得度をし、僧侶の姿で旅をしながら俳句を詠み『層雲』への投稿を続けていました。
そして、1980年(昭和15年)に脳溢血で58歳で亡くなっています。
種田山頭火のそのほかの俳句
(種田山頭火生家跡 出典:Wikipedia)