【俳句の季重なりとは】季語は何個まで?季語の重複(かぶり)のルールや例を紹介!

 

俳句と言えば、季語を1つ入れて57517音が基本の定型詩になります。

 

しかし、中には1つの俳句の中に2つ以上の季語が存在することもあります。

 


季語の使い方を誤ると季語それぞれの持ち味がぶつかり合い、双方の良さを殺してしまい、良くない俳句が出来上がってしまいます。

 

そこで今回は、俳句における季重なりのルールや注意点など紹介していきます。

 

リス先生
ぜひ参考にしてみてね!

 

俳句の季重なりとは

 

季重なりとは、1つの俳句の中に2つ以上の季語が存在することを言います。

 

例えば、以下の句。

 

「蛤の ふたみにわかれ ゆく秋ぞ」

 

この俳句は松尾芭蕉が読んだ句ですが、この中には「蛤」(春の季語)と「秋」という2つの季語が入っています。そのため、この句は季重なりと言えます。

 

ちなみに、この句は季重なりの中でも、全く異なる季節の季語を入れた俳句なので、「季違い」とも呼ばれています。

 

 

俳句の季重なりのルール

俳句に季語は何個までOK

もちろん季語は1つの俳句につき基本的には1個ですが、季重なりの句でもほとんどの場合は2個以内です。

 

ただ、かなり珍しい3個の季語を使った有名な俳句がありますので、ここで紹介します。

 

「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」

 

これは山口素堂という江戸時代の俳人が読んだ句ですが、「青葉・ほととぎす・初鰹」という3つの夏の季語が使われています。

 

「青葉」は目で鑑賞するもので視覚を刺激し、「山ほととぎす」の声は耳で聞き聴覚を刺激する、そして「初鰹」は口で味わうものであり、味覚を楽しませてくれます。

 

この句は五感の中の3つまで盛り込んだ、実に感覚的な句であるという高い評価を受けています。

 

 

季語の重複(かぶり)は良くない?

季語は俳句の最も重要な構成要素なので、むやみやたらに季語を重複させてしまうと、鑑賞する側はどの季語に焦点を当てて読めば良いのかわからなくなってしまいます。

 

季重なりにすることでそれぞれの季語が互いに持ち味を打ち消し合い、一句を台無しにしてしまうことがあるのです。

 

しかし、中にはそれぞれの季語がお互いを活かし合うような絶妙な取り合わせの俳句や、季節同士がお互いを邪魔し合わずに共存している句もあります。

 

そのため、一概に季語の重複は良くないとは言い切れない部分があります。

 

季重なりでもOKな句とダメな句の違い

名句とされるものの中には、季重なりのものも数多くあるため、必ずしも季重なりが悪いという訳ではありません。

 

俳句の中に明らかに「強い季語」と「弱い季語」があり、どちらが主役か明確である場合には、季語同士がお互いを邪魔しないという理由で季重なりがOKとなります。

 

【OKな句】

猫の子が 手でおとすなり 耳の雪

→「雪」という強い冬の季語があることで、「猫の子」という弱い春の季語が、強い季語を支える役割を担っている。

【NGな句】

新じゃがや 野風の先の 青葉山

→「新じゃが」という季語が持つ土臭さが、「青葉」という季語の持つ清々しさに負けてしまっている。

 

初心者は季重なりをしない方が良い

俳句には「季語は1つ」という考え方がスタンダードです。

 

そのため、俳句のルールに厳しい句会などでは、季重なりの俳句というだけで、内容を吟味せずに問答無用でダメとなる可能性もあります。

 

また、そもそも季語同士が相乗効果を発揮するような季重なりの句を作るのは、かなり上級者でないと難しいです。

 

そのため、初心者の方は失敗する可能性が高いので、季重なりの句は作成しない方が無難と言えるでしょう。

 

季重なりの有名俳句【5選】

 

俳句仙人
作者である水原秋桜子氏は生前には短歌や古歌を学んでいた経緯があり、そのときに学んだ言葉の美しさが存分に発揮された作品です。季語は「啄木鳥」と「落葉」の2つが使われていますが、「啄木鳥や」と切れ字が使われていることで、一目で啄木鳥に焦点が当たるように工夫されています。

 

【NO.2】松尾芭蕉

『 一家に 遊女もねたり 萩と月 』

季語:月、萩(秋)

意味:同じ一軒の宿に遊女と泊り合わせた。おりしも庭には萩の花が咲き、月も照らしているよ。

俳句仙人
遊女たちの哀れな身の上を思う気持ちが、「萩の花」と「月」という2つの季語を使うことでより余情を深めています。萩の花は遊女、月は芭蕉を表しているという意見は多いですが、芭蕉が自身を上から照る月に見立てることはないのではないかという意見もあります。

 

【NO.3】内藤鳴雪

『 夕月や 納屋も厩も 梅の影 』

季語:(春)

意味:月は秋ほど美しくないかもしれないが、春も出る。しかし梅の花は秋には咲かない。

俳句仙人
「夕月」は秋の季語であり、「梅」が春の季語ですが、この句の季語は「梅」で春の句に分類されます。解釈の前提として、梅を俳句で取り扱うときは、その香りについて詠むものという暗黙の了解があります。そのため、梅の木はそこにあるだけではダメで、花が開いていなくては香りもしないし、意味がないということを伝えたいのです。

 

俳句仙人
こちらは「行水」が夏の、「虫の声」か秋の季語になりますが、「虫の声」で秋の句になります。「行水」は人間がやることなので夏でなくても春や秋でもやるかもしれないが、「虫の声」は秋にしか聞くことが出来ないからという理由からだそうです。

 

俳句仙人
爽やかな作風で知られる蕪村らしい俳句。清々しい夜明けの空気が伝わってきますし、嫌われることの多い毛虫を、とても美しい存在のように感じさせるのは見事です。

 

以上、俳句の季重なりについてでした!

 

季重なりを上手く使いこなせるようになれば、俳句の表現の幅が広がりますが、初心者のうちは少し難しいです。

 

リス先生
ある程度俳句が上達するまでは、一句の中に複数の季語を織り交ぜることは避けた方が無難だね!