【夏嵐机上の白紙飛び尽す】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!

 

「俳句」は、五・七・五の十七音で美しき自然の妙も、日々の暮らしの中のふと沸き起こった心の動きも印象的に詠みあげることができます。

 

リズムよく美しい言葉で作られた名句は、俳句をたしなむ人のみならず記憶に残り、ふとした瞬間に思い出すこともあるでしょう。

 

たくさんの名句を知っていることは、日々を心豊かに暮らすことにもつながっているのです。

 

今回はそんな数ある俳句の中から「夏嵐机上の白紙飛び尽す」という高浜虚子の句を紹介していきます。

 

 

本記事では、「夏嵐机上の白紙飛び尽す」の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者について徹底解説していきます。

 

俳句仙人

ぜひ参考にしてみてください。

 

「夏嵐机上の白紙飛び尽す」の作者や季語・意味・詠まれた背景

 

夏嵐 机上の白紙 飛び尽す

(読み方:なつあらし きじょうのはくし とびつくす)

 

この句の作者は「正岡子規(まさおかしき)」です。

 

(正岡子規 出典:Wikipedia)

 

正岡子規は、江戸末期の大政奉還と時を同じくして生まれ、短い生涯を文学にささげた明治期の俳人・歌人です。

 

江戸時代から親しまれていた俳諧を俳句という近代文学の一ジャンルとして確立しました。俳句だけではなく、短歌、小説、随筆など多彩な創作活動をしていました。

 

 

季語

こちらの句の季語は「夏嵐」です。読んで字のごとく「夏の季語」です。

 

「夏嵐」とは、夏に吹く南風(または南東から吹く風のこと)。

 

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嵐というと暴風雨をイメージしますが、「夏嵐」は雨が降っているわけではありません。

 

意味

こちらの句を現代語訳すると・・・

 

「窓から吹き込んできた夏の南風が、机の上にあった白い紙をすべて飛ばしてしまったよ。」

 

という意味になります。

 

この句が生まれた背景

こちらの句は、「寒山落木」という句集に、v明治29年(1896年)の夏に詠まれた句として収録されています。

 

その前年、明治28年(1895年)の春には、正岡子規は日清戦争の従軍記者として大陸に渡り、その帰途で結核菌が原因で喀血、それから療養生活に入っていました。

 

結核菌は子規の体の中で広がり、この句を詠んだ年の春には、正岡子規は脊椎カリエスという診断が下されました。

 

これは、結核菌が背骨に入り、病変を起こすもので、腰や背骨に痛みを生じます。

 

一年前は大陸で活躍していたというのに、遠からず訪れる死を意識し、病臥することの多い生活をせざるを得ない状況でした。

 

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そんな中、子規は「夏嵐机上の白紙飛び尽す」の句を詠みあげました。

 

「夏嵐机上の白紙飛び尽す」の表現技法

初句切れ

句切れとは、意味やリズムの切れ目のことです。

 

句切れは「や」「かな」「けり」などの切れ字や言い切りの表現が含まれる句で、どこになるかが決まります。

 

この句の場合、初句(五・七・五の最初の五)に、「夏嵐」の名詞で区切ることができるため、初句切れの句となります。

 

「夏嵐机上の白紙飛び尽す」の鑑賞文

 

【夏嵐机上の白紙飛び尽す】は、ある夏の日の一瞬の出来事をすかさずとらえて詠みあげた句です。

 

夏、突如吹き込んできた南風に白い紙が一気に舞い上げられる光景が、写生のように描かれています。この句からは、その時の情景がしっかり目に浮かんできます。

 

突如、吹き込んできた夏の南風。湿り気を帯びた、夕立を予感させる風でしょうか?

 

湿った風と言えど、突風が強く吹き込んでくれば暑気を払う涼しさも感じたことでしょう。

 

この時机上にあった白紙は、「飛び尽す(すべて飛ばされた)」という表現から考えても一枚ではないでしょう。

 

たくさんの紙が一気に吹き飛ぶ一瞬の驚き、そしてむしろ爽快感すら感じさせます。

 

ただ、こちらの句は子規が死を意識し、病臥することの多い生活をせざるを得ない状況で詠まれています。

 

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この句に詠まれた「机上の白紙」は、これからの創作活動のための紙であり、思うように執筆が進められない「もどかしさ」がこめられていたのかもしれません。

 

夏嵐/青嵐に関する有名俳句【5選】

 

「夏嵐」は「青嵐」「夏の風」という同じような季語があり、意味も同じく青葉の茂るころに吹きわたるやや強い風のことです。

 

俳人たちは強い夏の風に何を感じて俳句を詠んだのでしょう。

 

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ここでは、「夏嵐/青嵐」に関する有名俳句を5句紹介していきます。

【No.1】山口素堂

「長雨の 空吹出せ 青嵐」

季語:青嵐(夏)

意味:長雨の空を吹き出すように強く吹け、青嵐よ。

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夏の季語と共に詠まれているので、ここの「長雨」は梅雨のことでしょう。梅雨空を吹き飛ばすように強く吹く風に、梅雨の終わりと夏の到来を願う作者の心が感じ取れます。

 

【No.2】日野草城

「青嵐の 到ると見ゆる 遠樹かな」

季語:青嵐

意味:青嵐が来たように見える遠くにある樹だなぁ。

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この句を詠んでいる作者の場所ではまだそれほど風が強く吹いていないのが「みゆる」という表現から伺えます。遠くの樹が揺れているのを見て嵐が来たと悟っている様子を詠んだ句です。もしかすると、外に出していたものを仕舞うために様子を伺っていたかもしれませんね。

 

【No.3】飯田蛇笏

「川瀬ゆるく 波をおくるや 青嵐」

季語:青嵐(夏)

意味:川の瀬にゆるく波を送っている青嵐だ。

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「川瀬」とは、川の底が浅く流れの早い場所を意味する言葉です。既に急流である程度波の立っていそうな川瀬に、さらにゆるくではあるけれど波を起こすほどの風が吹いている、という様子を詠んでいます。「ゆるく」という言葉とは裏腹に強風が吹いている光景が浮かんでくる一句です。

 

【No.4】山口誓子

「青あらし 電車の音と 家に来る」

季語:青あらし(夏)

意味:青嵐が電車の音と共に家に来た。

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電車が通り過ぎる時の突風を青嵐に例えたのか、実際に電車が来る方向から天候が悪くなったのか、どちらにも取れる句です。物を運ぶ電車が嵐も運んでくるというユーモアのある一句になっています。家までやって来るという表現から、電車が来る方向から強風が吹いてくるのを楽しんでいるようにも見受けられる句です。

 

【No.5】小西来山

「夏風や 粉糠(こめぬか)だらけな 馬のかほ」

季語:夏風(夏)

意味:夏風が吹いているなぁ。粉糠だらけになった馬の顔だ。

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米糠のような細かい粒子が、強風によって散り馬の顔に吹き付けている様子を詠んだ句です。米糠は馬の飼料として用意されているもので、食べようとした馬の顔が真っ白になっているのを面白がっています。

 

 

作者「正岡子規」の生涯を簡単に紹介!

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(正岡子規 出典:Wikipedia)

 

正岡子規、本名は常規(つねのり)。1867年(慶応3年)愛媛県松山市、旧松山藩士の士族の家の生まれです。

 

子規という雅号は、ホトトギスにちなんでいます。ホトトギスはのどから血を流して鳴くと言われており、若い頃に結核に冒され、死に至る病と向き合いながら俳句や短歌を詠み続けた彼にふさわしい雅号です。

 

江戸の文学もよくこなし、一方で進取の気鋭にも富み、近代以降の短歌・俳句の発展の礎を築き、近代文学史に名を残しました。

 

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明治35年(1902年)919日、34歳にて子規は短すぎる生涯を閉じました。

 

正岡子規のそのほかの俳句