
五・七・五の十七音で、自然の姿や、生活の中で覚えた感興を詠み上げる俳句。
今回は、山梨県の風土を愛した俳人、飯田龍太の有名俳句作品(代表作)をご紹介します。
飯田龍太の人物像と作風
飯田龍太は大正生まれ、昭和10年代から句作をはじめ、平成の初め頃まで活躍した俳人です。
父は高浜虚子に師事し、山梨の風土に根差した句を多く詠んだことで知られる「飯田蛇笏」です。
龍太は、蛇笏の四男でしたが、兄たちが戦死したり、若くして病に斃れために、家督を継ぎます。そして、山梨県に生まれ育ち、父・蛇笏同様に、山梨の自然風土を愛して俳句を詠みました。
山梨の大自然や、そこでの暮らしについて、しなやかで繊細な感性で格調高く詠んだ句を多く残しています。
「かな・や・けり」といった切れ字はあまり用いられないことも、飯田龍太の句の特徴です。戦後の、伝統俳句を引き継いだ俳人の代表的な存在として俳壇で広く活躍しました。
父とともに山梨県境川村(現笛吹市)の自宅、「山廬(さんろ)」に住まい、父の創刊した俳句雑誌『雲母』を引き継いで創作活動に励みました。山梨文学館の創設など、地元の文化振興にも大きな業績を残し、平成19年(2007年)86歳で亡くなりました。
飯田龍太の有名俳句・代表作【16選】
春の俳句【5選】
【NO.1】
『 白梅の あと紅梅の 深空あり 』
意味:白梅がさき、その後、紅梅が咲く。青い空に梅の花がよく似合うことだ。
季語:梅
【NO.2】
『 入学児 脱ぎちらしたる 汗稚く 』
意味:入学したばかりの子どもが脱ぎ散らした服は、若々しく汗ばんでいる。
季語:入学
【NO.3】
『 いきいきと 三月生る 雲の奥 』
意味:三月は、いきいきと雲の奥から生まれるようにやってくるのだ。
季語:三月
【NO.4】
『 春の鳶 寄りわかれては 高みつつ 』
意味:季節は春、空に二羽の鳶が舞っている。二羽は、近づいたり、遠ざかったりしながら天高くのぼっていゆく。
季語:春の鳥 (鳶 とび)
【NO.5】
『 夕されば 春の雲みつ 母の里 』
意味:ふと懐かしく思い出されるのは、母とともに訪れた、母の実家でみた、夕方の春の雲のことだ。
季語:春の雲
夏の俳句【3選】
【NO.1】
『 かたつむり 甲斐も信濃も 雨の中 』
意味:かたつむりが雨に濡れている。遠くを見やると、甲斐の国も信濃の国も雨にけぶっていいることだ。
季語:かたつむり
【NO.2】
『 どの子にも 涼しく風の 吹く日かな 』
意味:どの子に対しても、涼しい風が吹きすぎていく、優しい夏の日である。
季語:涼し
【NO.3】
『 炎天の 巌の裸子 やはらかし 』
意味:炎天下の河原で子どもたちが川遊びをしている。岩の上の裸の子どもの肌がやわらかくもいとおしいことよ。
季語:裸
秋の俳句【4選】
【NO.1】
『 毒茸 月薄目して 見てゐたり 』
意味:毒キノコが、薄目を開けてみていたことだ。
季語:(毒)茸
【NO.2】
『 黒揚羽 九月の樹間 透きとほり 』
意味:クロアゲハが林の中を飛んでゆく。九月になり、樹々の間も透き通っていくようだ。
季語:九月
【NO.3】
『 新米と いふよろこびの かすかなり 』
意味:新米が稔りの時を迎え、収穫する際のよろこびはかすかにひそやかにわいてくるものだ。
季語:新米
【NO.4】
『 亡き父の 秋夜濡れたる 机拭く 』
意味:亡き父の遺品となった机を、秋の夜、水拭きしている。
季語:秋の夜
冬の俳句【4選】
【NO.1】
『 手が見えて 父が落葉の 山歩く 』
意味:西日に照らされて、手が白く浮かびあがって見える。父が、落ち葉を踏みしめて山を歩いているのであった。
季語:落葉
【NO.2】
『 一月の 川一月の 谷の中 』
意味:時は一月。一筋の川が、谷あいを流れている。
季語:一月
【NO.3】
『 大寒の 一戸もかくれ なき故郷 』
意味:一年で一番寒いといわれる大寒の頃、草は枯れはて、木は葉を落とし、家が一軒もかくれることもなく見渡せる、寒々しい故郷であることだ。
季語:大寒(だいかん)
「大寒」とは、二十四節季のひとつで、一年で一番寒い時を言います。真冬の故郷の村落を詠んでいますが、その奥には、春を待つ心も潜んでいるかのようです。
この句は、意味の上で切って読むと、「だいかんの いっこもかくれなき こきょう」と、五・八・三となり、破調の句のようですが、「だいかんの いっこもかくれ なきこきょう」と、実は五・七・五の定型のリズムで作られた句です。「かくれなき」という文節が、二句と結句にまたがる、「句またがり」の句になります。
【NO.4】
『 山河はや 冬かがやきて 位につけり 』
意味:山も河も、冬を迎えて早くも輝きを増し、その存在感を強めている。
季語:冬
さいごに
(「水澄みて四方に関ある甲斐の国」句碑 出典:Wikipedia)
飯田龍太は、俳人飯田蛇笏の息子として知られています。ホトトギス派の流れを汲む格調高い句を詠んだ蛇笏。そして、龍太の句は蛇笏の句ともまた違った新しい感性や、しなやかさや瑞々しさをもっていました。
飯田龍太の逝去にあたって、多くの俳人が追悼句を寄せましたが、その中に、高橋睦郎の「秋の蛇笏春の龍太と偲ぶべし(秋の俳句といえば父・蛇笏、春の俳句といえば息子龍太に名句がある)」という句があります。
蛇笏も龍太も優れた俳人であったという、俳人・蛇笏と龍太に対する尊敬、そして哀悼の意を込めた句です。
奇しくも、蛇笏の命日は10月3日と秋、龍太の命日は2月25日と早春の頃でした。
しなやかで繊細な飯田龍太の名句の数々、じっくりと味わってみてください。