【加藤楸邨の有名俳句 30選】人間探求派の俳人!!俳句の特徴や人物像・代表作など徹底解説

 

五七五という短い文の中で、季節や心情を込めることができる「俳句」。

 

俳句には作者それぞれの作風があり、一人の作者の作品をじっくり読むことでその作品観を知ることができます。

 

今回は、「人間探求派」として有名な「加藤楸邨(かとう しゅうそん)」が詠んだ名句を30句紹介していきます。

 

俳句仙人
さっそく紹介していきます。

 

加藤楸邨の人物像や作風

(画像:加藤楸邨)

人物像

加藤楸邨(かとう しゅうそん)は、明治から平成にかけて生きた俳人であり国文学者としても活躍した人物です。

 

楸邨は明治38年(1905年)東京で加藤家の長男として生まれました。本名は「健雄(たけお)」といいます。

 

鉄道官吏職の父の転勤に従い、子供時代は転校を重ねました。父親が病に倒れたため、楸邨は石川県立金沢第一中学卒業後進学をあきらめ、小学校の代用教員として勤めるようになります。

 

(画像:若い頃の加藤楸邨)

 

父親の死去後、母弟妹を連れ上京。東京高等師範学校第一臨時教職員養成所国語漢文科卒業し、埼玉県粕壁中学校の教員となりました。楸邨は、もともと短歌に興味を抱いていましたが、同僚に誘われたことがきっかけで俳句を始めます。

 

村上鬼城を密かに師と仰ぎ俳句を学ぶ中で、水原秋櫻子に師事。秋櫻子の機関紙「馬酔木」発行所に勤めながら、東京文理科大学国文科学科入学し、後に青山学院女子短期大学国文科学科教授となりました。

 

加藤楸邨の作風

 

楸邨の俳句は、初め秋櫻子の影響を受け優美な短歌的抒情を詠うものでしたが、次第に生活に密着し内面の苦悩を画く作風へと変化してゆきます。

 

そのため俳句表現が難解なものとなり、中村草田男、石田波郷らとともに人間探求派・難解派と呼ばれ、当時は世間から賛否両論を受けました。ただ一方で、楸邨は人間的でユーモアあふれる句を書く一面もあり、その作品は人々に親しみを抱かせました。

 

2次世界大戦後は、人間探求派と呼ばれたころの作品を越えた趣のある作品を数多く発表しました。楸邨は、松尾芭蕉や小林一茶の研究者でもあり、句の作り手の立場から捉えた芭蕉や一茶の句を解釈し業績を残しています。

 

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次に、加藤楸邨の代表的な俳句を季節(春夏秋冬)別に紹介していきます。

 

加藤楸邨の有名俳句・代表作【30選】

(画像:加藤楸邨 出典:ガウスの歴史を巡るブログ

春の俳句【7選】

 

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この句は、昭和十六年の「隠岐紀行」に収められています。楸邨が、隠岐の島を旅したときの作品です。

楸邨は松尾芭蕉の研究を行う中で、歌人としての後鳥羽院の魅力に惹かれ、かつて承久の乱で敗れた後鳥羽院が遠流された「隠岐の島」を訪れました。

隠岐の島は、島根県隠岐郡に所属する島々です。激しい日本海の怒涛が打ち寄せる中、隠岐の島には春が訪れ木々が芽吹いています。

高い位置からその風景を見下ろしたような表現が、隠岐の島の雄大さを伝えています。

 

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この句は、ふわふわとしたたんぽぽの綿毛が、「ぽぽ」と立って飛び立っていく、という優しい情景を詠っています。

「たんぽぽ」からとった「ぽぽ」という擬態語が、小さな綿毛の生命力を感じさせる効果を生んでいます。

また、「たんぽぽ」の別名を鼓草(つづみぐさ)ともいい、鼓の立てる「ポンポン」という音からこの「ぽぽ」という擬態語を楸邨が句にあてたとも考えられます。

 

【NO.3】

『 麦を踏む 親子嘆を 異にせり 』

季語:麦を踏む(春)

意味:麦を踏む親子は、お互い違うことを嘆いている。

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「麦を踏む」とは早春の季語で、まだ寒さが厳しく残る中で青く伸びた麦を足で踏んでゆく農作業のことをいいます。

一見のどかな雰囲気のようですが、「麦を踏む」作業は昭和始めの農民の貧しさを象徴するものでした。

「親子嘆(なげき)」とは、「麦を踏む」父子で嘆きが違うことを意味します。父は現在を、子どもは未来の困窮さを嘆いているのです。

 

【NO.4】

『 農夫の葬 おのがつくりし 菜の花過ぎ 』

季語:菜の花(春)

意味:農夫の葬式で、農夫自身が作った菜の花の横を棺桶が通りすぎてゆく。

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昨年農夫自身が種を蒔いた菜の花畑を、棺桶に入った農夫が通り過ぎていくことを詠っています。

この苦からは、「おのがつくりし 菜の花」の語によって死の寂しさではなく、むしろ温かさを感じられます。楸邨の人に対する優しさが感じられます。

 

【NO.5】

『 猫の恋 声まねをれば 切なくなる 』

季語:猫の恋(春)

意味:猫の恋、声まねをすると切なくなる。

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「猫の恋」とは、繁殖期の猫が春に鳴く声のこといいます。

「猫の恋の声まねをする」楸邨は、次第に猫の気持ちになり切なさを覚えたのでしょうか。楸邨のユーモアが感じられる句です。

 

【NO.6】

『 一つづつ 花の夜明けの 花みづき 』

季語:花みづき(春)

意味:1個ずつ開花するようなハナミズキの花が、夜明けの光に照らされていく。

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ハナミズキは薄いピンク色をした花を咲かせる街路樹として植えられている木です。「一つづつ」咲いていくように見える桜とはまた違った花の美しさを、夜明けの光がより一層美しく見せています。

 

【NO.7】

『 ながきながき 春暁の貨車 なつかしき 』

季語:春暁(春)

意味:春の夜明けの時間に長い編成の貨物列車が走っていくのを見ると、どこか懐かしく感じる。

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「ながき」を2回繰り返すことで、かなり長い貨物列車が通過していったことがわかります。春の暁というどこか夢見心地な時間帯に走る列車に、小さい頃に見た貨物列車を重ね合わせて見ていたのかもしれません。

 

夏の俳句【7選】

 

【NO.1】

『 火の奥に 牡丹(ぼたん)崩るる さまを見つ 』

季語:牡丹(夏)

意味:大空襲によってあたり一面火の海となったその奥で、牡丹の花が崩れていくさまを見た。

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この句には「五月二十三日、深夜大編隊空襲。病臥中の弟を負ひ、妻と共に一夜道子と明雄を求めて火中彷徨」と前書きがあります。

この「牡丹」は、楸邨の自宅に咲いていたものです。

大空襲によって焼かれた家から、家族を連れやっとのことで逃げ出した楸邨。家を振り返ると、庭に美しく咲いていた一輪の牡丹が火の中で崩れていく様を目にするのです。

深夜の大空襲によって一面が火の海となる、戦争の恐ろしさがひしひしと伝わってくる句です。

 

【NO.2】

『 蟇(ひきがえる) 誰かものいへ 声かぎり 』

季語:蟇(夏)

意味:ヒキガエルよ、誰かものを言え声のかぎり。

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この「蟇(ひきがえる)」は楸邨自身を指しています。

当時妻や家族がいる中で大学生として勉学にいそしんでいた楸邨が、生活苦に悩んでいる様子なのです。

ヒキガエルの鳴き声のように、うめき声をあげたいくらい苦しい」そんな楸邨の苦しみが伝わってきます。

 

【NO.3】

『 炎昼(えんちゅう) いま東京中の 一時打つ 』

季語:炎昼(夏)

意味:真夏の昼下がり、東京中で一時の時計の音が鳴り響く。

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「炎昼」とは、真夏の暑い昼のことをいいます。

暑さでうだるような昼、静まり返った東京の町で突然「一時」を知らせる柱時計の音が、一斉に鳴り響きます。
幻想的な世界の句に仕上げた楸邨ならではの発想が見事な句です。

 

【NO.4】

『 鶴の毛は 鳴るか鳴らぬか 青あらし 』

季語:青あらし(夏)

意味:鶴の毛は、鳴っているのか鳴っていないのか青嵐の中で。

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「青あらし」とは、青葉が茂る頃に吹く、どこか力強さを感じさせる風のことです。

鶴の毛とは胸に生える薄い体毛のこと。「青あらし」の中で、「鶴の毛」が鳴るという表現がユニークな句です。

 

【NO.5】

『 夏の風邪 半月傾ぎ(かしぎ) ゐたりけり 』

季語:夏の風邪(夏)

意味:夏風邪をひき、半月を傾いていたことだ。

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「夏風邪」は夏の季語です。夏風邪は冬の風邪と違い、比較的症状は軽いものの長引きやすいものです。

「傾ぎ」は「かしぎ」と読み、物がかたむくことをいいます。

楸邨は自分自身が夏風邪をひき、床に臥せっている様子を「半月傾ぎ」としました。どこか客観的に自分をとらえているような句です。

 

【NO.6】

『 白地着て この郷愁の 何処よりぞ 』

季語:白地(夏)

意味:白地の着物を着ると感じる、この郷愁の心はどこから来るのだろうか。

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「白地」とは夏によく着用される着物で、白い布に絣模様を施したものです。故郷ではよく着ていたのか、白地の着物を着る度にどこからか故郷を懐かしむ心が湧いてくることに不思議そうにしています。

 

【NO.7】

『 ソーダ水 言訳ばかり きかされぬ 』

季語:ソーダ水(夏)

意味:ソーダ水の泡のように、どんどん湧いてくる言い訳ばかりを聞かされている。

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ソーダ水といえばどこか爽やかな雰囲気を感じさせる飲み物ですが、ここでは言い訳をずっと聞かされている作者とともに登場します。延々と続く言い訳を聞きながら、ソーダ水の泡を眺めている作者の様子が浮かんでくるようです。

 

秋の俳句【8選】

 

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秋の味覚である秋刀魚を、外で七輪を使って焼いている風景でしょう。

秋刀魚を焼くと、香ばしい匂いと煙が立ち込めます。その煙と匂いの奥の方へと、夕日が沈んでゆくのです。

日が短くなった秋の夕暮れ時の、切なさも感じられる句です。

 

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この句は昭和13年の作品です。

鰯雲とは、秋空に浮かぶ鰯のうろこのような、白いかたまった雲のことをいいます。秋空に浮かぶ美しい鰯雲と対比した、人間の悩みに苦しむ楸邨の姿が伝わる句です。

また、この句は「句またがり」の手法を用い、中の句と下の句を「人に告ぐべきことならず」とつなぐことで句にリズムをもたらしています。

 

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「燕かへる」とは、春に渡ってきた燕が秋になり南の方角へと帰っていくことをいいます。秋の季語です。

この句は切れ字がなく、句切れなしの俳句とするとも捉えられます。

「燕」のかわいらしいと鳴き声が、秋の訪れとともになくなり、山河には静けさのみが残っているのです。

楸邨の主観は表現されていませんが、「燕」がいなくなったあとの寂しさが読み手に伝わってきます。

 

【NO.4】

『 かなしめば 鵙(もず)金色(こんじき)の日を負ひ来(く) 』

季語:鵙(夏)

意味:悲しんでいると、鵙が金色の日を背負ってきた。

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この句は昭和11年の作品で、楸邨が俳句の世界に入り、世間から注目を浴び始めた頃のものです。

鵙は、秋に「キーキー」と高く鋭い音で鳴く小鳥です。秋の高い空の下で響く、「鵙」の高い鳴き声は存在感があります。

鵙が金色の夕日を背に楸邨のもとへやって来る様と、「かなしめば」の語によって情緒あふれる句となっています。

楸邨の初期の「短歌的」句風が表れている句です。

 

【NO.5】

『 颱風(たいふう)の 心支ふべき 灯を点ず 』

季語:颱風(秋)

意味:颱風の中で、心を支えるように灯をともす。

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「颱風」とは、台風のことで秋の季語です。

戦後の日本は木造建築の家がほとんどで、台風は人々にとって脅威でした。

楸邨も台風の吹き荒れる中、少しでも心を支えてくれるようにと灯をつけたのです。

台風の中一つの明かりによって心細さが癒される、そんな風景が浮かんできます。

 

【NO.6】

『 思ひ出しては あそぶポケットの 団栗と 』

季語:団栗(秋)

意味:ふと思い出してはポケットの中のドングリで遊んでみる。

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童心にかえってポケットにドングリを持ち歩き、手慰みに遊んでいる様子を詠んだ句です。思い出しているのは幼い頃か、そういえばドングリを入れていたなという現在の様子か、色々な解釈が浮かびます。

 

【NO.7】

『 しづかなる 力満ちゆき 螇蚸(ばった)とぶ 』

季語:螇蚸(秋)

意味:静かに力を溜めていくようにじっとしていたバッタが一気に飛び上がる。

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じっと力を溜めているように見えたバッタが飛び上がるという、静から動への移り変わりが見事な一句です。草むらを跳ねるバッタの生命力を感じさせます。

 

【NO.8】

『 木曾谷の 刈田をわたる ひざしかな 』

季語:刈田(秋)

意味:木曽谷の稲穂を刈り終わった田んぼを渡る日差しだなぁ。

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稲穂を刈り終わってさえぎるものがなくなった田んぼを、秋の日差しが照らしています。そんなのどかな田んぼの近くでは、収穫された稲が干されたり、籾殻が入った袋が積まれていたりとそれまでの忙しい農作業を彷彿とさせるものが置いてあるのでしょう。

 

冬の俳句【8選】

 

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「いそぐないそぐなよ」の語が印象的で、一度聞いたら忘れられないような句です。

「木の葉ふる」は、冬の季語で落葉樹が葉を落とす様をいいます。

木の葉が一斉に落ちる様子は、とても美しいものですが、楸邨はそれを擬人法を用いて「いそぐないそぐなよ」としました。

それは、句を読む人に「人生を生き急ぐなよ」と楸邨が伝えているように感じられます。

また、「木の葉ふりやまず」と上の句と中の句をつなぐ「句またがり」の手法を用い句にリズムをもたせています。

 

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鮟鱇は、冬の季語です。

鮟鱇は、口が大きく胴が小さい魚です。鱗がないために、皮膚がすべるように滑らかでぐにゃぐにゃとしています。

その「鮟鱇」が極寒の中で凍り付き、固まりとして吊るされているのです。

鮟鱇が出刃包丁で真っ二つに切られる様を「ぶちきらる」と表現することで、「おかしさ」と「哀れみ」を読み手に伝える効果を生んでいます。

楸邨のユーモラスさや人間味を感じる句です。

 

【NO.3】

『 寒雷(かんらい)や びりりびりりと 真夜の波瑠(はる) 』

季語:寒雷(冬)

意味:心身共に凍るように寒い冬の真夜中、雷の音が鳴り響きガラス戸が「びりりびりり」と震えている。

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この句は、1945年楸邨が創刊した『寒雷』の第一句集の巻末に収録されており、楸邨の代表句でもあります。

「寒雷」とは、冬の季語で冬に鳴る雷を指します。夏の雷のような稲光はなく、雷鳴のみを表現した季語です。寒雷は、楸邨が造語したものともいわれています。

冬に鳴ることはあまりない雷。だからこそ、「寒雷」の音は胸に響くものがあるのです。この句は、楸邨の感情は表現されおらず、情景のみを表現しています。「びりりびりり」と擬声語が雷の震えを読み手にまで感じさせて、さらに「真夜中の波留」という美しい表現が読み手の心を打つのです。

【NO.4】

『 雉子(きじ)の眸(め)の かうかうとして 売られけり 』

季語:雉子(冬)

意味:雉子の目がこうこうとして売られている。

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この句は、『野哭』に収められており、昭和20年の作品です。

敗戦後の食糧難で人びとが苦しんでいる時代で、この句の「雉子」は楸邨が見かけた闇市で売られているものでした。

「雉子」は本来であれば春の季語ですが、この句では主な狩猟の季節を表すものとされ「冬」の季語として扱われています。

「かうかうと」とは、きらきらと輝くさまをいい、闇市で売られている「雉子」の眼の輝きを、楸邨が悲劇的に感じたように想像させます。

【NO.5】

『 落葉松は いつめざめても 雪降りをり 』

季語:雪(冬)

意味:落葉松はいつ目覚めても雪が降っていることだ。

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この句は、昭和2512月、楸邨が病後に長野県の星野温泉を旅した時に詠んだものです。

楸邨は、「落葉松を見ていると、雪が深くしずんでいくように降り注ぎ、その落葉松を見ていると今度は落葉松が上へ上へとのしあがっているように見える」とし、それが「はてしのない繰り返しのように続く」と詠みました。

「雪」と「落葉松」の美しい世界が、抒情的な句です。

【NO.6】

『 さえざえと 雪後の天の 怒濤かな 』

季語:雪後の天(冬)

意味:冴え冴えとした日が照らす雪の後の晴天に、荒い波が際立って見えるなぁ。

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この句は作者が隠岐島への船旅に臨む際に詠まれた一句です。雪が止んで出港日和になりましたが、海はまだ荒れている様子を詠んでいます。

【NO.7】

『 生きてあれ 冬の北斗の 柄の下に 』

季語:冬の北斗(冬)

意味:どうか生きていてくれ、冬の北斗七星の柄が指し示す場所で。

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この句が詠まれたのは昭和17年で、戦争が始まり出征した教え子を見送った後です。「生きてあれ」という懇願のような表現に、戦地へ向かった教え子たちの無事を願う強い心境が表れています。

【NO.8】

『 カフカ去れ 一茶は来れ おでん酒 』

季語:おでん酒(冬)

意味:カフカよ去れ。一茶は来て欲しい。おでんを食べながらお酒を飲む時は楽しい考え方がふさわしい。

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カフカはある日虫に変身していたという『変身』などの作品で知られた作家です。社会への絶望を説くカフカよりも、人生を楽しんでいた小林一茶の考え方こそがお酒の席では相応しいのだと楽しそうにしています。

 

以上、加藤楸邨が詠んだ有名俳句30選でした!

 

さいごに

 

今回は加藤楸邨が残した俳句の中から、特に有名な句を厳選して紹介しました。

 

加藤楸邨の俳句には、難解なものからユーモラスさを感じるものまで幅広くあります。

 

俳人としてだけでなく、国文学者としての博学さを楸邨の句から感じることができます。ぜひ、多くの優れた加藤楸邨の句を詠んで、その世界観を味わってみてください。

 

 

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最後まで読んでいただきありがとうございました。

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