【燕はや帰りて山河音もなし】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!

 

今回はホトトギス派に属することなく一家をなした加藤楸邨の句、「燕はやかへりて山河音もなし」をご紹介します。

 

 

作者がこの句に込めた情景や心情とはどのようなものだったのでしょうか?

 

本記事では、「燕はやかへりて山河音もなし」の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者について徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。

 

「燕はや帰りて山河音もなし」の作者や季語・意味・詠まれた背景

 

燕はや かへりて山河 音もなし

(読み方:つばめはや かえりてさんが おともなし)

 

こちらの句の作者は「加藤楸邨」です。

 

「楸邨」は「しゅうそん」と読みます。昭和期に俳句を詠み始め、平成初期まで活躍しました。

 

季語

この句の季語は「つばめかへる」秋の季語になります。

 

「つばめ」単体の言葉はつばめが日本に飛来する春の季語となりますが、「つばめかえる」となると秋の季語になります。

 

こちらの句は、「燕はやかへりて」と「はや」という副詞とともに用いられています。

 

このように他の言葉をはさんだり、「かえる」という動詞を活用させて使う例も多くあります。

 

つばめは春に日本に飛来して卵をうみ、ひなを育てて秋になると南に帰っていく渡り鳥です。

 

黒くて額やのどが赤く、尻尾が二股に分かれているのが特徴。穀物や木の実などを荒らさず、害虫を食べることから益鳥とされます。

 

つばめは「幸運をもたらす」「つばめの来る家は栄える」などと言われ大切にされてきた生き物になります。

 

意味

こちらの句を現代語訳すると・・・

 

「つばめは早くも、もう南方に渡ってしまい、山も河も、音もなく静まり返っている。」

 

という意味になります。

 

つばめは山奥にいる鳥ではなく、里に暮らす鳥であり、営巣してひなが成長する様子も日々見守ることができます。人の暮らしに近しい、親しみのある鳥なのです。

 

【はや】とは、「意外にも早いことに」といった意味の副詞です。

 

そんなツバメたちが、気づくと南方に帰ってしまい、姿が見えない。秋、やがてくる冬に向かってだんだん里も生き物の気配が減っていく寂しさを詠んだ句です。

 

この句が生まれた背景

この句は「火の記憶」という句集に収められています。

(※昭和23年(1948年)の刊行の句集です)

 

この句集は、生々しい戦時中の体験が詠まれた句を多く収めています。

 

例えば、「火の奥に牡丹(ぼたん)崩るるさまを見つ」(空襲による火災のため、火中で燃え尽き、崩れおちていく牡丹の花をみていたことだ。)

 

という句があります。

 

空襲にやられ、逃げる最中にみた壮絶な光景。衝撃的な句です。

 

この「牡丹」に、戦火によって理不尽に命を奪われていく命を見たともいえるでしょう。

 

戦争の理不尽さ・残酷さ・愚かさ・「火の記憶」で加藤楸邨はこれらのことを世に問いたかったのでしょう。

 

戦災という人のもたらす愚かな所業と比べて、変わらずある山河とや時を忘れず南方と日本を行き来するつばめといった自然の姿をいとおしむ視線はひとしおだったと思われます。

 

「燕はや帰りて山河音もなし」の表現技法

 

こちらの句で用いられている表現技法は・・・

 

  • 句切れなし
  • 「燕」と「山河」の対比

 

の2つになります。

 

句切れなし

俳句では、リズム上や意味の上で大きく切れるところを句切れと言います。

 

普通の文なら句点「。」のつくところや、切れ字「かな」「や」「けり」などがつくところで切れます。

 

この句は、切れ字もなく、特に句点「。」のつくようなところもありません。このような場合を「句切れなし」といいます。

 

つばめがかえってしまったことを残念におもってため息をつくように、一息に詠まれた句です。

 

「燕」と「山河」の対比

対比とは、複数のものを並べて、その共通するところや異なるところを比べてお互いの特性をより際立たせて印象付ける表現技法です。

 

今回の句は季節によって移動していく小さな「燕」と動くことのない「山河」を対比させています。

 

自然の営みを印象的に詠みこんでいるといえます。

 

「燕はや帰りて山河音もなし」の鑑賞文

 

【燕はやかえりて山河音もなし】の句は、つばめが去って寂しくなってきた里の様子を視覚的、聴覚的にとらえて表現した句です。

 

つばめが春に飛来し、半年近く軒先で過ごす間にはヒナの誕生・大きくなっていく様子・ヒナがだんだんと飛ぶ練習をする様子を見ることができ、愛着も沸くでしょう。

 

「はやかえりて」という言葉からは、「つばめがもう帰ってしまった…意外にも早かったことだ」と、つばめが去っていったのを惜しむ気持ちが感じられます。

 

シーズンともなると、つがいとなるメスをよぶオスつばめの声が餌をねだるヒナの声が響きます。えさつばめは、にぎやかな生き物でもあるのです。

 

「山河音もなし」とは、周囲の山や河を見渡してももはや飛び回るつばめのすがたは見えず、声も聞こえずないということで、視覚的にも聴覚的にもつばめがいなくなったことを表しています。

 

同じ景色でも、春や夏にはつばめたちが舞い、鳴きかわして命の躍動にあふれていたことでしょう。

 

季節はこれから深まりゆく秋とともに山や河の草木も枯れていき、命の気配は息をひそめるようになっていくのです。深まりゆく秋の寂しさを印象的に表した句ですね

 

作者「加藤楸邨」の生涯を簡単にご紹介!

加藤楸邨は、明治38(1905)生まれ。本名は加藤健雄。鉄道マンの父を持ち、各地を転々として成長します。

 


 

武雄が20歳のころ父親が亡くなり、進学を断念。代用教員をしつつも上京して教員養成所で学び、教員の道を目指します。

 

ロシアの文学にも親しみつつも誘われて俳句も作るようになり、水原秋桜子に師事するようになりました。

 

その後、水原秋桜子主宰の俳句雑誌「馬酔木」の同人になって「馬酔木」発行所で働きながら東京帝国大学にも通うなど、苦労して学問を修めました。

 

加藤楸邨は自己の内面に向き合い、人間性の追求を俳句の中で行っていこうという姿勢で俳句を詠みました。

 

しかし、師の水原秋桜子からは、加藤の俳句は難解であるとの批判も受け「馬酔木」を離れます。

 

その後は人々の生活や内面の苦悩に向き合って俳句をつくり、俳句雑誌「寒雷」を主宰。加藤は石田波郷、中村草田男らと共に「人間探求派」の俳人ともいわれました。

 

加藤楸邨は戦争で、家・蔵書・原稿を焼失したり、病を得て何度も手術を受けたりしつつも、俳句の可能性を模索し続けました。

 

主宰した「寒雷」を通じては、伝統俳句をものする俳人、前衛俳句を進んだ俳人、さまざまなタイプの俳人を輩出したという点でも大きな業績を残しました。

 

加藤楸邨のそのほかの俳句

 

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