【高浜虚子の俳句 36選】代表作(有名句)はこれ!!俳句の特徴や人物像など徹底解説!

 

俳句は多くの人に愛好される文芸です。

 

今回は、近代俳句の礎を築いたとされる正岡子規の高弟にして、明治から昭和まで長く活躍した「高浜虚子」の代表作をご紹介します。

 

 

高浜虚子の特徴や人物像

(高浜虚子 出典:Wikipedia)

 

高浜虚子(たかはま きょし)は、本名は「清(きよし)」、明治中期から、大正、昭和30年代まで活躍した俳人です。

 

江戸期までの俳諧を改革した正岡子規の高弟で、正岡子規とともに、俳句雑誌『ホトトギス』の創刊に関わりました。師亡き後、高浜虚子は句作をやめ、しばらくは小説を書くことに没頭しました。

 

しかし、同じく正岡子規の弟子であった河東碧梧桐が定型や季題にとらわれない新傾向俳句を提唱し始めたことに反発、大正2(1913)、俳壇に復帰します。

 

新傾向を唱える碧梧桐に対して、虚子はあくまでも守旧派を貫き、正岡子規の俳句の精神を引き継いで『ホトトギス』の編集にも携わり、長く日本の俳壇に君臨した人物です。

 

花や鳥といった自然の美しさを詩歌に詠みこむ「花鳥諷詠」、客観的に情景を写生するように表現しつつ、その奥に言葉で表しきれない光景や感情を潜ませる「客観写生」といった考え方に基づいて俳句を詠みました。

 

俳句仙人

次に、高浜虚子代表的な俳句を季節(春夏秋冬)別に紹介していきます。

 

高浜虚子の有名俳句・代表作【36選】

(虚子の句碑 出典:Wikipedia

 

春の俳句【7選】

 

俳句仙人
この句は、大正2(1913)、高浜虚子が一時遠ざかっていた俳壇に復帰した時の句です。明治35(1902)、師の正岡子規を亡くしてから、高浜虚子は句作をやめ、小説を書いていました。しかし、子規門の双璧として高浜虚子と並び称された河東碧梧桐が、新傾向の俳句を唱えるようになったことに反発、俳壇に復帰することを決意します。日本の俳壇を守ろうとする、作者の決意表明の句なのです。

 

【NO.2】

『 闘志尚 存して春の 風を見る 』

季語:春の風(春)

現代語訳:若き日に、春風に吹かれながらに抱いた闘志はいまだ私の心の中にあり、今もこうして春の風をみていることだ。

俳句仙人
昭和25(1950)、高浜虚子の喜寿の祝いの席での一句です。「春風や闘志抱きて丘に立つ」と対になった句です。長く日本の俳壇にあって、俳句という芸術にこだわり続けた姿勢が見て取れます。

 

俳句仙人
「思はずや」という表現では、感嘆の「や」ではなく反語の「や」として使われています。山を飛び交う蝶たちは、平地の蝶と比べて荒々しい飛び方をしていると思わないかとこちらに問いかけている一句です。

 

俳句仙人
じっと水に浮かぶ葉を見ていると、根元が繋がっている一つの植物だと気がついた様子を詠んだ一句です。作者の句風に「客観写生」といぅのがありますが、まさに自然を観察して客観的に詠んでいる句の代表例といえます。

 

俳句仙人
誰が描き残したのか、浜辺に大きな丸い輪が描かれていた様子を詠んでいます。子供たちが遊んだ後なのか、誰かが面白がって描いたのか、想像が膨らむ句です。

 

【NO.6】

『 鎌倉を 驚かしたる 余寒あり 』

季語:余寒(春)

現代語訳:鎌倉という地を驚かせていたほどの春の寒さでしたよ。

俳句仙人
「鎌倉を」と地名だけを言い切ることで、そこに住む人々だけではなく鎌倉という土地も驚いたと表現しています。鎌倉は暖かいと聞いていたのに、と自解に残しているように、不意に訪れる寒さにビックリしている句です。

 

【NO.7】

『 道のべに 阿波の遍路の 墓あはれ 』

季語:遍路(春)

現代語訳:道端に阿波へのお遍路たちのお墓が立っているのがなんとも哀れである。

俳句仙人
かつてはお遍路は気候がよくなる春に始めることが多く、春の季語になっています。行き倒れてしまった人たちのためのお墓が立っていることに、命懸けでお遍路に挑んだ当時の人たちのことを思って感じ入っている一句です。

 

夏の俳句【9選】

 

俳句仙人
あでやかに咲き誇る白い大輪の牡丹の中にわずかに見つけた紅色。白と紅の対比が鮮やかで、色彩イメージの豊かな句です。

 

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虚子は守旧派として、新傾向俳句を提唱する碧梧桐らとは対立していました。この句の「闇」とは、碧梧桐ら新傾向派を暗示し、彼らに対する皮肉が込められているともいわれます。

 

【NO.3】

『 虹立ちて 雨逃げて行く 広野かな 』

季語:虹(夏)

現代語訳:広い野原に降りこめていた雨も、虹が立つと逃げるようにやんでいくことだ。

俳句仙人
夕立のあとに広がるうつくしい虹を詠んだ一句です。本来は、雨が止むから虹が出るのですが、虹が立つと雨が逃げていく、と因果関係を逆転させて擬人法を使って詠んだところにこの句の面白さがあります。

 

【NO.4】

『 蛍火の 今宵の闇の 美しき 』

季語:蛍火(夏)

現代語訳:蛍が光りながら飛び違う、今日の宵の闇がなんと美しいことか。

俳句仙人
夏の夜に儚い光を帯びて乱舞する蛍を鑑賞することは、かつての日本の農村では当たり前の夏の風物でした。闇の中にふわりとうかび、飛び交う蛍の光と、漆黒の闇の対比が鮮やかです。

 

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「炎天」と表現することで暑い夏の最中を表しています。空には太陽が輝いているように、地上でも燃えるような赤い花の百日紅が咲いていると対比している色彩が鮮やかな句です。

 

【NO.6】

『 生きてゐる しるしに新茶 おくるとか 』

季語:新茶(夏)

現代語訳:生きているという一報のためだけに新茶を贈ってくれたのか。

俳句仙人
この俳句は戦争中の1943年に詠まれました。戦火が激しくなっていく中で、普段なら季節の挨拶になるだろう新茶を生きている証として贈ってくる様子にしみじみとしています。

 

【NO.7】

『 牛も馬も 人も橋下に 野の夕立 』

季語:夕立(夏)

現代語訳:牛も馬も人間も橋の下に避難する野原の夕立だ。

俳句仙人
現在ではほとんど見かけませんが、昔は運搬用の馬や田畑を耕すための牛が多くいました。そんな牛や馬、ひいては人間も、突然の夕立には橋の下で一緒に雨宿りをするしかないという面白さを詠んでいます。

 

【NO.8】

『 夏至今日と 思ひつつ書を 閉ぢにけり 』

季語:夏至(夏)

現代語訳:そういえば今日は夏至だったなぁと思いながら本を閉じた。

俳句仙人
夏至は6月の末で梅雨の最中が多く、冬至と違ってゆず湯などの行事もないため忘れてしまいがちです。そういえばそうだったとふと気がついて本を閉じ、俳人らしく夏至の日を詠んでいます。

 

【NO.9】

『 力無き あくび連発 日の盛り 』

季語:日の盛り(夏)

現代語訳:力無いあくびを連発する暑い夏の日の盛りだ。

俳句仙人
あまりの暑さに疲れてしまって、あくびを何度もしている様子を詠んだ句です。現在でも夏は体力を消耗するため、昼休み中に少し昼寝をする人も多いのでは無いでしょうか。

 

秋の俳句【9選】

 

【NO.1】

『 立秋の 雲の動きの なつかしき 』

季語:立秋(秋)

現代語訳:立秋を迎え、秋の訪れを実感させる雲の動きが慕わしく思われることだ。

俳句仙人
この句は、昭和18(1943)88日、高浜虚子の住む鎌倉の、鶴岡八幡宮の実朝祭に献句されたものです。実朝祭とは、鎌倉三代将軍源実朝の遺徳をしのぶ祭で、この句の詠まれた前年、昭和17(1942)に始まったもので、優れた歌人であった実朝をしのんで、選ばれた短歌や俳句が神前に献上されます。

 

俳句仙人
「桐一葉落ちて天下の秋を知る」ということわざがあります。これは、戦国武将片桐且元の言葉と言われますが、「桐の葉が一枚落ちるのを見て、秋の訪れを感じる」転じて「小さな動きのひとつから全体を揺るがす衰亡の前兆をとらえる」と言う現代語訳で使われます。この句は、桐の葉が舞い落ちるという初秋の季節を詠み込みつつも、今後やってくる本格的な秋の訪れ、変化の予感を潜ませた句です。

 

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大きな椎の大木が、空を切り分けるようにしてそびえたつ様子を詠んだ、ダイナミックな句です。「椎」を季語と間違えやすいのですが、「椎の実」であれば秋の季語となりますが、「椎」だけでは季語とはなりえません。

 

【NO.4】

『 秋風や 眼中のもの 皆俳句 』

季語:秋風(秋)

現代語訳:心地よい秋風が吹き抜けていくことよ。私の目に映るものすべてが、俳句とよべるような美しいものに思われる季節であることだ。

俳句仙人
秋は、詩情を誘う風物にあふれた季節です。そんな美しい季節を賛美するように見せて、秋の風物を季語にして、五・七・五の定型で句を詠めばなんでも俳句になってしまうことへの戒めともとれる句です。

 

俳句仙人
秋は夏に比べて太陽の位置が低くなり始めるため、影が長くなります。この句ではちょっとした影の違いから秋の気配を感じ取っている一句です。

 

【NO.6】

『 一夜明けて 忽ち(たちまち)秋の 扇かな 』

季語:秋の扇(秋)

現代語訳:一夜明けると途端に涼しくなり、たちまち秋の扇のように仰ぐものが必要ない気候になった。

俳句仙人
「秋の扇」とは涼しくなって使用しなくなった扇のことを意味する季語です。昨日までは暑くて扇で仰いでいたのに、朝になると途端に秋の涼しさを感じたことを季語で表現しています。

 

【NO.7】

『 新米の 其一粒の 光かな 』

季語:新米(秋)

現代語訳:新米のその1粒に宿った輝かしい光だなぁ。

俳句仙人
古来より日本ではお米を大切にして、新米は神への供え物にもしているほどでした。炊きたての新米の艶やかな光を見て感動している一句です。

 

【NO.8】

『 われの星 燃えてをるなり 星月夜 』

季語:星月夜(秋)

現代語訳:私の星が燃えている月のない星が明るい夜だ。

俳句仙人
「星月夜」とは月が出ていないのに星の光で明るい夜のことです。どの星を「われの星」と定めたかはわかりませんが、自分の命が燃えているような感覚を星空に抱いています。

 

【NO.9】

『 暫くは 雑木紅葉の 中を行く 』

季語:雑木紅葉(秋)

現代語訳:しばらくは雑木林の紅葉の中を歩いていく。

俳句仙人
「雑木紅葉」とは特定の樹種の紅葉ではなく、いろいろな木々が紅葉している様子を表す季語です。様々な木が植えられている公園や並木道を歩いている様子が想像できます。

 

冬の俳句【11選】

 

【NO.1】

『 寒菊や 年々同じ 庭の隅 』

季語:寒菊(冬)

現代語訳:寒菊が今年も咲いたことだよ。毎年、庭の隅の同じ場所に忘れることなく咲くことだ。

俳句仙人
寒菊とは、冬になって咲く菊のことです。黄や白のものが多く、秋に咲く菊よりも花も葉も小さいのですが、冬の花がない時に咲く花で、秋の菊とはまた異なる風情で愛されています。

 

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小川の上流で、農家の人が収穫した大根を洗っていて、その葉が流されてきた光景を切り取って詠まれた句です。この句は、昭和3(1928)、高浜虚子が東京の九品仏のあたりを歩いていた時に偶然目にした光景を詠んだものです。収穫した大根を近隣の小川で洗う、といったようなことはかつては日本全国で見られた光景でした。

 

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この句は、ふるさと、松山の実家からの眺めを詠んだものだということです。目の前は、寒々しい枯野が広がっていようとも、はるか先には明るい陽だまりがあるというような、この先への期待を抱かせてくれるような句でもあります。

 

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「去年今年(こぞことし)」とは、大みそかを境に年が入れ替わり、夜が明けると昨日は去年となり、今朝は今年と呼ばれるようになっていく、という現代語訳の季語です。人は、どこかで時の流れに区切りをつけます。でも、本来、時というものは過去・現在・未来を貫いて一本の棒のように連続しているものです。そんな時の流れの中で一本の芯のように曲がらない作者自身の信念があることを詠んだ句だといわれます。

 

【NO.5】

『 又例の 寄せ鍋にても いたすべし 』

季語:寄せ鍋(冬)

現代語訳:またいつもの寄せ鍋にでもしましょうか。

俳句仙人
「今日の夕飯は何がいい?」と聞かれた時のような答えがそのまま俳句になっている面白い一句です。寄せ鍋は出汁と具を煮込めば完成する上に体も温まるので、作者が好んでいたのでしょう。

 

【NO.6】

『 大寒の 埃(ほこり)の如く 人死ぬる 』

季語:大寒(冬)

現代語訳:大寒の日の寒さでホコリのように人が死んでいく。

俳句仙人
寒さと死をイコールとして詠んだ、冬の厳しさを表現した句です。「埃の如く」とまるで人々の意に介さないように死んでいく様子を淡々と詠みあげてぃます。

 

【NO.7】

『 うつくしき 羽子板市や 買はで過ぐ 』

季語:羽子板市(冬)

現代語訳:美しい羽子板が並んでいる市があるが、買わないで通り過ぎていく。

俳句仙人
年末になるとお正月に飾る豪華な羽子板が売っている市が立ちます。美しい羽子板を見物しに出かけたのか、外出している途中にたまたま遭遇したのか、年末の一コマをよく表しています。

 

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手毬(てまり)をつく遊びは、凧揚げや羽根つきと同様、正月の遊びとされます。この句は、第二次世界大戦がはじまった年、昭和14(1939)の作です。手毬唄は、世相を反映したものもあり、昭和中期まではやった手毬唄には、戦争を歌ったものや、現代では差別用語となるような敵国を揶揄する蔑称の含まれているものもありました。手毬歌とは、単純なこどもの歌ではなかったのです。

 

【NO.9】

『 何もなき 床に置きけり 福寿草 』

季語:福寿草(新年)

現代語訳:正月らしいしつらえは何もない床の間に、福寿草の花を置いたことだ。

俳句仙人
福寿草は、黄金色の美しい花と、その名前から縁起の良い花として鑑賞され、元日に咲くよう栽培されました。新年の風物ですが、この句では、福寿草しかないつつましい年明けを詠っています。

 

【NO.10】

『 浪音の 由比ケ浜より 初電車 』

季語:初電車(新年)

現代語訳:波音の響く由比ヶ浜から今年初の電車に乗った。

俳句仙人
作者は鎌倉に住んでいたため、初詣や新年の外出のために電車に乗ったと考えられます。由比ヶ浜と詠んでいることから江ノ島電鉄でどこかに向かったのでしょうか。

 

【NO.11】

『 映画出て 火事のポスター 見て立てり 』

季語:火事(冬)

現代語訳:映画が終わって、館内に貼られていた火事のポスターを見て立ち上がった。

俳句仙人
作者は自身の歳時記で「火事」を冬とした説明に、「火に親しむ」ためとしています。かつて使われていたセルロイド製の映画フィルムは可燃性が高く、しばしば火事を起こしていたため余計に身につまされたことでしょう。

 

さいごに

 

今回は、俳句界の巨頭・高浜虚子の有名句をご紹介しました。

 

明治、大正、昭和と三世代にまたがって活躍した高浜虚子には、優れた句が多くあります。

 

客観的に、自然の美しい風物を詠みこむことを旨として、俳句の芸術性を追求しつづけた俳人でした。

 

 

俳句仙人

最後まで読んでいただきありがとうございました。