俳句は五七五の十七音で構成されます。
季語と呼ばれる季節を表す単語を詠むことで、短い音の中でもさまざまな風物を詠むことができます。
今回は、江戸時代後期の禅僧であり、漢詩や和歌でも有名な「良寛(りょうかん)」の俳句を30句紹介していきます。
散る桜、残る桜も
散る桜良寛(江戸時代の曹洞宗の僧) pic.twitter.com/VnufHHPPHf
— 心に残る名言・格言(日本人編) (@kakugen_nippon) October 27, 2016
良寛の人物像や作風
(長岡市隆泉寺の良寛像 出典:Wikipedia)
良寛(りょうかん)は、今の新潟県出雲崎町の名主の長子として、1758年に誕生しました。
跡継ぎになるために名主見習いとして働いていましたが、米騒動の発生や犯罪者の処刑の仕事などに心を痛め、18歳のときに出家して曹洞宗のお寺で修行を始めました。
その後、22歳で岡山県の「円通寺」へと赴きます。修行期間は12年にも及び、母親の訃報が届いても帰国が許されないほどの厳しい修行でした。
良寛さんの円通寺。 pic.twitter.com/eoggNsCL3n
— zen (@take_off555) December 2, 2017
1790年に修行を終えて34歳で円通寺を離れると、諸国行脚の旅に出ます。
父親の訃報でも里帰りをせずに諸国を巡っていましたが、48歳のときに新潟県にある国上寺の五合庵へと居を移しました。諸国行脚の中で和歌や漢詩、俳句の手ほどきを受けていた良寛は、民衆と触れ合いながら書の熟達を目指しています。
しかし、天保元年(1830年)夏頃から下痢と腹痛を訴え、12月には危篤状態となります。そして翌年の1月6日、親しい人たちが見守る中、良寛は亡くなりました。享年74歳。直腸がんが主な原因と言われています。
(隆泉寺にある良寛の墓 出典:Wikipedia)
1831年に74歳で亡くなるまで多くの作品を残していますが、和歌も俳句も格式張らないわかりやすい言葉で、ありのままを詠む作風が多いのが特徴です。
良寛の有名俳句・代表作【30選】
【NO.1】
『 今日来ずば 明日は散りなむ 梅の花 』
季語:梅(春)
意味:今日見に来なければ明日には散ってしまっていただろう梅の花よ。
今にも散りそうな満開の梅の花を見ての一句です。梅の花の香りもただよってきそうなほど梅が咲く風景を簡潔に表しています。
【NO.2】
『 水の面(も)に あや織りみだる 春の雨 』
季語:春の雨(春)
意味:水面に落ちた春の雨が、さまざまな織物のような模様を水面に描いている。
この句は新古今和歌集に「水の面に 綾織り乱る 春雨や 山の緑を なべて染むらん」という類似句が存在します。和歌にも造詣が深かった作者ならではの句です。
【NO.3】
『 夢さめて 聞くは蛙の 遠音かな 』
季語:蛙(春)
意味:夢から醒めて、聞こえてくるのはカエルが遠くで鳴いている音であることだ。
目覚ましのようにカエルの声が聞こえたのか、寝起きの夢見心地の時にカエルの声が聞こえたのか、春ののどかな風景を詠んだ句です。飾ることの無い素朴な作者の作風が表れています。
【NO.4】
『 散る桜 残る桜も 散る桜 』
季語:散る桜(春)
意味:散っている桜がある。散らずに残っている桜もやがて散っていくのだ。
良寛が詠んだ句の中でも最も有名な句と言っても良いでしょう。仏教の諸行無常を表したもので、散っていく桜と人生観を重ね合わせています。
【NO.5】
『 ほろ酔ひの あしもと軽し 春の風 』
季語:春の風(春)
意味:ほろ酔いの足元がとても軽く感じる春の風だ。
作者は友人とお酒を飲みながら詩歌を作ることを好みました。ほろ酔いで良い気分になっている時に吹いた暖かな春の風に、足取りが軽くなっています。
【NO.6】
『 かきつばた 我れこの亭に 酔ひにけり 』
季語:かきつばた(夏)
意味:かきつばたが咲いているこの離れで私は友人としたたかに酔っている。
友人との酒宴の一幕を詠んだ句です。見事に咲いているかきつばたを題材に詩歌を詠みかわしている風景が浮かんできます。
【NO.7】
『 鉄鉢に 明日の米あり 夕涼(ゆうすずみ) 』
季語:夕涼(夏)
意味:鉄の鉢には明日食べる分のお米があるから十分だ。夕涼みをしよう。
作者は清貧な生活を貫いたことで有名な僧侶です。多くを望まず、明日食べる分があればよいという信条を詠んでいます。
【NO.8】
『 風鈴や 竹を去ること 三四尺 』
季語:風鈴(夏)
意味:風鈴が鳴っているなぁ。風が三四尺離れたところにある竹を揺らしている。
1尺は約30cmのため、風鈴と竹は1mほど離れています。かなりの至近距離にあるため、庭にある竹の葉を揺らす風の音も聞こえていることでしょう。
【NO.9】
『 雷を おそれぬ者は おろかなり 』
季語:雷(夏)
意味:雷を恐れない者はおろかである。
とても簡潔かつわかりやすい俳句です。当時は雷が落ちるメカニズムがわかっていなかったため、雷鳴は非常に恐れられていたことがわかります。
【NO.10】
『 夏の夜や 蚤を数へて 明かしけり 』
季語:夏の夜(夏)
意味:夏の夜だなぁ。ノミを数えて夜を明かそう。
眠れない夜に何かを数えて気を紛らわせようとしている一句です。ただ、当時の光源はそこまで明るくなかったため、数えようとして失敗しているユーモラスな様子を詠んでいるのかもしれません。
【NO.11】
『 秋風に 独り立たる 姿かな 』
季語:秋風(秋)
意味:秋風に1人立ち尽くしている姿であることだ。
秋という冬に向けて植物が枯れていく季節に一人佇む寂しさを感じさせる句です。作者自身なのか、立ち尽くす誰かを見ての句なのか、想像がふくらみます。
【NO.12】
『 名月や 庭の芭蕉と 背比べ 』
季語:名月(秋)
意味:名月だなぁ。庭に生えている芭蕉と背比べをしよう。
作者には松尾芭蕉を尊敬している詩がいくつか残されています。ここで詠まれている「芭蕉」も、実際に庭に植えていた芭蕉と松尾芭蕉を掛けています。
【NO.13】
『 二人して 筆をとりあふ 秋の宵 』
季語:秋の宵(秋)
意味:2人して筆を取り合って歌を詠みあう秋の夜である。
友人と詩歌を詠みあうことを好んだ作者の嬉しさが表れている一句です。秋の夜長と言いますが、長い夜も楽しい歌合せであっという間に時間が経ってしまっていることでしょう。
【NO.14】
『 松黒く 紅葉明るき 夕べかな 』
季語:紅葉(秋)
意味:松が影になって黒く見えて、紅葉が夕日に当たって明るく見える夕方であるなぁ。
黒と赤、影と光の対比が見事な一句です。絵画のような美しくわかりやすい対比で、風景が浮かんできます。
【NO.15】
『 ゆく秋の あはれを誰に 語らまし 』
季語:ゆく秋(秋)
意味:過ぎていく秋のあわれを誰に語ればよいのだろうか。
秋が深まり、作者の住んでいた新潟県の五合庵が雪で閉ざされる季節が近づいてきているときの一句です。段々と冬になっていく趣深さを語り合える人がいないことを嘆いています。
【NO.16】
『 初時雨 名もなき山の おもしろき 』
季語:初時雨(冬)
意味:今年初めての時雨が降った。名も知らない山も風流に見える。
「おもしろき」とは風流である、趣深いといった意味です。その年初の時雨が降っている山を見て、名前も知らない山でも風流に見えると喜んでいます。
【NO.17】
『 湯貰ひに 下駄音高き 冬の月 』
季語:冬の月(冬)
意味:お湯をもらいに、下駄の音を高く鳴らしながら歩く。空には冬の月が照っている。
作者が住んでいた五合庵は国上寺というお寺が近くにありました。下駄の音を楽しみながら冬の月の下を歩く様子が見て取れます。
【NO.18】
『 焚くほどは 風がもて来る 落ち葉かな 』
季語:落ち葉(冬)
意味:火を焚くほどのものは風が運んできてくれるのだ、この落ち葉などは。
生活に必要以上のものを求めなかった作者の生き様がよく表れている一句です。なお小林一茶の句に「焚くほどは 風がくれたる 落葉かな」という似たようなものがあり、作者が気に入っていた句がそのまま良寛の作として伝わったという説もあります。
【NO.19】
『 柴垣に 小鳥集まる 雪の朝 』
季語:雪(冬)
意味:柴垣に小鳥が集まっている雪の朝だ。
ありのままを俳句に詠むわかりやすい一句です。雪の降った朝に小鳥のさえずりが響く光景が見えます。
【NO.20】
『 木枯を 馬上ににらむ 男かな 』
季語:木枯(冬)
意味:木枯らしが吹く様子を馬の上からにらんでいる男がいるなぁ。
見たままを詠んだ句とも解釈できますが、冬の訪れを感じ取ってじっと木枯らしが吹いてくる方向を見ているようにも解釈できます。作者のいた新潟は雪深い地域のため、冬は厳しいものだったでしょう。
【NO.21】
『 春雨や 友を訪ぬる 想ひあり 』
季語:春雨(春)
意味:春雨が降っているなぁ。友人を訪ねたいと思う気持ちがある。
春雨が降っているけれど、友人を訪ねに行きたいという気持ちがあるという葛藤を詠んだ句です。雨の日は外出するのが億劫になる気持ちが表れています。
【NO.22】
『 鶯や 百人ながら 気がつかず 』
季語:鶯(春)
意味:ウグイスが鳴いているなぁ。あれだけ歌の名手が百人いても誰も気が付かなかったのだろうか。
この句で詠まれている「百人」とは「百人一首」のことです。実は百人一首にはウグイスを詠んだ和歌が一つもないため、驚いている一句です。
【NO.23】
『 鍋みがく 音にまぎるる 雨蛙 』
季語:雨蛙(夏)
意味:鍋を磨く音に紛れるようにしてアマガエルの声がする。
鍋を磨いている音に紛れこむアマガエルの鳴き声を詠んだ句です。カエルと言うと雨を連想しますが、梅雨時だったのでしょうか。
【NO.24】
『 涼しさを 忘れまひぞや 今年竹 』
季語:今年竹(夏)
意味:今までの涼しさを忘れないようにしよう、今年竹がぐんぐんと成長している。
「今年竹」とはタケノコが大きくなった若い竹のことです。竹が成長していくにつれて暑くなるため、涼しかったことを忘れないようにしようと竹を観察しながら詠んでいます。
【NO.25】
『 手ぬぐひで 年をかくすや 盆踊 』
季語:盆踊(秋)
意味:手ぬぐいで顔を隠し、年齢も隠す盆踊りだ。
手ぬぐいを巻いて顔が見えにくくすると、年齢がわからなくなります。そうやって誰しもが年齢を隠しながら盆踊りを踊っている風景を詠んだ句です。
【NO.26】
『 稲舟を さしゆく方や 三日の月 』
季語:三日の月/三日月(秋)
意味:稲を乗せた船を動かす方に三日月が輝いている。
「稲舟」とは、刈り取った稲を積んでいる船のことです。三日月は夕方になると西の空に輝くため、ゆったりとした夕暮れの風景が浮かんできます。
【NO.27】
『 いざさらば 我も帰らむ 秋の暮 』
季語:秋の暮(秋)
意味:いざさらば。私も帰ろう、この秋の暮れの中を。
「いざさらば」とは、誰に向かって言っているのでしょうか。親しい友人か、冬へとうつり変わっていく秋という季節自体に言っているのか、想像が膨らみます。
【NO.28】
『 日々日々に 時雨の降れば 人老いぬ 』
季語:時雨(冬)
意味:日々を過ごしているうちに時雨が降っていれば、人はいつか老いていくのだ。
毎年のように時雨の季節を迎えていてれば、同じ年だけ歳をとっているという一句です。季節と共に着実に人も歳を重ねていきます。
【NO.29】
『 柴焼いて 時雨聞く夜と なりにけり 』
季語:時雨(冬)
意味:柴をくべて焼いていると、時雨が降っている音を聞く夜になっている。
かつては炉や竈で燃料を燃やして食事の支度をしたり暖を取ったりしていました。柴を焼いていると、いつの間にか屋根に時雨が打ち付ける音がするという静かな夜を詠んだ句です。
【NO.30】
『 のつぺりと 師走も知らず 今朝の春 』
季語:今朝の春(新年)
意味:何も変化がない、師走も知らないような新春だ。
「のっぺり」とは平らで変化がない様子を指します。師走の忙しさを知らないような新春の穏やかさを詠んだ一句です。
以上、良寛が詠んだ有名俳句30選でした!
良寛は曹洞宗の僧侶としての生き方や、詩歌に長けていたこと、子供好きであることなどさまざまな側面を持った文化人でもあります。
難しい言葉を使わない俳句は、現代でもその光景が浮かんでくるほど親近感がわいてくる作風のため、同時代の俳句と読み比べてみてはいかがでしょうか。