俳句は五七五という韻律を持つ十七音で構成される短い詩です。
季語と呼ばれる特定の季節を表す言葉を詠み込むことで、短い中でも季節や心情を詠めることが特徴になっています。
今回は、江戸時代前期に活躍した俳人「上島鬼貫(うえじま おにつら)」が詠んだ名句を20句ご紹介します。
月なくて昼ハ霞むや昆陽の池
上島 鬼貫うえしま おにつら…万治4年4月4日1661年5月2日誕生。江戸時代中期の俳諧師。
水無月や風に吹かれに故郷へ
有岡のむかしをあハれにおぼへて古城や茨(いばら)くろなるきりぎりす pic.twitter.com/M4hw9TuuRu
— 久延毘古⛩陶 皇紀ニ六八二年令和四年弥生 (@amtr1117) May 1, 2014
上島鬼貫の人物像や作風
上島鬼貫(うえじま おにつら)は、1661年に現在の兵庫県伊丹市に生まれました。
当時の伊丹は風流や文芸が盛んで、鬼貫も8歳にして「来い来いと いへど蛍が 飛んで行く」と詠んだと言われています。13歳頃に談林派に入門し、西山宗因に師事しました。
25歳で医者を目指して大阪に出て仕官を求め、藩の勘定職や京都留守居役を兼任する中で、京都にやってきた松尾芭蕉らと親交を深めます。1718年に俳諧書『独ごと』を刊行し、「まことの外に俳諧なし」と述べ、「東の芭蕉、西の鬼貫」と名声を博しました。
1738年8月2日に大阪で、78歳で死去します。この忌日はのちに河東碧梧桐によって「鬼貫忌」という秋の季語に指定されました。
上島鬼貫句碑 大阪の俳人と pic.twitter.com/LSdHPA4YoJ
— ゆな (@hanawala) July 10, 2016
上島鬼貫の作風は、口語を駆使した率直なものです。
『独ごと』において「よい歌というものは、詞に巧みもなく、姿に色品をもかざらず、只さらさらとよみながして、其の心が深いもの」と書いているように、技巧を凝らしたそれまでの俳諧とは一線を画しています。
この作風は、のちの俳諧に大きな影響を及ぼしました。
上島鬼貫の有名俳句・代表作【20選】
【NO.1】
『 山里や 井戸のはたなる 梅の花 』
季語:梅(春)
意味:山里だなぁ。井戸の端にある梅の花が井戸の水面にうつっている。
山里の民家ののどかな風景を詠んだ句です。井戸の端にあると詠むだけで、シンプルながら水面にうつる空と梅の花びらを想像させる表現になっています。
【NO.2】
『 鳥はまだ 口もほどけず 初ざくら 』
季語:初ざくら(春)
意味:鳥はまだ口をほどいて鳴こうとしない寒さの中で咲く初桜よ。
鳥が鳴かない、ではなく「口もほどけず」と表現しているのが面白い一句です。ただ鳴かないのではなく、あまりの寒さにまだ口がほどけない鳥たちの様子が浮かんできます。
【NO.3】
『 あふみにも たつや湖水の 春霞 』
季語:春霞(春)
意味:近江にも立つのだなぁ。琵琶湖の湖水の上の春霞が。
「あふみ」とは近江、現在の滋賀県のことです。滋賀県で湖といえば琵琶湖なため、ここでは琵琶湖の湖上に立ち込める春霞を詠んでいます。
【NO.4】
『 雨だれや 暁がたに 帰る雁(かり) 』
季語:帰る雁(春)
意味:雨だれが落ちてくるなぁ。そんな雨上がりの朝方に雁が帰っていく。
雁は渡り鳥の一種で、春になると北へと帰っていきます。雨だれから雨が落ちてくるくらい雨上がりの直後の朝に列をなして帰っていく雁を詠んだ句です。
【NO.5】
『 谷水や 石も歌詠む 山桜 』
季語:山桜(春)
意味:谷を流れる水や石でさえも歌を詠むのだ。春になって山桜が咲いている。
この句は古今和歌集の仮名序である「生きとし生けるものいづれか、歌を詠まざりける」を下地にしています。生きているものはおろか、谷の水や石でさえ歌を詠みたくなるような春だと感嘆している表現です。
【NO.6】
『 春と夏と 手さへ行きかふ 更衣(ころもがえ) 』
季語:更衣(夏)
意味:春になったり夏になったり、手でさえ行ったり来たりする衣替えの時期である。
旧暦の4月1日は衣替えの日でした。現在の暦で5月上旬なので、初夏の暑さになったり春の寒さに戻ったりと行ったり来たりしている様子が、「手さへ行きかふ」という表現から読み取れます。
【NO.7】
『 なでしこよ 河原に石の やけるまで 』
季語:なでしこ(夏)
意味:暑い中に咲くなでしこよ。河原にある石が焼けるように暑い日だ。
【NO.8】
『 夏の星 影なつかしも くれかかる 』
季語:夏の星(夏)
意味:夏の星が出ている。星の光に心ひかれるも、もう朝が来てしまいそうだ。
「影」とは光のこと、「なつかしも」とは「心引かれる」という意味です。美しい夏の星も、朝が来ることで薄れていく様子を「くれかかる」と表現しています。
【NO.9】
『 雲の峰 なんぼ嵐の 崩しても 』
季語:雲の峰(夏)
意味:峰のような雲がある。どれだけ嵐が崩してもあの峰はまたできるのだ。
「雲の峰」とは夏の積乱雲のことを意味する季語です。嵐が来て吹き散らされたように見えても、何度でも積乱雲は発生します。
【NO.10】
『 さはさはと 蓮(はちす)うごかす 池の亀 』
季語:蓮(夏)
意味:さわさわと蓮を動かす池の亀がいる。
蓮がさわさわと動いていると思ったら、亀が蓮をつついて動かしているという何気ない光景を詠んだ句です。技巧によらず率直に詠む鬼貫の俳句をよく表しています。
【NO.11】
『 行水の 捨てどころなし 虫の声 』
季語:虫の声(秋)
意味:行水の水を捨てようとしたら、あちらこちらで虫の声がして捨てるところがない。
「行水」はカラスの行水という言葉に残るように、桶に水を張って体を洗い流すことを言います。辺り一面から虫の声がするため、水の捨て場所がなくて困っている生活の一面を詠んだ句です。
【NO.12】
『 にょっぽりと 秋の空なる 不二の山 』
季語:秋の空(秋)
意味:にょっぽりと秋の空に富士山がそびえ立っている。
「にょっぽり」とは「にょっきり」と同じ意味です。この句は富士山を見たいと言って亡くなった友人の墓前に供えた句と言われています。
【NO.13】
『 古城や 茨(いばら)くろなる きりぎりす 』
季語:きりぎりす(秋)
意味:古い城だなぁ。茨が生い茂ってコオロギが鳴いている。
【NO.14】
『 そよりとも せいで秋たつ ことかいの 』
季語:秋たつ(秋)
意味:そよりとも涼しい風が吹かないで立秋とはどういうことだろうか。
「秋たつ」とは立秋を意味する季語です。涼しい風も吹かないのに暦の上では秋とはどういうことかと皮肉っている句で、現代にも通じるものがあります。
【NO.15】
『 夢返せ 烏の覚ます 霧の月 』
季語:霧(秋)
意味:見ていた夢を返せ。カラスが眠りを覚ます霧の中の月よ。
上島鬼貫の辞世の句です。カラスが鳴いていることから、霧の中の月は夕方を連想させます。実際にカラスの鳴き声で見ていた夢から覚まされたのか、人生の終わりを霧の月と表現しているのか、味わい深い句です。
【NO.16】
『 つくづくと もののはじまる 火燵(こたつ)哉 』
季語:火燵(冬)
意味:しみじみと色々な物の始まるコタツであることよ。
コタツを出すと本格的に冬が始まるという予感がします。詩作に励む、歓談をする、色々な冬の行事の支度をするなど、やることが多そうです。
【NO.17】
『 おとなしき 時雨をきくや 高野山 』
季語:時雨(冬)
意味:大人しく降る時雨の音を聞いているこの高野山よ。
荒々しく降る雨ではなく、しとしとと大人しく降る時雨の音を聞いています。高野山という信仰の中心地で聞くことで、より静謐な雰囲気を感じさせる句です。
【NO.18】
『 重ね着に 寒さもしらぬ 姿かな 』
季語:重ね着(冬)
意味:重ね着をすることで、寒さを知らない姿になっている人であるよ。
エアコンやストーブのない当時は、コタツや火鉢など炭を使った暖房の他は重ね着をするしか寒さ対策がありませんでした。重ね着をすることによって、寒さを知らないように外で活動する人を見たのでしょうか。
【NO.19】
『 灯(ともしび)の 花に春まつ 庵かな 』
季語:春まつ(冬)
意味:花のようにみえる灯火に春を待つ庵であることだ。
春を待つために、花のように見える灯りを庵に設置しています。灯りを花に見立て、春を待つ冬の生活の様子がよく表れた句です。
【NO.20】
『 我宿の 春は来にけり 具足餅(ぐそくもち) 』
季語:具足餅(新年)
意味:私の家にも新春が来たことだ。具足餅がある。
「我宿(わがやど)」には自分の家と泊まっている宿の2つの意味がありますが、ここでは甲冑に供える鏡餅である「具足餅」があるため、前者としました。上島鬼貫は武士の血を引いているため、甲冑にも縁があったことでしょう。
以上、上島鬼貫が詠んだ有名俳句でした!
同時代の松尾芭蕉と並んで「東の芭蕉、西の鬼貫」と呼ばれていたほど有名な上島鬼貫は、死後も川柳や狂歌などに歌われるほど人気のある俳諧師です。
江戸時代前期は俳諧が洗練されていく過程のため、各々の俳人で作風の特徴が異なっているため、読み比べてみてはいかがでしょうか。