【とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞・作者など徹底解説!!

 

わずか17音で描かれる世界観が美しい「俳句」。

 

日本が生み出した芸術ですが、今や世界中の人々から愛され、親しまれています。

 

今回は、大正から昭和にかけて活躍した俳人・松本たかしの作である「とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな」という句をご紹介します。

 

 

本記事では、「とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな」の季語や意味・表現技法・鑑賞などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてくださいね。

 

「とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな」の作者や季語・意味

 

とつぷりと 後ろ暮れゐし 焚火かな

(読み方:とつぷりと 後うしろくれゐし たきびかな)

 

この句の作者は「松本たかし」です。松本氏は、大正から昭和にかけて活躍した写生を得意とする俳人です。

 

(※写生…実物・実景を見てありのままに写し取ること)

 

この句は『松本たかし句集』(1956年)に所収されています。

 

季語

こちらの句の季語は「焚火」で、季節は「冬」を表します。

 

焚火は暖を取るために落ち葉や枯木、廃材などを燃やすことをいい、冬によく見る光景ですので冬の季語に分類されます。

 

意味

この句を現代語訳すると・・・

 

「焚火をしながら暖をとり、炎の明るさに見入っている。ふと、後ろを振り返ってみると、すっかり日が暮れ、あたりは真っ暗になっていたよ。」

 

といった意味になります。

 

焚火に手を暖めながら話でもしていたのでしょうか。ふと後を振り向くと、とっぷりと日は暮れ、あたりは暗くなっていることに気がつきます。この句からは空間(焚火に面する前と背後)と時間の経過が詠み込まれています。

 

闇から取り残され、そこだけは赤々と燃えている焚火。そんな焚火を囲んでいるような雰囲気を詠んだ句です。

 

「とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな」の表現技法

 

この句で使われている表現技法は・・・

 

  • 切れ字「かな」(句切れなし)
  • 「とっぷりと」(擬音語)
  • 助動詞「し」

     

    になります。

     

    切れ字「かな」(句切れなし)

    切れ字とは、「かな」「けり」「や」などの語で、句の切れ目に用いられ強調や余韻を表す効果があります。

     

    この句は、下五「焚火かな」の「かな」が切れ字です。

     

    暗闇に浮かぶ焚火の美しさにふと気づいたときの驚きを「かな」を用いて表現しています。

     

    また、句の途中に句切りはありませんので、「句切れなし」となります。

     

    「とっぷりと」(擬音語)

    「とっぷりと」という言葉は、日がすっかり暮れる様を表す副詞で、夕日が西の空の地平線の下へ完全に落ち、しっかりと暗くなったことを表しています。

     

    地平線が夕日を飲みこんだときの音を「とっぷり」という擬態語で表現したことが始まりだといわれています。

     

    この句は「とっぷりと」という言葉で始まることで、あたりはすっかり日が暮れ、暗闇に包まれていることをより効果的に読み手に伝えています。

     

    助動詞「し」

    「暮れゐし」の「し」は、過去の助動詞「き」の連体形で、後に続く「焚火」を修飾しています。

     

    直訳すると「背後は日が暮れた焚火」となり、背後の暗闇と目の前に赤々と燃える焚火を対比し、焚火の美しさを強調しています。

     

    「とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな」の鑑賞

     

    冬の風物詩である「焚火」。作者は、赤々と燃える焚火の火色に心を奪われ、見入っています。

     

    どのくらい、焚火を見つめていたのでしょうか、ふと気づくと背後はとっぷりと日が暮れ、闇に包まれています。

     

    懐かしい焚火の情景の中に夜の妖しい雰囲気を感じます。

     

    また、「炎の明るさと夜の闇」「炎の動きと背後に忍び寄る静寂」といった2つの事柄の対比が見事に表現されています。

     

    暗闇の中、赤々と燃える焚火の魅力がとても美しく表現されている句です。

     

    作者「松本たかし」の生涯を簡単にご紹介!

     

    松本たかし(1906年~1956年)は東京都出身の俳人で、本名を松本孝といいます。

     

    能楽師一家に生まれ、5歳の頃から能を志しますが、病のため断念。病床で読んでいた『ホトトギス』をきっかけに俳句に興味を持ち、俳句に専心することとなります。

     

    1922年、16歳の頃に父の能仲間の句会「七宝会」に参加し、翌年から高浜虚子に師事することになります。

     

    1948年、能の師匠であった宝生九郎をモデルにした伝記小説『初神鳴』を発表し(小説はのちに映画化されました)、小説家としても活躍しました。

     

    1954年、第四句集『石魂』において第5回読売文学賞(詩歌俳句賞)を受賞しますが、1956年に起こした脳溢血で言語喪失状態となり句作が途絶えます。その数か月後に心臓麻痺により亡くなりました。

     

    松本たかしは、能で培った美意識を活かし、芸術性が高く、優雅で格調高い俳句が特徴で、『ホトトギス』を代表する俳人、川端茅舎や中村草田男らと並び、称されました。また、俳誌『笛』を創刊・主宰するなど、俳壇にも大きく貢献しました。

     

    松本たかしのそのほかの俳句

     

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