古くより受け継がれてきた「俳句」の世界には、いまもなお人々を魅了する有名な句が数多くあります。
名句と聞けば、「松尾芭蕉」の作品を思い浮かべる方も多いでしょう。
自然の美を好んだ芭蕉ですが、とりわけ「月」への思いが強く、月を詠んだ句がいくつも残されています。
今回は、そんな松尾芭蕉の数ある名句の中から【名月や池をめぐりて夜もすがら】という句を紹介していきます。
名月や 池をめぐりて 夜もすがら
松尾 芭蕉 pic.twitter.com/jUorwOBbit
— のりちゃん (@norimasa211) November 30, 2013
今回は「名月や池をめぐりて夜もすがら」の季語や意味・表現技法・作者など徹底解説していきます。
ぜひ参考にしてみてください。
目次
「名月や池をめぐりて夜もすがら」の作者や季語・意味・俳句が詠まれた背景
名や 池をめぐりて 夜もすがら
(読み方:めいげつや いけをめぐりて よもすがら)
こちらの句の作者は「松尾芭蕉」です。
松尾芭蕉は江戸時代前期の俳人で、日本至上最高の俳諧師として、「俳聖」とも称されるほどの人物です。自然の美しさや人々の生活を豊かに表現し、蕉風と呼ばれる俳諧に高い芸術性を加えた句風を確立しました。
また芭蕉は「人生は旅である」ととらえ、旅に生きた人としても知られています。
代表作『おくのほそ道』など数々の旅行記を残し、日本各地へ趣き日本の風景や侘び寂びを詠みました。
季語
この句に含まれている季語は「名月」で、季節は「秋」を表します。
しかし月は四季を通じて一年中見られるものですが、なぜ秋の季語となるのでしょうか?
それは、秋は空が澄み渡り、月がことさら美しく輝く季節だからです。
特に旧暦8月15日(新暦では9月中旬から下旬)の月は「中秋の名月」といい、古来よりこの日の月を特別なものとして愛でてきました。
旧暦の秋にあたる7月・8月・9月の中で、その真ん中にあたる8月を「中秋」と呼びます。
意味と解釈
こちらの俳句を現代語訳すると・・・
「名月を眺めながら池の周りを歩いていたら、いつの間にか夜が明けてしまった。」
という意味になります。夜もすがらとは、「夜どおし・一晩中」を意味します。
しかし、じつはこの句には以下の2つの解釈があります。
❶「中秋の名月の夜、池の水面に映る月に感動し、池の周りをそぞろ歩いて趣を楽しんでいたところ、いつのまにか夜が明けてしまった」
❷「明るく照らす中秋の名月を眺めながら、池の周りをそぞろ歩いて趣を楽しんでいたところ、いつのまにか夜が明けてしまった」
上記のように、名月とは池に映る月なのか、もしくは空に輝く月を指すのかで解釈が分かれています。
この句では月と池が並んでいることから、「池に映る月」を連想されるため、前者❶が定説とされています。
しかし、せっかく一年で最も月が美しく見える夜ならば、水面に揺らめく月よりも直接見るほうが自然にも感じます。
じつはもう一つ解釈がある
他にも、池の周りを回っているのは「芭蕉」ではなく、夜空に輝く「月」を表しているという解釈もあります。
旅をこよなく愛した芭蕉なら一晩中歩くことはたやすいことかもしれませんが、いくら月に感動したからといっても疲れ果ててしまいますよね。
池の周りを月が回っていくと解釈するならば、
「佇む芭蕉の頭上を、中秋の名月が池の周りをめぐっていき、その美しさに感動しているといつの間にか夜が明けてしまっていた」
となります。
一晩かけてゆっくりと月が動いていく様子から、時の移ろいをしみじみと表しています。
その上、たった十七文字の世界のから、どこか宇宙に繋がるようなスケールの大きささえ感じてしまいます。
このように読み手の解釈によってさまざまな楽しみ方ができるのも俳句の魅力だといえますね。
この句が詠まれた背景
この句は芭蕉が43歳の頃の作とされています。
東京の深川にある芭蕉庵にて、宝井其角・仙化ら門弟達が集まり、月見の会を催した席で詠まれた句です。
余談ですが、句の中で出てくる「池」は、かの有名な「古池や蛙飛びこむ水の音」の句でも詠まれた古池だといわれています。
「名月や池をめぐりて夜もすがら」の表現技法
切れ字「や」
こちらの句は、「名月や」の「や」の部分が切れ字に当たります。
切れ字とは句の切れ目に用いられ、強調や余韻を表す語です。
「や」は間投助詞で、「詠嘆・感動」を意味し現代語訳では「ああ,~であるなあ。」と訳されます。
つまり「名月や」は「名月であることだ・・・」を意味し、作者の感動の中心が「名月」にあると詠みとれます。
また切れ字には俳句にリズムを持たせるために使います。この句では「めいげつ」に「や」をつけることで、五音から成る心地よいリズムを作りだしています。
「名月や池をめぐりて夜もすがら」の鑑賞文
「夜もすがら」という言葉から、名月に見惚れて恍惚とする作者の様子が伺えますね。
気がつけば夜が明けるまで歩いてしまうほどの月の美しさとは、一体どれほどだったのでしょうか?
まだ電気やガスも普及していない江戸時代では、日が沈むとあたりは夜の闇に包まれ、月光は今よりもまぶしく感じたはずです。
中秋の名月ともなると、ことさら明るく輝いて見えたことでしょう。
さらに、芭蕉は『更科紀行』の中で「三更月下入無我 (さんこうげっかむがにいる)」と記しています。
現代語訳すると、「真夜中、月の光の下で無我無心の境地に入る」となるのですが、この句でも月に魅入るあまり時の経過を忘れてしまう、無我無心の境地に至ったのでしょうか。
自然が生み出す神秘的な光景を前に、芭蕉の重んじた「侘び寂び」の世界観が見事に表現された味わいのある名句です。
「名月や池をめぐりて夜もすがら」の補足情報
歌道と名月
「名月」は中秋の名月を主に意味する季語で、俳句ではよく使われています。
しかし、和歌では「月」「望月」などの表現で中秋の名月を詠むことはありますが、「名月」という単語が出てくることはほとんどありません。
一方で、謡曲や俳諧では「名月」という単語が出現し始めます。そのため、日本の歌道において「名月」という言葉は比較的新しいものだったのです。
一方で、漢詩においては「名月」は「明月」という表記で早くから登場しており、特に芭蕉が尊敬してやまない李白の詩によく登場しています。
芭蕉は俳句の作風を何度か変えていますが、李白に影響を受けた漢詩調の俳句を詠み始めた頃から「名月」という季語を使い始めています。
「めぐりて」が表す意味
この句には、芭蕉が池の周りをぐるぐる回る、月がいつの間にか回って朝が来るという二つの意味があると紹介しました。
ここでは、「廻る」という言葉が芭蕉以前の文学でどのように扱われていたか見ていきましょう。
「廻る」という言葉は謡曲でよく出てくる言葉です。
「その執心の修羅の道、めぐりめぐりてまたここに」というように、単にぐるぐる回るというだけでなく、「離れたくても離れられない精神状態」を廻ると表現しています。
このように、芭蕉以前の文学の伝統に則ると、「池にめぐりて」は「池の周りを回って」ではなく、「池に心を惹かれて離れられない」という意味になるのです。
こちらの意味で芭蕉が使用したという確証はありませんが、この場合は芭蕉が心を惹かれたのは空に浮かぶ名月ではなく、水に浮かぶ名月でしょう。
ここでは下記にある李白と月の関係が浮かんできます。李白と月の伝説を芭蕉が知っていたならば、水面に映る月を見て尊敬する李白のことを思い出して離れがたいと考えていたと解釈できます。
李白と名月
李白には、酒に酔って水に映った月に触れようとして水面に落ちて溺死したという伝説があります。
実際には自分の邸宅で病死しているため誤った伝承ですが、風雅を愛する李白のエピソードとして有名です。
芭蕉がこの伝説を知り得たかどうかは諸説あります。
しかし、芭蕉の記した『貝にほひ』という撰集に出てくる「釣月」という言葉の出典の考証一つとして、「李白は酔うて水中の月を捉えんとして溺死したとも伝へられ『李白捉月』の語もある」とあります。
芭蕉はこのエピソードを知っていて「月を釣る」という言葉を使ったのならば、この句の池と月というシチュエーションから李白のことが思い浮かんでいたでしょう。
作者「松尾芭蕉」の生涯を簡単にご紹介!
(松尾芭蕉 出典:Wikipedia)
松尾芭蕉(1644~1694年)は本名を松尾宗房(むねふさ)といい、名前の芭蕉は俳句を作る人が名乗る「俳号」と呼ばれるものでした。
伊賀国(現在の三重県)に生まれ、10代後半の頃から京都の北村季吟に弟子入りし俳諧を始めました。
芭蕉の最初に詠んだ俳句は「春や来し 年や行けん 小晦日」といわれており、これが俳人生活の始まりの句となりました。
28歳になる頃には、北村季吟より卒業を意味する俳諧作法書「俳諧埋木」を伝授されます。若手俳人として頭角をあらわした芭蕉は、江戸へと下りさらに修行を積みました。
33歳で俳諧師の免許皆伝となった芭蕉ですが、俳諧の指導だけでは生活が苦しく、水道工事の事務をして生活していました。
45歳であった芭蕉は弟子の河合會良とともに「おくのほそ道」の旅に出ます。約150日間をかけて東北・北陸を巡り、約2400kmもの距離を歩いたと言われています。
高齢にも関わらずこれだけの距離を歩くのは尋常ではないということと、芭蕉の出身地が忍びの里として有名な伊賀であることから、実は忍者だったのではないかという説もあるようです。
大阪への旅の最中に体調を崩した芭蕉は、50歳の生涯を閉じました。亡くなる4日前、病の床で「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」という辞世の句を残しています。
松尾芭蕉のそのほかの俳句
(「奥の細道」結びの地 出典:Wikipedia)