【俳句の自由律俳句と破調の違い】簡単にわかりやすく解説!!意味や効果・見分け方など

 

俳句は、基本的に「17音のリズム」によって組み立てられています。

 

この「575」のリズムに逆らうことなく詠んだ句のことを、「正調の俳句」または「定型の俳句」と言います。

 

一方、575のリズムを崩して詠んだ「自由律俳句」「破調の句」というものもあります。

 

 

今回は、パッと見たかぎりでは見分けがつきにくい「自由律俳句」と「破調」の違いについて、簡単にわかりやすく解説していきます。

 

リス先生
ぜひ参考にしてみてね!

 

 「自由律俳句」と「破調」の違い

 

「破調」とは「575」のリズムを崩して詠んだ句です。17音より文字数が多い句を字余り、17音より文字数が少ない句を字足らずと言います。

 

一方、リズムだけでなく季題にも縛られず感情の赴くままを詠んだ句が「自由律俳句」です。17音より文字数が多い句を長律、17音より文字数が少ない句を短律と言います。

 

どちらとも、基本となるリズムを崩して詠んだ俳句ですが、これらの大きく異なるところは、「リズム音の違い」と「季語に重点を置いているかいないか」です。

 

  • 「自由律俳句のリズム音」・・・基本のリズム音は跡形もなく、大きくかけ離れている
  • 「破調のリズム音」・・・多少は崩れるものの、基本のリズムが土台となっている
  • 「自由律俳句の季語」・・・季語にこだわる必要はない
  • 「破調の季語」・・・季語が必ず入っていなければいけない

リス先生
では、次に例を交えながら、それぞれを詳しく解説していくよ!

 

「自由律俳句」を簡単にわかりやすく解説!

意味(俳句の例)

自由律俳句とは、基本となる17音を頭から切り離して、そのリズムを大きく外して詠んだ句のことです。

 

【例】天と地つなぐ曼殊沙華

季語:曼殊沙華(彼岸花の別名で秋の季語)

解釈:儚げながらも地に根をはって、天を見上げるかのように咲き誇る曼殊沙華の真っ赤な花を見ていると、今は亡き故人との絆をつないでくれているように感じます。

 

下記のように題材となる季語を気にしなくても問題ありません。

【例】ふわふわ揺れる亡き姿 ゆらゆら重なる天界の紅 しずしず会釈して立ち去りし

季語:なし

解釈:ひっそりと咲く曼殊沙華を眺めていると、亡き故人の姿が揺らめていて見えるような気がしたのです。「天界の花」という意味を持つ曼殊沙華に会釈をして、故人に会わせてくれたことへの御礼を伝えて、おごそかな気持ちで墓参りを済ませて帰りました。

効果

上記の二つの例で挙げたように、俳句のルール「上五(かみご)」「中七(なかしち)」「下五(しもご)」に縛られることなく、さらには「季語」を考えたり気にしたりするも必要もありません。

 

おおむね自由自在に感情や描写を表現できるところが醍醐味であり、自由律俳句が持つ特徴的な効果と言えるでしょう。

 

※「自由律俳句」は、基本となる「17音」のリズムから大きく外れても大丈夫です。短くても長くても、とくになにも問題はないとされています。さらには、「季語」にとらわれることもなく、必ず入れる必要もありません。

 

「破調」を簡単にわかりやすく解説!

意味(俳句の例)

破調とは、いわゆる字余りや字足らずなど、ほんの少しだけリズムが外れた句のことです。

 

【例①】亡き笑みが(5音) おぼろげ重なる(8音) 曼殊沙華(5音)<字余り>

季語:曼殊沙華(彼岸花の別名で秋の季語)

解釈:なにげなく曼殊沙華を眺めていると、今は亡き故人の笑みが頭の中に浮かんできて、ぼんやりと重なって見えてしまいます。

【例②】亡き笑みを(5音) 夢に見つつ(6音) 曼殊沙華(5音)<字足らず>

季語:曼殊沙華(彼岸花の別名で秋の季語)

解釈:今は亡き故人の笑みを思い出して、夢にまで見る日々を過ごしながら、ただただ曼殊沙華を眺めています。

 

効果

上記の二つの例で挙げたように、字余りや字足らずにすることによって、本来のリズムの調子を少しだけ変えると不自然な印象になり、その箇所に自然と目が留まりやすくなります。

 

このことにより、その部分における感情や描写をストレートに伝えることができるだけでなく、ちょっとしたアクセントとしての効果が生まれると言えるでしょう。

 

※「破調」は、基本となる「17音」のリズムが土台になっています。リズムを大きく逸脱すると「自由律俳句」になるので注意が必要です。1音~3音程度の増減によりリズムを変調させるのが「破調」と考えると、わかりやすいでしょう。また、主眼となるべき題材としての「季語」は、必ず入れなければいけません。

 

自由律俳句の有名俳句【おすすめ5選】

【NO.1】大橋裸木(おおはし-らぼく)

『 陽へ病む 』

意味:カーテンの端から差し込んだ太陽の光がまぶしい。大病をして床に臥していると、痛くて重たい体は動かず、カーテンを閉めたくても閉められない。自由を封じられているように思えてきて、なんだか精神的にも病んでしまいます。

俳句仙人

病気を患っていると、ちょっとしたことでも億劫になってしまうものです。手を伸ばしてリモコンを取ろうとしただけでも、患部に痛みが走れば動きたくなくなりますよね。非常に短い一句なのにも関わらず、まぶしい陽を遮ろうにも身動きできない自分に嫌気がさして、気分が落ち込んでいく様子などが、ひしひしと伝わってきます。

【NO.2】大橋裸木(おおはし-らぼく)

『 月夜の人ごみのサンドイッチマンにぶつかった 』

意味:月夜の美しい日、多くの人たちが行き交う町中で、サンドイッチマンにぶつかってしまいました。

俳句仙人

月夜と人ごみ。この二つの言葉の組み合わせで、クリスマスの夜を想像してしまいました。若い男女でにぎわう街中を、ただ一人で行く当てもなく歩いていく。恋人と別れたのでしょうか。涙が流れないように月を見上げながら歩いていたら、ケーキやパーティの宣伝用看板を胴体の前後に付けたサンドイッチマンにぶつかってしまったのです。その一瞬、独り身同士だからこそ分かり合える何かが交差したような、そんな気がした。…といったような情景が浮かびました。

【NO.3】尾崎放哉(おざき-ほうさい)

『 咳をしても一人 』

意味:激しく咳き込んでしまうものの、ここには誰もいません。気にしてくれる人も看病してくれる人もいないのです。私は、一人ぼっちです。

俳句仙人

尾崎放哉は、コミュニケーション障害を抱えており人間関係は上手くいっておらず、肺に関わる重篤な病で亡くなったと言われています。生涯にわたって、理解し合える人に出会えなかったことの無念さや、誰かと分かり合おうとしなかったことへの後悔、重病に苦しんでいても誰もそばにいないことへの寂しさなど、氷のように冷たくて寂しい孤独感が伝わってくるような気がします。

【NO.4】尾崎放哉(おざき-ほうさい)

『 入れ物がない両手で受ける 』

意味:もらったものの、入れ物がないので両手で受け取りました。

俳句仙人

尾崎放哉の晩年は、妻と別れて小豆島の庵寺で無一物という極貧の生活を送っていたと言われています。おそらく、住職や住民などによる好意から食べ物などを恵んでもらったこともあったのでしょう。しかし受け取ろうにも、お椀などの入れ物を持っておらず、仕方なく両手を差し出して受け取るという、ひたすら困窮した様子が目に浮かんくるようです。

【NO.5】荻原井泉水(おぎわら-せいせんすい)

『 たんぽぽたんぽぽ砂浜に春が目を開く 』

意味:砂浜のあちらこちらに、たんぽぽが咲き乱れ、春が目を開いたことを知らせてくれています。

俳句仙人

あたたかい陽気に誘われて砂浜を散歩していたら、右を見ても左を見ても、たんぽぽが元気に咲いています。いち早く春の訪れを感じて、たんぽぽも喜んでいるようですね。のどかな春のワンシーンを見て、心が弾んで嬉しい気分になっている作者の気持ちや、明るくて楽しげな様子も伝わってきます。さらに、「春が目を開く」という擬人法も素敵ですね。たんぽぽたちに手を振りながら、春の妖精たちが飛び交っているような、不思議かつ幻想的な世界を想像してしまいました。

 

破調の有名俳句【おすすめ5選】

 

【NO.1】松尾芭蕉(まつお-ばしょう)

『 旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る 』

意味:旅の途中で急な病を患って床に臥せてしまいましたが、その夜に見た夢では、いつもと変わらず枯野をかけ廻っていました。

俳句仙人

675音。字余りの句です。このとき松尾芭蕉が患った病は重くて、この句を詠んだあとに命を落としてしまい、生前最期の句と言われています。はたして死を意識しながら詠んだのか、そのつもりもなく病中における一つの句として詠んだのか、それは本人のみぞ知るですね。ただ言えることは、病に臥せていても旅を続けている夢を見るほどに、その病状を無念に思っていたのでしょう。松尾芭蕉の俳句に寄せる気持ちの強さ、執着心にも似た情熱、元気を取り戻したいと切に願う心、そういったものを感じます。

 

【NO.2】服部嵐雪(はっとり-らんせつ)

『 梅一輪 一輪ほどの 暖かさ 』

意味:梅が一輪、咲いています。一輪ほどとはいえ、ほんの少し暖かさを感じます。

俳句仙人

675音。字余りの句です。この句には「寒梅」という詞書(ことばがき)があります。詞書(ことばがき)とは句の説明文のようなもので前書きのことです。このことから、春の季語「梅」ではなく冬の季語「寒梅」を詠んだ一句とされています。まだまだ寒い季節のある日、一輪だけ芽吹いた梅を見つけた作者は、たった一輪ながらも、かすかにほんのりとした暖かな印象を感じたのでしょう。少しづつ近づいてきているであろう春の足音を待ちながら、暖かさを恋しく思う気持ちを表現した、なんとなく切なくなるような一句です。

 

【NO.3】小林一茶(こばやし-いっさ)

『 雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る 』

意味:雀の子よ、そこをのきなさい、そこをのきなさい。お馬さんが通りますよ。

俳句仙人

587音。字余りの句です。この句を目にすると、なぜか昔話のワンシーンのようなものが浮かびます。茅葺の粗末な一軒家が離れたところに点々と建ち、遠くには山と林。すぐ先には丸太のような橋と小川。目の前は田んぼと砂利道。道を占領しているのは、小さな雀たち。そこへ小奇麗な衣装を身に付けたお侍さんが、栗毛色の馬に乗ってやってくるのです。そして「そこのけそこのけ」と雀たちに声をかけているのは、お馬さん。その声に驚いて「わーわー」と慌てて飛び去る雀の子供たち。一つの物語が形成されていくような、なんだか面白い一句だなと思います。

 

【NO.4】芥川龍之介(あくたがわ-りゅうのすけ)

『 兎も 片耳垂るる 大暑かな 』

意味:この厳しい暑さとあっては、兎も片耳を垂れてしまいます。

俳句仙人

475音。字足らずの句です。大暑(たいしょ)とは、一年のうちで最も暑さが厳しく感じられる時期のことです。夏の暑いまっさかり、小動物の兎だとて元気な状態ではいられません。兎といえばピンっと立った両耳が印象的ですが、こうも暑くては「だら~り」と片耳を垂らして気だるそうにしていることでしょう。芥川龍之介が、その様子を実際に見ているのか想像しているのかは判断できませんが、くたびれそうなほどの猛暑がダイレクトに伝わってくるような、季節感あふれる夏の一句です。

 

【NO.5】夏目漱石(なつめ-そうせき)

『 菫ほどな 小さき人に 生まれたし 』

意味:菫の花のような、小さい人に生まれたかったものです。

俳句仙人

675音。字余りの句です。春になると道端でひっそりと紫の花を咲かせる菫(すみれ)のように、あまり目立つことのない人に生まれたかった、というナイーブな感情を詠んだ一句です。とはいえ、菫は冬になると枯れますが根っこは生き残り、春になると再び芽を出して茎や葉を伸ばす多年草です。そのようなタフな一面にも憧れを抱いて、菫のように根をはって力強く生きていきたい、という希望を込めた一句であると言えるかもしれません。

 

さいごに

 

では最後に、今回のテーマを簡潔にまとめましょう。

 

  • 「自由律俳句」・・・『17音』を気にすることなく、感情の赴くままに自由なリズムで詠んだ句です。なお『季語』はあってもなくても構いません。
  • 「破調」・・・17音』の基本を守り、1音~3音程度の字余りや字足らずによる変調で詠んだ句です。なお『季語』は必ず入れなければいけません。

 

本文中に、それぞれのポイントを挙げながら例として詠んだ俳句を載せていますので、参考になりましたら幸いです。

 

自由律俳句は、リズムに関係なく「短い一言で伝える」ことや「たったの一行で伝える」ことを意識してみると、おそらく挑戦しやすいでしょう。

 

破調は、まず基本のルールどおりに17音の俳句を詠んでください。そして、そのなかで一番アクセントを付けたい箇所に「字余り」または「字足らず」という飾りつけをして変調にしていくことを意識してみると、おそらく挑戦しやすいでしょう。

 

評価の良し悪しといったことは気にしないで、自分の気持ちを言葉に乗せて表現する喜びを感じながら、俳句を気楽に親しんでみてはいかがでしょうか。