五・七・五の十七音で情景や気持ちを表現する「俳句」。
古典文学の時代に源流を持ち、現代でも多くの愛好家のいる日本の文芸の一つです。
今回は近代俳句の祖と言える正岡子規の「紫陽花や昨日の誠今日の嘘」という句をご紹介します。
庭の紫陽花が咲いていました。
「紫陽花や 昨日の誠 今日の嘘」 正岡子規 pic.twitter.com/gncr1OaYDC
— 黒平 (@peikuro) June 3, 2014
本記事では、「紫陽花や昨日の誠今日の嘘」の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者について徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
「紫陽花や昨日の誠今日の嘘」の作者や季語・意味・詠まれた背景
紫陽花や 昨日の誠 今日の嘘
(読み方:あじさいや きのうのまこと きょうのうそ)
こちらの句の作者は「正岡子規」です。
江戸から明治へと時代が動くときに、新しい俳句を求めて文学に人生を捧げた俳人の作です。
季語
こちらの句の季語は「紫陽花(あじさい)」、季節は「夏」です。梅雨時の句ですね。
あじさいは、日本原産で梅雨のころに花を咲かせます。土壌の酸性度によって、酸性が強いと青色に、中性、アルカリ性だと赤色に花が色づきます。
また、土壌の酸性度に関わらず、花の色が咲き進むにつれて色が変化します。咲き始めは黄緑色を帯び、赤や青に色づいた後、青い花も赤みを帯びた色に変化しながら萎んでいきます。
この花色の変化から、あじさいは移り気なもの・気まぐれなもの・不確かなもののたとえとして詩歌に取り入れられることもあります。
意味
こちらの句を現代語訳すると・・・
「紫陽花が美しく咲いていることよ。昨日は本当だといったことが今日は嘘になってしまうように、日々色を変えながら。」
という意味になります。
紫陽花の花の色の変化によそえて、人の心の移ろいやすさを詠んだ句になります。
この句の詠まれた背景
この句は、明治26年(1893年)、正岡子規が当時26歳の時に詠んだ句になります。
この前年に子規は日本新聞社に入社。俳句の革新運動に本格的に取り組み始めたころで、俳句に関する本を書いたり、新聞「日本」に俳句の欄を設けたり、精力的に活動していました。
子規の晩年の句には、病を説く、死と向き合う句が多くなりますが、若かりし頃の句にはいまだそういった陰はありません。
この句は、子規全集二十一巻に収められていますが、そこには「傾城賛」と添えられています。
(※「傾城」とは遊女のこと、「賛」とは絵に添えられる言葉のこと)
遊女の移り気なこと、男女の仲のあてにならないことを、遊女を描いた絵に添える言葉として一句考えた俳句ということでしょうか?
実感を込めて実景を詠み込んだ句というより、人の世、男女の中とはこういったものといった冷めた句であることが予想されます。
「紫陽花や昨日の誠今日の嘘」の表現技法
こちらの句で用いられている表現技法は・・・
- 「紫陽花や」での初句切れ
- 「昨日の誠今日の嘘」の対句法
- 「今日の嘘」の体言止め
になります。
①「紫陽花や」での初句切れ
俳句には、感動の中心を表す言葉として切れ字と呼ばれるものがあります。
代表的な切れ字には「かな」「や」「けり」の三つがあり、「~だなあ」というくらいの意味になります。
この句では、「紫陽花や」に「や」という切れ字が使われています。作者は紫陽花の花に感興をもよおしてこの句を詠んだのです。
また、切れ字のあるところや、普通の文でいえば句点「。」がつく意味の上で切れる箇所のことを「句切れ」と呼びます。この句は「紫陽花や」の初句(上5)で切れるので「初句切れ」の句となります。
「紫陽花や」とは、「紫陽花が美しく咲いていることよ」といったような感動も込められていますし、俳句らしい切れのあるリズムも生まれています。
②「昨日の誠今日の嘘」の対句法
対句法とは、二つの対立するもの、または類似するものを構成やリズム対応させながら、対(セット)にしてにして並べる表現技法のことです。
対にするもの同士の対立・相違するところ、または共通するところを比べることで、それぞれの持つ特性をより一層際立たせて印象付けることができ、また、読んでいくうえでのリズム感も作り出してくれます。
この句では「昨日の誠今日の嘘」が対句になっています、つまり「昨日」と「今日」、「嘘」と「誠」がそれぞれ対応しています。
「昨日は本当だといったことが今日は嘘になってしまう」といったくらいの意味ですが、テンポよく言葉が流れ、リズムも生まれ、この句のおもしろみを作り出しています。
③「今日の嘘」の体言止め
体言止めとは文の終わりを名詞や体言で止め、余韻を残したり、印象を強める技法のことです。
この句は「嘘」という名詞で終わっていますので、体言止めが用いられています。
「紫陽花や昨日の誠今日の嘘」の鑑賞文
【紫陽花や昨日の誠今日の嘘】の句は、紫陽花の花の見事さに感動しながら、花の色が変化するという紫陽花の特徴を生かして詠んだ句です。
「や」を用いた初句切れ、対句から生まれるリズムが耳に心地よいテンポの良い一句です。
「昨日の誠今日の嘘」というのは、「昨日は本当だといったことが、今日には嘘になってしまう」ということですが、紫陽花の花の色の変化によそえて、人の心の移ろいやすさを詠んだものです。
正岡子規は、紫陽花の花の色が変わる特性を詠み込んだ俳句を他にも詠んでいます。
紫陽花や 赤に化けたる 雨上り
(意味:紫陽花が美しく咲いている。雨が上がったら、青かった花が赤く変化しているよ。)
紫陽花の 何に変るぞ 色の順
(意味:紫陽花は今度はどんな色に変わるのだろうか。順々に色を変化させている。)
どちらも紫陽花の色変わりをおもしろがって詠んだ句です。「化けたる」などの言葉選びに、諧謔味を感じます。
作者「正岡子規」の生涯を簡単にご紹介!
(正岡子規 出典:Wikipedia)
正岡子規、本名は常規(つねのり)と言います。
1867年(慶応3年)現在の愛媛県松山市にあたる旧松山藩士の家の子として生まれました。30代の半ばで病に倒れ、若くして亡くなった俳人であり、歌人であり、研究者でした。
松尾芭蕉や与謝蕪村を尊敬して江戸の俳諧、俳書を研究し、新たな俳句を生み出そうという運動をしました。
子規、という雅号は、のどから血を流して鳴き続けるというホトトギスという鳥の別名です。
若くして結核菌におかされ、時に喀血に襲われつつも活動を続ける自分をホトトギスに重ねて名乗った雅号です。
明治35年(1902年)34歳にて子規は短すぎる生涯を閉じました。
正岡子規のそのほかの俳句
(子規が晩年の1900年に描いた自画像 出典:Wikipedia)
- 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
- をとゝひのへちまの水も取らざりき
- 赤とんぼ 筑波に雲も なかりけり
- 夏嵐机上の白紙飛び尽す
- 牡丹画いて絵の具は皿に残りけり
- 山吹も菜の花も咲く小庭哉
- 毎年よ彼岸の入りに寒いのは
- 雪残る頂ひとつ国境
- いくたびも雪の深さを尋ねけり
- 鶏頭の十四五本もありぬべし