【よし分かった君はつくつく法師である】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞・作者など徹底解説!!

 

俳人達が詠んだ俳句のなかには、何気ない風景が詠まれた作品も数多く残されています。

 

特に、現代俳句は平易な表現で作られた句が多く、俳句に慣れ親しんでいない方でもより身近な作品に感じられます。

 

今回は現代の俳人を代表する人物のひとり、池田澄子が詠んだ「よし分かった君はつくつく法師である」という句をご紹介します。

 

 

本記事では、「よし分かった君はつくつく法師である」の季語や意味・表現技法・作者などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。

 

「よし分かった君はつくつく法師である」の俳句の季語・意味・詠まれた背景

 

よし分かった君はつくつく法師である

(読み方 : よしわかった きみはつくづく ぼうしである)

 

この俳句の作者は「池田澄子(いけだすみこ)」です。

 

池田澄子は身近な生や戦争をテーマにして、独特の観点から口語体で数多くの俳句を創作している、現代を代表する俳人のひとりです。

 

澄子の作品の特徴は親しみやすい題材をテーマとしていて、表現そのものも平易であることです。そのため、若い方達の間でも人気があり、教科書の教材にも作品が取り上げられています。

 

季語

原則として、俳句は季節を表現する季語を入れて句をつくることになっています。

 

この句の場合には「つくつく法師」が季語に該当します。「つくつく法師」とは、「ツクツクオーシ」と独特の鳴き声で鳴くセミ科に属する昆虫です。

 

セミと聞くと夏の生き物のように感じられますが、「つくつく法師」は晩夏から初秋にかけて鳴く生き物ですので、「秋の季語」に分類されます。

 

同じく「おしいつく」「寒蝉」「くつくつ法師」といった「つくつく法師」を示す語句については、「秋」を表現する季語として扱われます。

 

意味

 

この句を現代語訳すると・・・

 

「よく分かったよ。君がつくつく法師であることを」

 

といった意味になります。

 

作品を詠んだままストレートに現代語に訳せますので、俳句にあまり慣れ親しんでいない方でも、容易に風景を思い浮かべやすいでしょう。

 

つくつく法師がうるさく鳴いていて、作者がうんざりしている様子がわかります。あなたがつくつく法師であることは十分に分かっているから、そろそろ鳴くのをやめてほしいという思いがこめられている一句です。

 

私たちの日常生活のなかでも、虫や生き物の鳴き声がうるさく感じられてうんざりすることがあります。

 

このような生活のなかで馴染みのある題材ですと、俳句の勉強をはじめたばかりのみなさんであっても、作者の心情を容易に読み取れます。

 

この句が詠まれた背景

この句は「池田澄子現代文庫29」に記載されていますが、句作された年月日については不明です。

 

池田澄子は1936年(昭和11年)、第二次世界大戦の真っ只中に生まれており、戦後復興を経験している人物です。そのため、「生命」や「戦争」をテーマにした題材の作品が数多く見受けられます。

 

しかし、池田澄子が俳句に目覚めた時期は俳人としては遅い38歳の時ですから、戦争が終わり日本が高度経済期に突入している時代です。

 

つまり、「よし分かった君はつくつく法師である」が詠まれた頃はすでに戦争が終結していて、世の中が平和に向けて歩み出している時代です。

 

つくつく法師の鳴き声がうるさく思われるほど、世の中が平和であるとも感じ取れます。

 

「よし分かった君はつくつく法師である」の表現技法

字余り

俳句は五七五の17音から構成されていますが、この定型に当てはまらない作品も存在するものです。

 

この句は【上句6音・中句5音・下句6音の19音】で成り立っているため、上句と下句が「字余り」になっています。

 

字余りの俳句には独特のリズムがあるため、多くの方の印象に残りやすい作品に仕上がります。

 

句またがり 

句またがりとは、文節の切れ目を575の基本のリズムで切るのではなく、文節の意味が成立するところで区切ることを言います。

 

この作品では、中句の「つくつく」と下句「法師」が句またがりになっており、「つくつ法師」という言葉が形成されています。

 

本来であれば、上句・中句・下句で音が途切れて文と文に切れ目が生じます。しかし、句またがりには前の句と次の句をつなぐ役割があるため、俳句に独特のリズムが生まれています。

 

この句またがり特有のリズムを「破調」と言います。

 

「よし分かった君はつくつく法師である」の鑑賞文

 

夏も盛りを終えて、朝晩は秋の気配が感じられる季節に、つくつく法師が大きな鳴き声で鳴いています。

 

作者は「つくつく法師よ早く鳴き止んでおくれよ」と、つくつく法師が鳴き止むことを待っているのでしょう。

 

しかし、つくつく法師はそのような作者の思いを知るはずもなく、いつまでもいつまでも鳴き続けているのです。

 

作者はうんざりする思いで「あなたがつくつく法師であることはよく分かった。だからその鳴き声をどうか止めてください」という思いを込めて、この句を詠んでいます。

 

作者「池田澄子」の生涯を簡単にご紹介!

 

この句の作者である池田澄子は、1936年(昭和11年)に神奈川県鎌倉市に生まれました。

 

澄子の幼少期はまだ第二次世界大戦のさなかであったため、父の出生を機会に、父の郷里である新潟県村上市に疎開しています。

 

澄子が俳句に目覚めたのは38歳と俳諧人のなかでは、遅咲きの俳人でした。

 

たまたま目にした俳人「阿部完一」の作品に心を惹かれて、1975年に俳句結社「群島」に入会することを決意します。

 

当時のことを澄子は、「このような作品も俳句であるのか」と衝撃を受けたとコメントしており、新しい作風を求めて句作に励んだそうです。

 

恩師である三橋敏夫からも、「これまでにない新しい俳句を作句するように」と指導を受けたと言われています。

 

三橋敏夫の存在は澄子に大きな影響を与えており、「イケスミ調」と呼ばれる独特の表現が誕生しました。

 

近年では、2021年に第72回読売文学賞詩歌俳句賞、第21回現代俳句大賞、第20回俳句四季を受賞しています。

 

なにげない日常生活のワンシーンを詠んだ作品が多く、平易な表現で分かりやすいことから、若い世代の方達からも注目されている俳人のひとりです。

 

86歳を過ぎた今なおも俳句人生を歩んでおり、今後の作品にも期待が寄せられています。

 

池田澄子のそのほかの俳句

 

  • じゃんけんで負けて蛍に生まれたの
  • 気がゆるむたびの出目金魚ごこち哉
  • 八月来る私史に正史の交わりし
  • 立秋暑し昭和史写真集モノクローム
  • こっちこっちと月と冥土が後退る
  • きぬかつぎ嘆いたあとのよい気持
  • 永き夜の可もなく不可もなく可なり
  • 冷えてきて立ちぬ灯して坐りけり
  • 風邪気味のたのしいのんべんだらりかな
  • 初明り地球に人も寝て起きて
  • 暖房や延期をすると老けてしまう
  • 春浅しどちら傷つく岩と波
  • 嗚呼と言うたびに舌古る桜散る
  • 使い減りして可愛いいのち養花天
  • 俳句思えば徐々に豪雨の吊忍