
日本で生まれた俳句は「世界で最も短い定型詩」とも呼ばれ、大勢の方に親しまれています。
その魅力は海外へ広がり、今では英語で詠まれた句もあるほどです。
そんな数ある句の中でも「鶏頭の十四五本もありぬべし」という句は素朴ながらも、選び抜かれた言葉で詠まれており、明治期の代表的な句の一つでもあります。
秋ですね。いつぞやの鶏頭。鶏頭といえばこの句。
鶏頭の十四五本もありぬべし 正岡子規 pic.twitter.com/ppC7o6eVqu
— 笠原小百合 (@sayuspi_keiba) September 19, 2019
そして「この句の深い背景をもっと知りたい!」と思われている方もいらっしゃるかと思います。
そこで今回は、「鶏頭の十四五本もありぬべし」の季語や意味・表現技法・作者などについて徹底解説していきます。

ぜひ参考にしてみてください。
目次
「鶏頭の十四五本もありぬべし」の季語や意味・詠まれた背景

鶏頭の 十四五本も ありぬべし
(読み方:けいとうの じゅうしごほんも ありぬべし)
この句の作者は「正岡子規(まさおかしき)」です。

(正岡子規 出典:Wikipedia)
正岡子規は、江戸時代から親しまれていた俳諧を俳句という近代文学の一ジャンルとして確立していった立役者にして、明治期に活躍した俳人です。

こちらの句は、32歳のときに自宅で行われた句会で詠まれた句になります。
季語
こちらの句の季語は「鶏頭」、秋の季語になります。
鶏頭は、ニワトリのトサカに似ている花で、炎のような鮮やかな赤色をつける目立つ花のことです。
暑さに強い花で7~11月にかけて開花しますが、寒くなると枯れてしまいます。
植物のなかでは開花している時期が長いため、夏から秋にかけて花壇を彩るのに人気の花でもあります。

冬には枯れてしまいますが、花からこぼれた種で翌年も咲くことも多く、育てやすい花としても知られています。
意味
こちらの句を現代語訳するならば・・・
「鶏頭が十四、五本くらいあるに違いないだろう。」
という意味になります。
鶏頭は子規の自宅の庭に咲いており、親交のあった書家の中村不折が贈ったものだったと言われています。

(中村不折 出典:Wikipedia)
この句が詠まれた背景
この句を詠んだ時、子規は脊椎カリエスを患い、激痛を伴う寝たきりの生活を送っていました。
子規は鶏頭が庭に咲いていることを知っていますが、自分の力で近づき観察できない状態にまで衰弱していました。
32歳となった子規は亡くなるまで残り2年と弱りきっていましたが、、自宅で行われた句会でこの句を詠みました。

前年に生き生きと咲いていた鶏頭の花を思い出しながら、今年も花がいくつか見えるので「きっと十四、五本くらいあるに違いないだろう」と書きつけました。
「鶏頭の十四五本もありぬべし」の表現技法

「ありぬべし」の強意+推量の技法
この句の中で特筆すべきところは「ありぬべし」の部分です。
「ぬ」は強意の助動詞、「べし」は推量の助動詞ですので、「あるだろうな」または「きっとあるに違いない」と憶測しています。
子規の基本的な作風は見たものを記す写実ですが、この句はそうではありません。
病床に伏しながら詠む様子が憶測で書かれて部分から伝わってきます。
また、鶏頭というピンと立つ鮮やかな花を詠むことで、生きることへの思いが強調されています。
「鶏頭の十四五本もありぬべし」の鑑賞文

子規の晩年は病と共に過ごしたと言っても過言ではありません。
最晩年に詠まれたこの句は生きることへの執着や、長い闘病生活を過ごした万感の思いが伝わってきます。病の中にいる子規だからこそ詠める句ではないでしょうか?
自身に迫りくる死について考えながら、「目の前で咲き誇る鮮やかな赤い花は来年も咲いているだろうか…」子規はそう考えたかもしれません。
「きっとあるに違いない」という表現方法は「今あるに違いない」とも言えますが、「来年もあるに違いない」とも言えます。
衰弱していく子規にとって、来年は確実にあると断言はできません。
子規は死んでいくことと今生きていることを感じながら日々を過ごしていました。

それを考えると、鶏頭が天を目指して咲いている風景は生の躍動感を際立たせ、子規の「今を生きている」様を映しているようです。
鶏頭について詠んだ有名俳句【5選】

鶏頭の花は江戸時代の頃からよく詠まれている季語です。

ここでは、江戸時代以降の鶏頭の俳句を5句紹介していきます。
【No.1】松尾芭蕉
「鶏頭や 雁の来る時 尚あかし」
季語:鶏頭(秋)
意味:鶏頭の花が咲いているなぁ。雁が渡ってくる時はなお赤く色づいている。

鶏頭は別名として「雁来紅(がんらいこう)」とも呼ばれており、雁が渡ってくる時により一層色づくことが知られています。芭蕉のこの句でもその別名を元に詠まれており、江戸時代から知られていたことが分かる一句です。
【No.2】服部嵐雪
「味噌で煮て 喰ふとは知らじ 鶏頭花」
季語:鶏頭花(秋)
意味:味噌で煮て食べられるとは知らなかった鶏頭の花よ。

鶏頭の花はアフリカや東南アジアでは食用として育てられていました。この句では驚いている様子が描写されているので、江戸時代の日本では鶏頭の花は食べなかったこと、たまたま味噌煮として食べた驚きなど当時の習俗がわかるめずらしい俳句です。
【No.3】前田普羅
「人の如く 鶏頭立てり 二三本」
季語:鶏頭(秋)
意味:人のように2、3本の鶏頭が立っている

鶏頭はまっすぐ立つように育ちます。その様子がまるで人間のようだと面白がっている様子を詠んだ句です。「二三本」という群生ではない様子が余計に人間がちらほらと立っているように感じたのでしょう。
【No.4】松本たかし
「鶏頭に 飛び来る雨の 迅さ(はやさ)かな」
季語:鶏頭(秋)
意味:鶏頭の花に飛んでくる雨の速さだなぁ。

鶏頭の花は5月から10月と長い間咲くことで知られています。この句の雨がいつ頃の雨かはわかりませんが、「迅さ」と称されていることから夕立や台風を連想します。台風ならば季節も鶏頭の季語の秋に合うので、暴風雨に負けない鶏頭の花を見たのかもしれませんね。
【No.5】高田正子
「鶏頭を 支ふる茎の あをかりき」
季語:鶏頭(秋)
意味:鶏頭の花を支える茎がとても青く見える。

鶏頭は真っ赤な花を咲かせることで知られています。その真っ赤な花と比べると、花を支えている茎はとても青く見える、という写真のような写実的な一句です。花の赤と茎の青で色彩の対比にもなっています。
作者「正岡子規」の生涯を簡単にご紹介!

(正岡子規 出典:Wikipedia)
正岡子規(1867年~1902年)。本名は正岡常規(つねのり)。愛媛県出身で、野球好きとしても知られています。
21歳のときに結核を患ってからは34歳で亡くなるまで病と闘いました。
28歳で脊椎カリエスを発症し、亡くなるまでの3年間は寝たきりに近い生活を送っていました。
その状況下でも、亡くなる数時間前まで句を詠み、生涯で詠んだ数は20万句と言われています。
子規の名は結核により喀血した(血を吐いた)ことに由来しています。

「子規」とはホトトギスの漢字表記。「血を吐くまで鳴く」とされるホトトギスに自分を重ね、ペンネームにしたと言われています。
正岡子規のそのほかの俳句
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(子規が晩年の1900年に描いた自画像 出典:Wikipedia)
- 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
- 紫陽花や昨日の誠今日の嘘
- をとゝひのへちまの水も取らざりき
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- 鶏頭の十四五本もありぬべし






