俳句は十七音という短い音で四季を表す季語を詠み込む世界でも短い詩の1つです。
5・7・5とテンポのよい韻律も求められるため、作者のセンスが問われる詩でもあります。
今回は、松尾芭蕉の『奥の細道』の旅に随伴したことで有名な「河合曾良(かわい そら)」が詠んだ名句を20句ご紹介します。
<壱岐偉人伝>
松尾芭蕉の弟子、蕉門十哲と呼ばれた俳人「河合曾良」の墓が壱岐にあります。
「春にわれ 乞食やめても 筑紫かな」#壱岐 #河合曾良 #松尾芭蕉#文学#ロマン pic.twitter.com/t5n5ur9s3u— 壱岐活きproject!!! (@ikiikiproject) April 4, 2017
河合曾良の人物像や作風
(河合曾良 出典:Wikipedia)
河合曾良は1649年に信濃国の下桑原村、現在の長野県諏訪市に生まれました。
12歳で親戚を頼り伊勢国へと移住し、18歳の時に長島藩主へ出仕したことが記録に残っています。その後、神道家として有名な吉川惟足に神道を学び、後に松尾芭蕉の旅に貢献することになる地誌や神道への理解を深めていきました。
芭蕉一門の中では古参で、1685年頃にはすでに弟子入りしていたものと考えられます。芭蕉の旅に随伴することが多く、1687年の『鹿島紀行』、1689年の『奥の細道』の旅の伴として選ばれているのが特徴です。また、『曾良旅日記』という奥の細道の道中の旅日記が残されていて、後の芭蕉研究に大いに役立っています。
芭蕉没後は門派を分けることなく暮らしていましたが、1709年に幕府の巡見使随員となって九州を巡っています。1710年に壱岐国可須村、現在の長崎県壱岐市勝本浦で病死したと伝えられています。
(芭蕉"左"と曾良"右" 出典:Wikipedia)
河合曾良の有名俳句・代表作【20選】
【NO.1】
『 病僧の 庭はく梅の さかり哉 』
季語:梅(春)
意味:病に伏せていた僧が掃いている庭では、梅の花が盛りをむかえていることだ。
病と梅の花のさかりを対比させている句です。春が近づいて体調の良くなってきた僧侶が、リハビリのように体を動かしている様子を詠んでいます。
【NO.2】
『 箱鳥や 明はなれ行く 二子山 』
季語:箱鳥(春)
意味:箱鳥が飛んでいるなぁ。二子山は夜がすっかり明けている。
「箱鳥」とは顔鳥の別称ですが、顔鳥がどんな鳥を指しているのかはわかっていません。一説によるとカッコウのことだとも言われています。
【NO.3】
『 春に我 乞食やめても つくしかな 』
季語:春(春)
意味:春に私は土筆を取って生活するような乞食をやめて筑紫に行くことができる。
「つくし」に「土筆」と「筑紫」が掛かっています。この句が詠まれたのは作者が幕府の仕事で筑紫国に赴くことが決まったときで、それまで貧しい暮らしをしていたためこのような句が生まれています。
【NO.4】
『 春の夜は たれか初瀬の 堂籠(どうごもり) 』
季語:春の夜(春)
意味:春の夜に誰かが初瀬の長谷寺に籠っている。
「初瀬」とは奈良県桜井市にある地名で、西国三十三番の長谷寺があることで有名です。『枕草子』や『源氏物語』にも登場するため、初瀬という地名だけで通じるようになっています。
【NO.5】
『 大峯や よしのの奥の 花の果 』
季語:花(春)
意味:大峯山の麓を歩いてきたなぁ。桜で有名な吉野の山の桜ももう山奥にしか咲いていない。初夏が近づいて桜の花は果てまできてしまった。
吉野は桜の名所ですが、場所によって開花時期が変わってきます。一番奥地では2週間ほど遅くなるため、奥地にいけばまだ桜は咲いていますが、近づく初夏を「花の果て」という表現で表しているのが面白い句です。
【NO.6】
『 湯殿山 銭ふむ道の 泪(なみだ)かな 』
季語:湯殿(夏)
意味:本殿のない湯殿山を祀る神社には多くのお賽銭が落ちている。そんな道を、お賽銭を踏みながら歩くとありがたさに涙が出てくることだ。
「湯殿山」は山形県にある出羽三山の1つで、山岳修行の山です。神社の本殿がないため、人々は思い思いの場所にお賽銭を捧げていたのでしょう。
【NO.7】
『 卯の花を かざしに関の 晴着かな 』
季語:卯の花(夏)
意味:卯の花を髪飾りにして関所跡を通る晴れ着にしよう。
【NO.8】
『 剃り捨てて 黒髪山に 衣更 』
季語:衣更(夏)
意味:旅を始める前に黒髪を剃り捨てて、黒髪山の麓で衣替えの日をむかえたことだ。
「黒髪山」とは日光の「男体山」のことで、和歌ではしばしば「黒髪山」と呼ばれます。この句は『奥の細道』の出発前に詠まれた旅への決意の句で、作者は僧形となって芭蕉の旅に随行しました。
【NO.9】
『 卯の花や 兼房見ゆる 白毛かな 』
季語:卯の花(夏)
意味:白い卯の花だなぁ。白髪を振り乱して戦ったという増尾兼房を思い起こさせるような白毛であることだ。
「増尾兼房」とは義経伝説に登場する武将で、老齢ながら最期まで義経に従い戦ったと言われています。卯の花の白と、この時訪れていた義経最期の地である平泉を合わせて、老武将の姿を偲んでいる句です。
【NO.10】
『 波こえぬ 契ありてや みさごの巣 』
季語:みさごの巣(夏)
意味:波がこえないという約束があるかのような絶壁に位置しているなぁ、このミサゴの巣は。
この句は百人一首にも収録されている「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは」という歌が下地になっています。末の松山のように、決して波がこえないとわかっているからあんなところに巣を作るのだろうか、という感嘆が見て取れます。
【NO.11】
『 行き行きて 倒れ伏すとも 萩の原 』
季語:萩(秋)
意味:行けるところまで旅をして、倒れ伏しても萩の咲く野原であれば本望だ。
作者は『奥の細道』の旅に同行していましたが、体調を崩したことにより芭蕉と別れることになります。この句はその時に詠まれた句で、例え体調を崩して倒れたとしてもそこが萩の花の咲く野原であれば良いという覚悟を示した一句です。
【NO.12】
『 かさねとは 八重撫子の 名なるべし 』
季語:撫子(秋)
意味:かさねという名前は、八重撫子の名前に違いない。
この句は『奥の細道』の旅の途中で、道案内として馬を貸してくれた家の子供たちの1人の名前を聞いて作者が詠んだ句です。「かさね」という名前から、八重咲きに花びらが重なる八重撫子の姿を連想したのでしょう。
【NO.13】
『 三日月や 影ほのかなる 抜菜汁 』
季語:三日月(秋)
意味:三日月が出ているなぁ。月の光はほのかで、抜菜汁を食べながら見よう。
【NO.14】
『 終宵(よもすがら) 秋風聞や うらの山 』
季語:秋風(秋)
意味:一晩中強い秋の風が裏山に吹くのを聞いていたことだ。
体調を崩して『奥の細道』の旅から離脱した作者が詠んだ句です。1日違いで芭蕉も同じ寺に宿泊していますが、お互い一人旅となったことでより一層寂しさが増しています。
【NO.15】
『 くるしさも 茶にはかつへぬ 盆の旅 』
季語:盆(秋)
意味:山道を歩く苦しい巡礼の旅でも、巡礼者をもてなす人達のおかげでお茶には困らない盂蘭盆会の旅であることだ。
この句は熊野詣での際に詠まれています。盂蘭盆会の時期は巡礼者をもてなすサービスがあったようで、山道でも喉が渇くことはなかったと当時の様子がよく描写されている句です。
【NO.16】
『 畳(たたみ)めは 我が手のあとぞ 紙衾 』
季語:紙衾(冬)
意味:その畳みめは私がたたんだ手のあとだよ、師である芭蕉の身につけていた紙衾は。
「紙衾」とは紙でできた防寒具のことで、ここでは『奥の細道』で芭蕉が使っていたものになります。その紙衾をもらった同門の友人へ、からかいも含んで投げかけた句です。
【NO.17】
『 一つ戸や 雀はたらく 冬がまへ 』
季語:冬がまへ(冬)
意味:ただ一つの我が家の扉よ。雀が働いているように動いている冬支度だ。
「冬がまへ」とは風よけや雪よけを家の周囲に施して冬に備えることです。雀がせっせと玄関前で動いている様子を、まるで冬構えを施しているようだと見守っています。
【NO.18】
『 むつかしき 拍子も見えず 里神楽 』
季語:里神楽(冬)
意味:難しい拍子も見えない里の神楽だ。
作者は有名な神道家に神道を習っており、神楽などの習俗に関してはよく知っていました。里の神楽は複雑な表紙もなく、単純かつシンプルだからこそ力強いと鑑賞している一句です。
【NO.19】
『 侘しさや 大晦日の 油売り 』
季語:大晦日(暮)
意味:侘しいことだ。大晦日になっても油売りがやってくる。
大晦日という年の瀬でも働いている油売りを見ての一句です。当時の灯りは油が燃料だったため、年末年始でも油は必ず必要になる物資でした。
【NO.20】
『 元日や こがねの鞍に 馬白し 』
季語:元日(新年)
意味:元日だなぁ。黄金の鞍に馬の毛の色が白く映えている。
元日に飾られた白い馬なので、神社に奉納された神馬を見たと思われる句です。新年から縁起の良いものを見られた喜びが伝わってきます。
以上、河合曾良が詠んだ有名俳句でした!
地誌や神道に詳しく、芭蕉の旅に随伴することも多かったため、その土地の出来事を詠んだ俳句が多い印象です。松尾芭蕉は多くの弟子を抱えていましたが、それぞれが違った作風を持っているため、読み比べてみてはいかがでしょうか。