【チチポポと鼓打たうよ花月夜】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞・作者など徹底解説!!

 

俳句は十七音を活かすために、様々な工夫を凝らします。

 

言葉の選定や独特な表現を使うことで、読み手が想像を巡らせます。

 

なかでも「チチポポと鼓打たうよ花月夜」という句は伝統的な美しさが表現されている句として知られています。

 

 

作者はどのような背景でこの句を詠み、風景の美しさを表現したのでしょうか?

 

本記事では、「チチポポと鼓打たうよ花月夜」の季語や意味・表現技法・作者などについて徹底解説していきます。

 

「チチポポと鼓打たうよ花月夜」の季語や意味・詠まれた背景

 

チチポポと 鼓打たうよ 花月夜

(読み方:ちちぽぽと つづみうとうよ はなづきよ)

 

この句の作者は「松本たかし」です。

 

松本氏は、大正から昭和にかけて活躍した写生を得意とする俳人です。

(※写生…実物・実景を見てありのままに写し取ること)

 

季語

この句の季語は「花月夜(はなづきよ)」で、季節は「春」を表します。

 

花月夜とは、桜の季節に見られる満月の夜のことです。

 

風景としては、少し霞かかった空に満月が浮かんでおり、月の明かりで桜の様子が見える柔らかいイメージです。一言で月と花が美しい様子を示せる言葉として俳句で使用されます。

 

意味

この句を現代語訳すると・・・

 

「美しい花月夜の夜に、鼓(つづみ)をチチポポと打って楽しく過ごそうよ」

 

という意味になります。

 

(つづみ)は、日本特有の伝統的な楽器のひとつで、もっとも狭義には「小鼓」を指します。

 

この句が詠まれた背景

この句は松本たかしが1938年に詠んだ句で、句集「鷹」に収録されています。

 

能役者の家に生まれた彼は幼少期から修行していましたが、病により能役者を断念しました。当時、彼は既に俳人として生活をしており、能を仕事で舞うことはありませんでした。

 

しかし、きっかけがあれば舞うことが生涯身についていました。

 

その一つが桜の時期で、この時期になると自宅の庭で鼓を打ち、舞って遊んでいたと言われています。

 

つまり、舞うという行為は気分が高まってきたことの現れでもあります。

 

「チチポポと鼓打たうよ花月夜」の表現技法

擬音語「チチポポ」

擬音語とは、物の音や声などをそれらしく言い表した言葉のことです。音を言葉にすることで、その時の様子が分かりやすくなる効果があります。

 

(※例えば「くすくす笑う」「どかんとはぜる」の「くすくす」や「どかんと」など)

 

今回の句は鼓の音である「チチポポ」が擬音語にあたります。

 

鼓の音は一般的に「ポンポン」と表現されますが、そうでないのは松本たかしが能役者であったことに関係しています。

 

鼓には音階があり「チ」「プ」「タ」「ポ」4種類があります。その音にリズムをつけることで音楽を奏でており、能役者はそれを知っています。

 

つまり、彼には鼓の音が「チチポポ」という音階に聞こえるということです。

 

そしてチチポポと詠むことで伝統的な風流さを表現しています。

 

体言止め

「体言止め」とは、文末を名詞で結ぶ表現技法です。

 

体言止めを使用することにより、文章全体のインパクトが強まり、作者が何を伝えたいのかをイメージしやすくなります。

 

今回の句では「花月夜」という名詞で終わっています。

 

美しい月と桜が見られる夜であったことが強調され、読み手が風景を考えるようになります。

 

「チチポポと鼓打たうよ花月夜」の鑑賞

 

【チチポポと鼓打たうよ花月夜】は、春の夜を気品ある表現で描いた作品です。

 

松本たかしは能役者を病により断念する悲しい過去を持っています。しかし、花月夜には皆に舞って見せたり、鼓を打つなど風流さが生活の中に残っていました。

 

彼の舞や鼓を知っている人たちは「芝居の舞台を見ているようだ」と表現するほどきれいであったと語っています。

 

花月夜だけでも美しいですが、彼の舞や鼓の音が加わることで美しさが完璧に近づきます。それほど、彼が見た月と桜は見ごたえがあるものであったことが分かります。

 

さらに、独特の表現である「チチポポ」が格調を高め、気品ある作品に仕立てています。

 

能役者を断念しても、美しいときには舞いたくなる生粋の風流人であることが表れています。

 

作者「松本たかし」の生涯を簡単にご紹介!

 

松本たかし(1906年~1956年)本名は松本孝。東京都出身の俳人です。

 

江戸幕府に仕えていた宝生流能役者の家に生まれ、5歳から能の修行を始めました。しかし14歳の時に病を患い、20歳で能の道を断念します。

 

この病の間に俳句に興味を持ち、俳誌「ホトトギス」へ投句を始め、高浜虚子に師事します。

 

それ以降は俳人として生計を立てながら、終戦後も句集や小説を発表していました。

 

作風は写生を重視しながら、能で培った優美さを兼ね備えた格調高い句が多いです。

 

 

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