【冬の水一枝の影も欺かず】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!

 

自然美を見て沸き起こる感興や日常生活の中でのふとした心の動きから、人生を深く洞察する句まで、俳句はさまざまな世界を見せてくれます。

 

その奥の深さに多くの人が魅了されていますが、俳句は五・七・五のたった十七音でできている詩なのです。この短い音数で表せる内容の広さには驚くばかりです。

 

日本にはたくさんの俳人がいますが、名人の詠んだ句というのはどれも味わい深く、知って損のないものです。

 

今回は数ある名句の中から、人間追求派の俳人と言われた中村草田男の「冬の水一枝の影も欺かず」という句を紹介していきます。

 

 

本記事では、「冬の水一枝の影も欺かず」の季語や意味・表現技法・作者について徹底解説していきます。

 

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ぜひ参考にしてみてください。

 

「冬の水一枝の影も欺かず」の作者や季語・意味・詠まれた背景

 

冬の水 一枝の影も 欺かず

(読み方:ふゆのみず いっしのかげも あざむかず)

 

この句の作者は、「中村草田男(なかむら くさたお)です。

 

(画像:中村草田男)

 

中国・アモイ生まれの俳人であり、本名は清一郎です。

 

高浜虚子に師事し、客観写生を学びつつ、西洋思想の影響を受けた人間性や生活に根ざした作風を追求し、「人間探究派」と称されました。

 

 

季語

この句の季語は「冬の水」、季節はもちろんです。

 

冬の水は文字通り気温とともに水温も下がり、しんと冷えて生き物の気配も少ない川や池の水のことを指します。

 

意味

こちらの句を現代語訳すると・・・

 

「冬の水をたたえる水面が、鏡のように木々を映しているが、枝の一本さえもごまかしなく正確に映しとっていることだ。」

 

という意味になります。

 

「影」とは、鏡のような水面に映った枝の姿のこと。この句に出てくる「枝」は一本だけではありません。

 

「一枝の影も欺かず」は、「たくさんある枝のなかで、たった一本の枝にいたるまでごまかしがない」という意味になります。

 

この句が生まれた背景

この句は、中村草田男の第一句集「長子」に収録されています。

 

昭和8年(1933年)俳句雑誌「ホトトギス」の武蔵野探勝会で、中村草田男が高浜虚子らと立川市に吟行した時に、普済寺という寺で詠まれたものです。

 

草田男の詠んだこの句は、巨匠・高浜虚子を唸らせたともいわれます。

 

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立川公園にはこの句の碑もあります。

 

「冬の水一枝の影も欺かず」の表現技法

初句切れ

句切れとは、意味やリズムの切れ目のことです。

 

句切れは「や」「かな」「けり」などの切れ字や言い切りの表現が含まれる句で、どこになるかが決まります。

 

この句の場合、初句(五・七・五の最初の五)に、「冬の水」の名詞で区切ることができるため、初句切れの句となります。

 

擬人法

擬人法とは、人ではないものを人や人の動きにたとえて表現する技法のことです。

 

この句では、「欺かず」(ごまかすことがない)という述語に当たる動詞がありますが、この言葉の主語に当たる言葉は「冬の水」です。

 

つまり、「冬の水は、ごまかすことがない」ということになります。

 

水に対してごまかさないと人間のすることのようなたとえを使って、印象を強めています。

 

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冬の水の冷たさ、厳しさが伝わってきます。

 

「冬の水一枝の影も欺かず」の鑑賞文

 

【冬の水一枝の影も欺かず】は、冬の川で見つけた光景を写実的に詠みこんだ句です。

 

この句には、寒い・冷たい・凍てつくようなといった寒さ、冷たさを表す言葉はありません。

 

しかし、水の冷たさは読み手にしっかり強く伝わってきます。

 

鏡のように正確に枝を映す水面を「欺かず」(ごまかすことがない)と擬人法で言い切っているところにも、ピンと張りつめたような緊張があり、静かながらも強さや厳しさを感じます。

 

また、木立であるのか、大木であるのか、数多くの枝が伸びています。枝には、冬であることから葉はついていないのでしょう。

 

その枝の一本一本が、どれ一つごまかされることなく、枝先の細いところまで全部水面にくっきり映っているのです。

 

時に風が吹き、小波がたち、水面が乱れても、波が収まれば端然と厳然と枝の姿は水面に映し出されるのでしょう。

 

とても写生的な冬の光景を良く表した句です。

 

しかし、個人的には単なる写生という以上のものも感じます。もし、鏡のような冬の水をのぞき込めば、こちらのありのままの姿、隠された内面をも偽りなく見透かされてしまうような緊張感も感じます。

 

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亡者の行状を隠さず映し出すという閻魔の持つ浄玻璃の鏡のように、鏡というものは物事の本質を暴くものでもあるのですから…。俳句の持つ奥深さを感じさせてくれる句です。

 

「冬の水一枝の影も欺かず」の補足情報

複数の視点から詠まれている俳句

この句は冬の凪いだ水面に鏡のように枝がはっきりと映っていることを詠んでいます。

 

しかし、この句が「何処から見ているのか」という点について、物理学を専門とする作者の友人が考察を加えました。

 

それは、冬の水と作者の視点との関係についてのお話です。

 

この句の描写をそのまま受け取ると、作者の視点は水に映った枯れ枝と本物の枯れ枝を、横から眺めています。しかし、枝を写している水面を詳細に把握するには、真上から水面を見下ろす視点が必要だからです。

 

つまり作者は、「水面のそばにある枝」という一つの景色をいくつもの視点から同時に見ていることになります。

 

二つの視点を意識することで、横から見ただけではよくわからない細かな枝ぶりまでを描写できるのです。

 

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「欺かず」は擬人法の一種ですが、同時に普段の人間の視界からはよく見えない姿を水面はありのままを写して伝えているという意味なのだと作者の友人は物理的な視点で解釈しています。

 

冬の水を使ったほかの俳句

冬の澄んだ水面は俳句の題材としてよく採用されています。

 

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ここでは、「冬の水」に限定してほかにどのような俳句が詠まれているのかみていきましょう。

 

【No.1】高浜虚子

「冬の水 浮む虫さへ なかりけり」

季語:冬の水(冬)

意味:冬の水面には浮かぶ虫さえいないのだなぁ。

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春から秋までの池などの水面には、アメンボなどの虫が浮かんでいたり、水場に集まってきたりしているものです。しかし、冬の厳しい寒さの中で活動している虫は極端に少なく、ただ浮かんでいるだけの虫でさえいないのだと寒さを実感している一句です。

 

【No.2】高濱年尾

「うつる灯の しづかに深く 冬の水」

季語:冬の水(冬)

意味:冬の水に映る灯火が静かに、それでいて深く見えることだ。

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冬の澄んだ空気の中に見える灯火が、水面に静かに、それでいて深く映っているほうに見える様子を詠んだ一句です。「深く」という表現からは、水面深くまで照らし出すような灯火の明るさと、底まで見える水面の透明さを感じさせます。

 

【No.3】日野草城

「冬の水 晴れたり水皺(みじわ) にぎやかに」

季語:冬の水(冬)

意味:冬の静かな水面も、晴れた日はさざ波が起こって賑やかになる。

俳句仙人

これまでの句が冬の水の静けさを詠んだのに対し、こちらは晴れた日の賑やかさを詠んでいます。晴れた日に人々が集まっているのか、さざ波が起きて鏡のような水面では無くなっている様子を詠んだ句です。

 

作者「中村草田男」の生涯を簡単にご紹介!

中村草田男、本名を中村清一郎は、明治34年年(1901)、清国福建省の生まれです。

 

 

外交官だった父は旧松山藩、愛媛県の出身でした。

 

ドイツの哲学者ニーチェの著書を愛読し、西洋思想に興味をもって一度は東京大学文学部ドイツ文学科に入学。短歌や俳句に触れて句作に目覚め、高浜虚子や水原秋桜子に師事して、国文科に転科して卒業します。

 

昭和9年(1934年)には近代俳句の父正岡子規や、その高弟高浜虚子らが創刊に携わった俳句雑誌「ホトトギス」同人となります。

 

中村草田男は、自己の追求と俳句への追求を重ね合わせ、自らの内面を生活に密着した句で表現しようとした人間探求派の俳人と言われました。

 

昭和21年(1946年)には、俳句雑誌「萬緑」(ばんりょく)を創刊、主宰をつとめました。

 

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昭和58年(1983年)に82歳で肺炎によって亡くなりました。

 

中村草田男のそのほかの俳句