【はまなすや今も沖には未来あり】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!

 

「俳句」は五・七・五の十七音で、自然の雄大さも繊細さも、人間のこころの複雑な機微も情感豊かに歌い上げます。

 

研ぎ澄まされた感覚で、選び抜かれた言葉を使って表現された句は、芸術作品として高く評価されています。

 

今回は数ある名句の中から、人間追求派の俳人と言われた中村草田男の「はまなすや今も沖には未来あり」という句を紹介していきます。

 

 

本記事では、「はまなすや今も沖には未来あり」の季語や意味・表現技法・作者などについて徹底解説していきます。

 

俳句仙人

ぜひ参考にしてみてください。

 

「はまなすや今も沖には未来あり」の作者や季語・意味

 

はまなすや 今も沖には 未来あり

(読み方:はまなすや いまもおきには みらいあり)

 

この句の作者は、「中村草田男(なかむら くさたお)です。

 

(中村草田男)

 

中国・アモイ生まれの俳人であり、本名は清一郎です。

 

高浜虚子に師事し、客観写生を学びつつ、西洋思想の影響を受けた人間性や生活に根ざした作風を追求し、「人間探究派」と称されました。

 

 

季語

この句の季語は「はまなす」、季節は「夏」です。

 

草田男は「はまなす」を「玫瑰」と漢字で表記しています。

 

はまなすは、海岸付近に生える落葉低木のことで、赤紫色の花を夏に咲かせ、秋には赤い実がみのります。

 

はまなすは海辺に生える植物ですが、海辺とは植物にとってけしてよい環境ではありません。

 

俳句仙人

風も強く、海水には塩分もあります。そんな中ではまなすは砂地を這うように根を下ろし、実をつける、生命力の強い木なのです

 

意味

こちらの句を現代語訳すると・・・

 

「浜辺には、幼い日に見たのと同じはまなすの赤い花がさいている。幼い日に海の向こうに未来を夢見たが、今も同じように海の向こうに未来があるのだ。」

 

という意味になります。

 

この句が生まれた背景

この句は、中村草田男の第一句集「長子」所収の句です。

 

昭和8年(1933年)、草田男が33歳の時に詠んだ句になります。

 

草田男は、自然を写生するように観察しながら心理描写を投影していく表現を作り上げ、思想や観念をうたう現代俳句の道筋を作ったといわれています。

 

今回の句においても「はまなす・沖」という自然写生、その中に込められる作者の心理描写を上手く投影しており、草田男らしい句の特徴がにじみ出ています。

 

「はまなすや今も沖には未来あり」の表現技法

 

こちらの句で用いられている表現技法は・・・

 

  • 切れ字「や」(初句切れ)
  • 暗喩

 

になります。

 

切れ字「や」(初句切れ)

切れ字とは、句の中の感動の中心を表す言葉で、「かな」「や」「けり」などが代表的なものです。「~だなあ」というように訳されることが多いです。

 

この句では、「はまなすや」の「や」が切れ字に当たります。

 

浜辺に昔と変わらず咲くはまなすの姿が、作者にとって強い感動をもたらしたのだということがわかります。

 

また、この句は初句に切れ字がきているので、「初句切れ」の句となります。

 

暗喩

暗喩とは、比喩・たとえの表現のひとつです。

 

暗喩は「~のような」「~のごとし」などのような言葉を使わず、たとえるものを直接結びつけ、言い切るように表現する技法です。

 

暗喩に対して、「~のような」、「~のごとし」といった比喩であることが分かるような言葉を使ったたとえの表現は直喩といいます。

 

(※例を挙げると、「彼女の笑顔はひまわりの花のようだ。」という表現は直喩、「彼女の笑顔はひまわりの花だ。」という表現は暗喩です)

 

この句では、【沖には未来あり】と言い切っています。

 

「未来という形のないものが沖にあるように感じられる」ということですが、回りくどい言葉を使わず、「未来あり」と言い切ることで未来という言葉の印象を強めています。

 

「はまなすや今も沖には未来あり」の鑑賞文

 

【はまなすや今も沖には未来あり】の句は、中村草田男の代表的な句のひとつです。

 

この句の近景ははまなすの花。遠景として、海がはるか沖まで広がっています。

 

作者は、幼い頃に花や実で遊んだ思い出もあるでしょう。この句では、懐古・郷愁をさそうものとしてはまなすが詠まれています。

 

かつて、はまなすの生えている浜から遠い海を眺め、未来を夢見たこともあったでしょう。

 

時が経ち、幼い日に思い描いた未来をそっくりそのまま手に入れたということはないかもしれません。

 

しかし、大人になって、ふたたび浜に咲くはまなすを見た時に、幼い日に夢見た未来を信じる気持ちが沸き上がってきたことを詠んでいるのでしょう。

 

初句の「はまなすや」で、はまなすの花のかつてと変わらない様に懐かしさをおぼえ、心を動かされたことが表現されています。作者は過去を思い、そのあと作者の視線ははまなすから遠い沖までのびていきます。つまり、沖は未来を示すものでもあるのです。

 

空間的には、作者を中においてはまなすと遠い沖が対比されます。

 

さらに、はまなすの象徴する過去、作者の現在、沖が示す未来、と現在・過去・未来が並べられ時間的な対比もなされています。

 

俳句仙人

「今も未来あり」とありますが、助詞「も」に過去と変わらず今も、という意味合いがこめられ、「未来あり」と強く断定する言い切るところに希望を捨てず、ふたたび未来を信じる決意が感じられます。

 

知っておきたい!はまなすに関する有名俳句【5選】

 

「はまなす」は海辺に自生していて、五月ごろ(初夏)に赤紫や白の甘い香りの花を咲かせるバラ科の植物です。

 

俳人たちはどのように「はまなす」を詠んだのでしょうか。

 

俳句仙人
ここでは、「はまなす」に関する有名俳句を5句紹介していきます。

【NO.1】高野素十

『 はまなすに 幾度行を 共にせし 』

季語:はまなす(夏)

意味:はまなすと何度も行程を共にしたものだ。

俳句仙人

はまなすの咲いている浜辺で何度もなにかの作業をしたのか、散歩をしたのかしていたのでしょう。まるで花と修行をしていたようなファタンジックな表現の句です。言及されてはいませんが、背景の海やはまなすの花の色もまた行程を彩っています。

 

【NO.2】橋本多佳子

『 はまなすに 紅あり潮騒 沖に鳴る 』

季語:はまなす(夏)

意味:はまなすには紅がある。潮騒は沖に鳴っている。

俳句仙人

はまなすの花の紅色を見ながら、潮騒が沖に打ち寄せて鳴っている様子を聞いています。近くで見る紅色と、遠くから聞こえる潮騒の音という、遠近と視覚聴覚の対比が美しい一句です。

 

【NO.3】高浜虚子

『 はまなすの 丘を後にし 旅つづく 』

季語:はまなす(夏)

意味:ハマナスの花が咲く丘を後にして旅を続けよう。

俳句仙人

旅の途中で見たハマナスの丘を後にして旅を続けよう、という旅人の視点に立った一句です。美しいハマナスの花や海を見て休憩していたのが「後にし」というどこか後ろ髪を引かれる表現からも伺えます。光景がありありと浮かんでくる映像のような表現です。

 

【NO.4】水原秋桜子

『 はまなすや 鯛を寄せくる 沖津波 』

季語:はまなす(夏)

意味:ハマナスの花が咲いているなぁ。沖津波は沿岸に鯛を寄せてきている。

俳句仙人

沖津波という表現は、沖合に高い波が立っていることを表しています。鯛が沿岸にうち寄せられてくるほど荒れている海とうらはらに、ハマナスの花はただそこに静かに咲いているという対比が「はまなすや」の切れ字から感じ取れる句です。

 

【NO.5】角川源義

『 はまなすの 花ひとつとて 花の園 』

季語:はまなす(夏)

意味:ハマナスの花が1つしか咲いていないとしても、ここは花の園なのだ。

俳句仙人

この句には「網走原生花園花いまだし」という注釈が付いています。原生花園に来たのに花が未だに咲いていなかったと言う意味で、「はまなすの花ひとつ」という表現がされているのです。例えまだ開花前だとしても、1つでも咲いていればここは原生花園なのだと考えています。

 

作者「中村草田男」の生涯を簡単に紹介!

(中村草田男)

 

中村草田男は本名・中村清一郎、昭和期に活躍した俳人であり、俳壇の重鎮ともなりました。

 

 

明治34(1901)、父が外交官だったため、清国福建省で誕生。生まれて3年後には日本に帰国します。

 

中村家は、もともとは旧松山藩(愛媛県)の出で、愛媛の松山と東京をいったりきたりしながら成長しました。

 

中村草田男はドイツの哲学者ニーチェの著書を愛読し、西洋思想にも影響されながら、いつしか文学の道を志すことになります。

 

その後、同郷の俳人・高浜虚子に師事し、虚子の師である正岡子規の句も学びました。

 

昭和9年(1934年)には俳句雑誌「ホトトギス」同人となります。

(※「ホトトギス」・・・正岡子規が創刊に関わり、高浜虚子が主宰していた俳句雑誌のこと)

 

中村草田男は、加藤楸邨や石田波郷らとともに、人間探求派の俳人と言われました。

 

人間探求派とは、自己の追求と俳句への追求を重ね合わせ、自らの内面を生活に密着した句で表現しようとした人たちのことです。

 

俳句仙人

昭和21年(1946年)には、俳句雑誌「萬緑」(ばんりょく)を創刊。亡くなる昭和58年(1983年)に82歳まで主宰をつとめました。

 

中村草田男のそのほかの俳句