【降る雪や明治は遠くなりにけり】俳句の季語や意味・作者「中村草田男」など徹底解説!!

 

日本に古くから伝わる俳句。

 

最近では、授業で習ったり趣味としてよむ人も多くなってきました。授業以外でもテレビ番組などで耳にする機会も増えてきましたね。

 

今回は、そんな数ある俳句の中でもよく耳にする「降る雪や 明治は遠く なりにけり」という句をご紹介していきます。

 

 

こちら句は精錬された言葉が並び、奥深い味わいがあるため、「この句について詳細を知りたい!」という方も大勢いらっしゃると思います。

 

本記事では、「降る雪や 明治は遠く なりにけり」の季語や意味・表現技法・作者について徹底解説していきます。

 

「降る雪や明治は遠くなりにけり」の季語や意味・作者

 

降る雪や 明治は遠く なりにけり

(読み方;ふるゆきや めいじはとおく なりにけり)

 

この句は、有名な俳人「中村草田男」が詠んだ句です。

 

 

この句は昭和6年、作者は30歳のときに詠まれたものと考えられています。

 

季語

この句に用いられている季語は「雪」です。

 

「雪がパラパラと降っている寒い冬の日」だということがわかります。

 

雪を見ると子供の頃を思い出す人は少なくないと思います。雪が降るだけでみんな外を見て休み時間に遊びにいこうと約束する。そんな童心をこの句に詠まれている雪で感じることができます

 

意味

この俳句の意味は、以下の通りです。

 

「雪が降ってきた。その時小学生たちが外套をきて外へ飛び出していく。自分が小学生の時である明治時代にいるような気持ちになったが、その時からもう20年も経っているのかと、しみじみ痛感した。」

 

この句を詠んでいる時、作者は自分の母校である東京青山の青南小学校へ20年ぶりに訪れていました。

 

その時、沢山の雪が降り始め、外に小学生たちが外套を着て飛び出していく。そんな様子を見て作者は自分の小学生の頃をしみじみと思い出しているのです。

 

明治という時代は過ぎ去り、明治、大正、昭和と時代が進むごとにどんどんと活気に溢れていく街。

 

そんな様子を見て作者は明治という時代が遠くなってしまったことに少し寂しさを覚えたのでしょうね。

 

「降る雪や明治は遠くなりにけり」の表現技法と鑑賞

 

この句の特徴は切れ字が2回使われているところです。

 

まず、上の句の「降る雪や」に出てくる「や」。

 

これは、松尾芭蕉が読んだ「古池や 蛙飛び込む 水の音」などと同じように「余韻を残す役割」を持っています。

 

しんしんと降る雪のイメージや雰囲気をより強く感じさせようと、降る雪の後に「や」をつけたと考えられます。

 

そして最後、下の句についている「けり」。

 

これは、断言するような「〜した。」という過去を表す意味を持っています。

 

そのためこの俳句をそのまま訳すと「雪が降っている。明治が遠くなっていた。」と詠んでいることになります。

 

当たり前のことですが、時間はかならず進みます。明治は過去のもの。それが遠くなっていっていることをしっかり読み手に表現するために、「けり」を用いたと考えられます。

 

「降る雪や明治は遠くなりにけり」の作者『中村草田男』

 

この句を書いた作者は中村草田男。本名は中村清一郎と言います。

 

 

父は外交官をしていたため、領事していた中国のアモイで明治34年(1901年)に長男として生まれました。

 

3歳で日本に帰りますが、松山、東京と転居を繰り返します。そして11歳から松山で暮らし、中学時代に伊丹万作、伊藤大輔らの回覧同人誌「楽天」に参加しました。

 

そのあと、東京帝大文学部独逸文学科を休学中に本格的に俳句づくりを始め、高浜虚子に弟子入りしました。

 

のちに、水原秋桜子の指導を受け、「ホトトギス」にて4句入選を果たすなど才能を発揮していきました。

 

その後成蹊大学政経学部教授に就任し、国文学を担当したり、新たに俳人協会を設立して初代会長に就任したりと文学の道を進みました。

 

1936年に縁談を経て福田直子さんと結婚。2人の間には4人の娘が生まれました。

 

中村草田男は1983年8月5日、82歳の時に急性肺炎のため東京都世田谷区北烏山の病院で息を引き取りました。

 

中村草田男のそのほかの俳句